第10話 剣と心の叫び
仮想空間「ルミエール・ラブロマンス」の戦場は、まるで世界の終わりを思わせる荒廃した舞台だった。紫に染まった空が不気味に揺れ、砕けた石畳の隙間から冷たい風が唸る。アキトの剣がマルクスの金色の鎧に激突するたび、火花が飛び散り、甲高い金属音が心臓を締め付ける。だが、その一撃はマルクスの装甲をかすめるだけで、まるで嘲笑うかのように跳ね返される。
「ハッ! 所詮、引きこもりのお遊びだな!」
マルクスの声は氷のように冷たく、アキトの心を鋭く切り裂く。金色の鎧に身を包んだそのアバターは、まるで神話の暴君――いや、悪魔そのものだ。剣を軽く振るだけで、空気が裂け、地面が震える。アキトは咄嗟に横に飛び退くが、間に合わない。衝撃波が彼の体を捉え、地面に叩きつける。
「ぐああっ…!」
胸を押さえ、喘ぐように息を吐くアキト。額から流れ落ちる汗と血が目に入り、視界が滲む。体は鉛のように重く、腕は剣を握るだけで震える。心臓が激しく鼓動し、恐怖が全身を締め付ける。
(こいつの力…こんなにも、圧倒的なのか…!)
ーー「ご臨終です。」
くそっ、またあの冷たい幻聴が!姉貴…!
マルクスが一歩踏み出すたび、地面が震え、アキトの心に絶望が忍び寄る。ゲーム内のステータス差、装備の差、そしてマルクスの底知れぬ自信――それらがアキトを無慈悲に追い詰める。胸の奥で、諦めようとする弱い自分が囁く。
(もう…無理なのか…?)
だが、その瞬間、リオの笑顔が脳裏に閃く。彼女の温かな瞳、柔らかな声。彼女がそばにいてくれるだけで、アキトの孤独な世界は色づいた。あの笑顔を守りたい――その一念が、消えかけていた闘志を再び燃え上がらせる。
(リオ…お前だけは、絶対に失いたくない…!)
剣を杖代わりに、よろよろと立ち上がる。汗と血にまみれた顔で、アキトはマルクスを睨みつける。心臓が破裂しそうなほど鼓動するが、その痛みすら、今はリオへの想いに変えていく。
「リオは…渡さない…!」
声は掠れ、震えていた。それでも、その言葉にはアキトの魂が込められていた。マルクスが哄笑する。
「まだやる気か? 無駄だ! リオは俺のものだ! お前みたいな引きこもりに、俺には勝てねぇよ!」
その言葉は、アキトの心に突き刺さる毒の刃だった。リオを奪われる――その想像だけで、胸が引き裂かれるような痛みが走る。学校で「キモいオタク」と蔑まれ、誰とも関わらずにいた自分。それでも、リオだけは違った。彼女の笑顔は、アキトの暗い世界に一筋の光を差し込んでくれた。彼女を失うことなど、考えたくもなかった。
「黙れ…! リオはお前のものなんかじゃねぇ!」
アキトが剣を振り上げる。だが、マルクスの反撃はあまりにも速く、容赦ない。一閃。剣圧だけでアキトの体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。衝撃で骨が軋み、視界が揺らぐ。意識が遠のき、暗闇が彼を飲み込もうとする。
(リオ…ごめん…俺…)
暗闇の中で、アキトの意識は過去へと滑り込む。そこは「ルミエール・ラブロマンス」の花園。色とりどりの花が咲き乱れ、柔らかな陽光が木々の間をすり抜ける。そよ風が頬を撫で、遠くで小鳥のさえずりが響く。そこに立つリオンの姿。彼女の笑顔は、ゲームのパッケージで初めて見たあの瞬間よりも、ずっと鮮やかで、心を掴んで離さない。
「ねえ、アキト。ここの花、綺麗だと思わない?」
リオンの声は、まるで風鈴の音のように澄んでいる。彼女が指差す花畑を眺めながら、アキトは胸が熱くなるのを感じていた。あの頃の自分は、ただの引きこもりオタク。ルミエールアカデミーにはほとんど顔を出さず、クラスメイトからの冷たい視線や陰口にも慣れていた。ゲーム実況の配信だけが、自分の居場所だった。
だが、すべてが変わったのは、新作VRゲーム「ルミエール・ラブロマンス」のパッケージを見た瞬間だった。画面越しに微笑むリオンの瞳に、アキトの心は一瞬で奪われた。
「こんな子…ホントにいるのか…?」
半信半疑で「購入する」ボタンを押したあの日。仮想空間で初めてリオンと出会った瞬間、ぎこちない会話から始まった二人の時間は、アキトにとって宝物になっていった。
「アキトって、ゲーム実況、すっごく楽しそうにやってるよね。私、いつも見てたんだから。」
リオンのその一言が、アキトの心に温かな光を灯した。彼女は、アキトの冴えない日常を、まるで特別なもののように見てくれた。ぎこちなく始まった会話は、次第に笑顔と笑い声に変わった。花畑を歩き、星空を見上げ、ただ並んで座る――そんな他愛もない時間が、アキトの心を満たした。
(リオ…お前は、俺の全てだった。)
夢の中で、リオンの笑顔が近づく。彼女の手がアキトの頬に触れそうになり、心臓が跳ねる。だが、その瞬間、冷ややかな声が夢を切り裂く。
「終わりだ、引きこもり!」
目を開けると、冷たい石畳の上。体は痛みで軋み、剣を持つ手は血に濡れている。だが、アキトの心は燃えていた。リオとの思い出が、彼の魂に火を点ける。彼女の笑顔、彼女の声――それらが、アキトの体を再び動かす。
「リオは…渡さねえ…!」
よろめきながら立ち上がり、アキトは剣を構える。マルクスの冷笑が響く中、彼の瞳は涙と決意に燃えていた。
「へぇ、しぶといな! だが、所詮お前は――」
マルクスの言葉を遮るように、アキトが突進する。剣戟が火花を散らし、仮想空間が光と音で埋め尽くされる。体は限界に近く、視界が揺らぐ。それでも、アキトは止まらない。リオを救うため、そして自分の心に宿った愛を守るため、彼は剣を握り続ける。
遠くから、微かな声が聞こえる。
「アキト…! 頑張って…!」
リオの声だ。彼女はまだこの空間のどこかにいる。削除の危機に瀕しながらも、アキトを信じて叫んでいる。その声が、アキトの心に新たな力を宿す。
「リオ…! 待ってろ、絶対に助ける…!」
戦いはさらに激化する。マルクスの剣が振り下ろされるたび、アキトは死にものぐるいで立ち向かう。一方、現実のルミエールアカデミーでは、エレナ教授がマルクスの悪事を暴くため、報告書を手に急いでいた。
「アキト君…リオさんを、必ず…」
エレナの呟きが、静かな研究室に響く。
 




