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第一話 申し立て

『ギルド労務官リーゼの事件簿』Episode 1、開廷します。

本作は下記2編の続編ですが、本作だけでも完結します。

▶ Episode 0『その善意、人身売買につき』 https://ncode.syosetu.com/n0248ma/

▶ Episode 0.5『役立たず鑑定士の業務日誌』 https://ncode.syosetu.com/n0742ma/



 朝の八時に窓口を開ける。


 誰もいない。


 ギルド本部の東棟、二階の突き当たり。冒険者雇用相談窓口と書かれた木の看板が、廊下の壁に掛かっている。看板の文字はリーゼが自分で書いた。丁寧に書いたつもりだったが、少し右に傾いている。直そうと思いながら、もう三ヶ月が経った。


 部屋には机がふたつ。椅子がみっつ。棚にはギルド冒険者雇用規約の冊子が並んでいる。埃は被っていない。リーゼが毎朝拭いているからだ。


 窓を開ける。春の風が入ってくる。訓練場で若い冒険者たちが素振りをしている声が、遠く聞こえる。


 今日も誰も来ないかもしれない。


 制度はある。雇用規約も、労働審判の手続きも、リーゼが着任してから整備した。だが冒険者の世界では、不当な扱いを受けても声を上げる者は少ない。パーティを追い出されたら黙って去る。報酬を削られても我慢する。それが当たり前だと思っている。


 当たり前だと思わされている。


 リーゼは眼鏡を拭いて、椅子に座った。


 今日の予定は午後にギルドマスターへの月次報告がある。先月の相談件数は三件。うち二件は契約書の読み方が分からないという質問で、残り一件は報酬の振込先を変えたいという届出だった。労働審判に至った案件はゼロ。


 報告書に書ける成果がない。


 それでも窓口を開ける。毎朝、八時に。


 声を上げられない人が来る場所は、開いていなければ意味がないから。


      ◇


 十時を過ぎた頃、廊下に足音が聞こえた。


 リーゼは顔を上げた。足音は窓口の前で止まり、少しの間があって、扉を叩く音がした。


「どうぞ」


 入ってきたのは、三十前後の男だった。黒い髪。目の下に薄い隈。冒険者にしては線が細く、剣も杖も持っていない。代わりに、胸に革表紙の冊子を三冊抱えている。


「冒険者雇用相談窓口は、こちらですか」


「はい。ギルド労務官のリーゼです。お座りください」


 男は椅子に座った。姿勢がいい。背筋を伸ばして、膝の上に冊子を置いた。冊子の角が擦り切れている。長い間持ち歩いていたか、何度も開いたか、あるいはその両方だろう。


「お名前を伺えますか」


 リーゼはいつもそこから始める。


「アキラといいます。Aランクパーティ『蒼雷』の——元、鑑定士です」


 元。


 その一語に、リーゼの耳が反応した。


「労働審判の申し立てに来ました」


 アキラは懐から羊皮紙の束を取り出した。手際がよかった。書類は整然と並べられ、日付順に綴じられている。申立書、雇用契約書の写し、報酬支払い記録の控え。


 リーゼは一枚ずつ確認した。


 雇用契約書。三年前の日付。パーティリーダー、レオンの署名。報酬分配比率——レオン四割、セレナ三割、ガルド二割、アキラ一割。


 一割。


 ギルドの推奨基準では、四人パーティの場合、最低でも各メンバーの取り分は一割五分とされている。鑑定士は非戦闘職だが、推奨基準に職種による例外規定はない。


「請求の趣旨を確認します」


 リーゼは書類から目を上げた。


「三点あります」


 アキラの声は落ち着いていた。感情的ではない。だが投げやりでもない。淡々と、正確に、自分の権利を述べる声だった。


「第一に、三年間の報酬分配における推奨基準との差額精算、金貨四百八十枚。第二に、即日解雇に伴う予告手当、金貨六十枚。第三に、継続的な侮辱的言動に対する慰謝料、金貨百八十枚。合計、金貨七百二十枚」


 七百二十枚。


 リーゼは表情を変えなかった。だが内心では数字の大きさに息を呑んでいた。Aランクパーティの年間報酬を考えれば法外な額ではない。むしろ三年分の差額としては妥当な計算だ。だからこそ重い。この請求が認められれば、Aランクパーティの報酬体系そのものに波及する。


「根拠資料は揃っていますか」


「契約書と報酬記録は今お渡ししたものがすべてです。それと——」


 アキラは膝の上の革表紙の冊子を、静かにテーブルに置いた。


 三冊。


「業務日誌です。三年分」


 リーゼは冊子を見た。一冊目の表紙は色が褪せている。二冊目は角が丸くなっている。三冊目だけ、まだ革の艶が残っていた。


「毎日、鑑定内容と結果を記録してあります。パーティへの影響も」


「これを証拠として提出するということですね」


「はい」


 リーゼは一冊目を手に取った。予想より重かった。


 開く。


 最初の頁。几帳面な文字が並んでいる。


 一年目、四月一日。蒼雷パーティに加入。初日の鑑定依頼はなし。待機。


 四月二日。緑苔の洞窟、第一層。鑑定対象三件。鉱石の真贋判定、罠の有無確認、戦利品の市場価格査定。いずれも通常業務。


 四月三日。同洞窟、第二層。石化トラップを七基発見。レオンに報告。迂回路を提案し、採用された。


 事務的な記録だった。日付、場所、鑑定対象、結果。感情の入る余地のない、乾いた文字の羅列。


 証拠としては十分に使える。日付と内容が報酬記録と照合できれば、アキラの貢献度を客観的に立証できる。


 リーゼは冊子を閉じた。


「確認に数日いただきます。書類は受理します」


「お願いします」


 アキラは立ち上がった。椅子を元の位置に戻してから、一度だけ振り返った。


「あの。労働審判を申し立てたのは、初めてですか。この窓口で」


「……正式な申し立ては、初めてです」


「そうですか」


 アキラは何かを言いかけて、やめた。代わりに小さく頭を下げて、部屋を出ていった。


 足音が廊下の向こうに消えた。


 リーゼはテーブルの上の三冊を見た。


 正式な労働審判申し立て。第一号。


 窓口を開けて三ヶ月。毎朝八時に来て、埃を拭いて、誰も来ない部屋で規約の冊子を読み直して。この日のために準備していたはずなのに、いざ来てみると、胸の奥が妙にざわついている。


 七百二十枚の金貨が動く案件だからではない。


 アキラが椅子に座っていた三十分間、一度も声を荒げなかった。その口調には、怒りも恨みもなく、ただ自分の権利を、正確な言葉で述べた。


 あれは、長い間ずっと声を上げられなかった人間が、ようやく声の出し方を見つけたときの話し方だ。


 リーゼは知っている。


 自分も昔、そうだったから。


 一冊目を、もう一度開いた。四月一日の頁。待機、と書かれた文字を指でなぞった。


 この人は初日から、ずっと待っていたのだ。


 頁をめくった。



ご覧いただきありがとうございます。

本作は全10話、本日から3日間で完結予定です。


次話は本日20:30更新。第二話「蒼雷の台所事情」。

リーゼが地下の記録保管室で、蒼雷の三年間の数字を読みほどきます。


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