第二話 蒼雷の台所事情
前話:第一話「申し立て」
→ 本作のEP.0.5『役立たず鑑定士の業務日誌』(N0742MA)を未読の方は、先にお読みいただくとより深くお楽しみいただけます。
ギルド本部の地下一階に、記録保管室がある。
石造りの部屋に木棚が並び、冒険者パーティの活動記録が年度ごとに綴じられている。埃っぽい空気と、古い羊皮紙の匂い。窓はなく、天井の魔石灯だけが白い光を落としている。
リーゼはAランクパーティ『蒼雷』の記録簿を棚から引き出した。三年分。分厚い。
机に広げて、最初の頁を開く。
パーティ登録情報。リーダー、レオン。職種、剣士。Aランク。魔法使いセレナ、Bランク。盾役ガルド、Bランク。鑑定士アキラ、Cランク。
Cランク。
鑑定士の戦闘能力はEだから、ランクが低いのは当然ではある。だがAランクパーティにCランクのメンバーがいるということ自体が、ギルドの斡旋で加入したことを裏づけている。つまりギルド側が蒼雷に鑑定士が必要だと判断し、アキラを紹介した。必要だから入れた人間を、三年後に不要だと切った。
次に、クエスト達成記録。
リーゼは頁をめくりながら、数字を拾っていった。
蒼雷の三年間のクエスト達成率は九十四パーセント。Aランクパーティの平均が八十一パーセントだから、突出して高い。失敗した六パーセントの内訳を見ると、すべてアキラ加入前の初年度前半に集中している。アキラが加入した月を境に、失敗がほぼゼロになっていた。
偶然かもしれない。だがリーゼは数字の偶然をあまり信じない。
報酬の総額を確認する。三年間の累計、金貨七千二百枚。Aランクとしては標準的な額だ。問題は分配だった。
契約書の通り、レオン四割、セレナ三割、ガルド二割、アキラ一割。一度も変更されていない。
リーゼは手元の紙に計算を書いた。
アキラの三年間の受取総額、金貨七百二十枚。推奨基準の一割五分で計算した場合の本来の受取額、金貨千八十枚。差額、金貨三百六十枚。
だがアキラの請求は四百八十枚になっている。差額の計算根拠を確認する必要がある。おそらくクエスト難度に応じた加算分を含めているのだろう。アキラの鑑定がなければ達成できなかったクエストの報酬については、貢献度に応じた上乗せが認められる余地がある。
認められるかどうかは、日誌の内容次第だった。
◇
記録保管室にはもうひとつ、確認すべきものがあった。
蒼雷の事故報告書。
Aランクパーティは高難度クエストを受ける。当然、負傷や損害の報告も多い。リーゼは三年分の事故報告書を時系列に並べた。
一年目。負傷報告四件。うち三件はレオンの軽傷、一件はガルドの盾破損。
二年目。負傷報告一件。ガルドの盾破損、二度目。
三年目。負傷報告ゼロ。
減っている。
年を追うごとに、明確に減っている。
Aランクの平均負傷報告件数は年間六件。蒼雷は三年目にゼロ。これも偶然と言えなくはないが、アキラの日誌に書かれた鑑定内容——罠の発見、敵の弱点解析、装備の劣化診断——と突き合わせれば、因果関係は見えてくるだろう。
目に見えない仕事が、見える数字を動かしていた。
リーゼは事故報告書を閉じて、椅子の背にもたれた。
魔石灯の光が白すぎて、目が疲れる。眼鏡を外して目頭を押さえた。
見えない仕事。
その言葉が、胸の奥で小さく引っかかった。
リーゼにも覚えがある。数字にならない仕事。記録に残らない貢献。存在していたのに、誰の目にも映らなかった時間。
奴隷市場の台帳には、名前の欄がなかった。
あったのは登録番号だけだった。
リーゼは眼鏡をかけ直した。今はその記憶に沈んでいる場合ではない。審判官は事実と数字だけを見る。感情ではなく、証拠で裁く。
だが頭ではそう分かっていても、指先が無意識にテーブルを叩いていた。小さく、規則的に。苛立ちの癖だと自分では思っている。本当は、感情を閉じ込めるときの癖だ。
◇
午後、リーゼはレオン宛に聞き取り調査の通知書を作成した。
ギルド冒険者雇用規約第三十二条。労働審判の申し立てがあった場合、審判官は関係者に対し聞き取り調査を行うことができる。正当な理由なく拒否した場合、審判において不利に扱われる場合がある。
通知書をギルドの伝達係に渡した。レオンの登録住所は冒険者街の宿屋になっている。早ければ今日中に届く。
返事は翌日の朝に来た。
伝達係が持ってきた羊皮紙には、レオンの筆跡で三行だけ書かれていた。
くだらない。好きにしろ。日時はそっちで決めろ。
リーゼは返書を読んで、表情を変えなかった。
この手の反応は想定している。不当解雇を行った側が、最初から協力的であることは稀だ。怒るか、嘲るか、無視するか。レオンは嘲りを選んだ。少なくとも無視ではないだけ、話が進む。
聞き取りの日時を三日後に設定した。
それまでに、もう一人の証人に接触する必要がある。
セレナ。蒼雷の魔法使い。
ギルドの登録情報によれば、セレナは蒼雷を離れた後、新しいパーティに加入していない。個人でDランクのクエストを受けている。Bランクの魔法使いがDランクの仕事をしている。実力に見合わない選択をしているということは、何かが引っかかっているのだ。
リーゼは通知書をもう一通書いた。セレナ宛。聞き取りの日時は明後日。レオンより先に会う。
順番には意味がある。
セレナの証言を先に取れば、レオンの聞き取りで突き合わせができる。矛盾があれば、そこに事実が浮かび上がる。
通知書を書き終えて、リーゼは窓口の部屋に戻った。
テーブルの上に、アキラの業務日誌が三冊、朝のまま置いてある。
一冊目は昨日ざっと目を通した。事務的な記録。証拠としての価値は十分にある。
二冊目と三冊目は、まだ読んでいない。
リーゼは二冊目を手に取った。一年目の後半から二年目にかけての記録だ。
開いた。
最初の数頁は一冊目と同じ調子だった。日付、場所、鑑定対象、結果。乾いた記録の羅列。
だが読み進めるうちに、リーゼの手が止まった。
二年目、六月十五日。
碧水の迷宮、第四層。鑑定対象——セレナの魔力残量。推定残量二割。通常より消耗が早い。昨夜の宿で眠れていなかった可能性がある。明日の出発前に、さりげなく休息日を提案する。
リーゼは頁を見つめた。
鑑定対象が、ダンジョンの罠でも敵の弱点でもなく、仲間の体調になっていた。
次の頁をめくった。
六月十八日。
レオンの剣速が通常の九割に低下。右肩の挙動に違和感。本人に自覚なし。直接指摘すれば激昂するため、ギルドの定期健診案内をテーブルの上に置いた。
リーゼは日誌を閉じた。
閉じてから、自分の指先がかすかに震えていることに気づいた。
審判官として言うなら、これは貴重な証拠資料だ。アキラの鑑定がパーティの安全管理に直結していたことを、克明に立証できる。
だが審判官としてではない部分が、別のことを考えていた。
この人は三年間、毎晩これを書いていた。誰にも読まれないと分かっていて。仲間に気づかれないように配慮して。それを侮辱されながら。
リーゼは眼鏡を外した。
目頭が、少し熱かった。
次話は本日21:00更新。第三話「セレナの証言」。
蒼雷の魔法使いセレナを、リーゼが証人として聞き取ります。
数字が示したことを、人の口で聞くとき、何が起きるのか。




