第四話 証拠から祈りへ
第二日目、開幕。
前話:第三話「セレナの証言」
その夜、リーゼは窓口の部屋に残った。
日が落ちて、訓練場から声が消えた。廊下を行き交う足音もなくなった。ギルド本部の東棟は夜になると人気がなくなる。残っているのは夜勤の受付と、地下の記録保管室の管理人くらいだ。
机の上に魔石灯をひとつ置いた。橙色の光が、革表紙の三冊を照らしている。
一冊目は読んだ。事務的な記録。証拠としての価値がある。
二冊目は途中まで読んだ。文体が変わり始めている。鑑定の中心が、罠や敵から仲間の体調に移っていた。
三冊目を開いた。
二年目の後半から三年目にかけての記録。
最初の頁。
二年目、八月二日。灰竜の山道、第二層。ガルドの食事量が三日連続で減少。昨日の宿で家族への手紙を書いていた。妹の学費が上がったと聞いた。次のクエスト選定で報酬の高い依頼を提案する。ただし同情だと思われないよう、依頼書の難度と報酬のバランスが良いという理由で出す。
リーゼは頁をめくった。
八月五日。提案した依頼が採用された。ガルドは何も気づいていない。報酬は通常の一・五倍。ガルドの取り分で妹の学費は賄えるはず。
八月七日。ガルドが宿の食堂で肉を二皿頼んでいた。久しぶりに見た。
その一行だけだった。感想も評価もない。ただ、ガルドが肉を二皿頼んだと書いてある。
リーゼは自分がその行を二度読んだことに気づいた。
続きを読む。
九月十二日。蒼穹の遺跡、第五層。セレナの詠唱に通常より〇・三秒の遅延。原因を鑑定。魔力残量の問題ではなく、精神的な疲労の兆候。前回のボス戦で味方の負傷を間近で見たことが影響している可能性がある。直接的な言及は避ける。今夜の食事で、セレナの好きな薬草茶を頼む。
十月一日。レオンの攻撃判断に変化。以前より慎重になっている。臆病になったのではなく、パーティ全体の位置取りを意識するようになった。鑑定データの蓄積が、無意識に指揮に反映され始めている可能性がある。良い傾向。ただし本人には言わない。言えばかえって意識して硬くなる。
リーゼは頁をめくる手を止めた。
言わない。言えば硬くなるから。
この人は、仲間の成長すら鑑定していた。そしてその成果を、自分の手柄にするつもりがなかった。レオンが良い指揮官になりつつある事実を、誰にも報告せず、日誌に書いた。
何のために。
リーゼは眼鏡を外して、目を閉じた。
暗闇の中で、記憶が浮かんだ。
廊下の隅にしゃがんでいた自分。長すぎる外套の袖。首輪の痕が赤かった。黒い髪の青年が、目線を合わせるためにしゃがみ直してくれた。
ーーー君はどうしたい。
あの問いが、すべてを変えた。
それまで誰も聞いてくれなかった。商人は金を数えた。勇者は善意を語った。廷臣たちは制度を論じた。全員が、リーゼのためにと言いながら、リーゼの声を聞かなかった。
あの人だけが聞いてくれた。
だから今、自分はここにいる。
聞く側に。
リーゼは眼鏡をかけ直して、日誌に目を戻した。
三年目に入ると、記述の密度が上がっていた。鑑定の対象は敵や罠だけでなく、天候、地形、水源の安全性、野営地の地盤強度にまで広がっている。アキラはパーティの行動範囲すべてを、鑑定という目で見守っていた。
三年目、三月八日。銀霧の渓谷。野営地の水源を鑑定。微量の鉱毒を検出。濃度は基準値以下だが、連日の摂取で蓄積する可能性あり。代替水源を探索し、上流二百歩の湧き水が安全と判定。レオンに報告。
レオンの反応欄。ふーん。
三月九日。湧き水を使用。味が良いとセレナが言っていた。鑑定で味は分からないが、安全であることは保証できる。
三月十五日。レオンの右肩の違和感が再発。前回の健診から三ヶ月が経過。ギルドの健診案内を再度テーブルに置く。三回目。
三月十六日。レオン、案内を見ずに捨てた。
三月十七日。四回目の案内を置いた。今度はセレナの荷物の隣に。セレナが気づいてレオンに渡す形にすれば、レオンも無下にはできない。
リーゼは息を吐いた。
四回。
四回目の健診案内を、捨てられても捨てられても置き続けた。相手が気づかない方法を考えて、別の導線を設計して、それでも自分がやったとは言わない。
審判官としての分析が、頭の隅でまだ動いている。これは証拠だ。アキラの鑑定がパーティの安全管理に不可欠だった証拠。数値化できる。論理で組み立てられる。裁定の根拠になる。
だが審判官ではない部分が、それとは別のことを感じていた。
この日誌は途中から、証拠として書かれていない。
書き始めた動機は証拠保全だったのだろう。いつか不当な扱いを訴えるための備え。一冊目の事務的な文体がそれを裏づけている。
だが二冊目の途中から、記録の性質が変わった。鑑定の中心が仲間に移った。文体に配慮が混じり始めた。三冊目に至っては、証拠を残すためではなく、明日のために書いている。明日、セレナが魔力切れにならないように。明日、レオンが肩を壊さないように。明日、ガルドが家族に仕送りできるように。
祈りだ。
これは業務日誌ではなく、祈りだ。
リーゼは三冊目の最後の頁を開いた。
三年目、三月三十日。
アキラが蒼雷を追放される前日の記述だった。
明日のクエストに向けて装備を鑑定済み。レオンの剣は研磨が必要だが、刃こぼれはなく使用に問題なし。セレナの杖の魔力伝導率は九十三パーセント、良好。ガルドの盾は先月新調したもので、強度に問題なし。
全員の装備を最終確認。異常なし。
明日も全員が無事でありますように。
それが、最後の一行だった。
ーーー明日も全員が無事でありますように。
その次の日に、アキラは追放された。
リーゼは日誌を閉じた。
閉じて、表紙の上に両手を置いた。
泣かなかった。
泣きそうになったが、泣かなかった。
審判官は証拠で裁く。感情ではなく。
だが今、ひとつだけ確信したことがある。
この案件を、絶対に間違えてはいけない。
リーゼは三冊を揃え、机の引き出しにしまった。鍵をかけた。
窓の外は夜だった。星が見えた。
明日はレオンへの聞き取りがある。
次話、本日20:30。第五話「レオンの言い分」。
Aランク勇者レオンへの聞き取り。彼には彼の事情がありました。




