フィルムの中の恋
ベッドから覗くと、部屋の壁にはモノクロの写真が見える。そこにはキャンバスを前にした二年前のセーラー服の自分がいた。
わたしの心は封じ込められた。
嫌なことがあろうとも、ここに逃げ込めると思えば少しは安心できた。
八月が終わる頃、高校二年生の同窓会が催された。なぜ高校二年生なんだと思いつつ参加すると、商工会議所の会議室に三十人ほどが集合した。市役所に勤める幹事が言うには、高校三年は受験などで記憶にない。催しで団結したのが二年だと。修学旅行、冬山登山、校内クラス対抗マラソン大会、文化祭、運動会、もともと元旧制の女学校だからいうことで料理コンテストと裁縫コンテストでも鉄壁の結束を見せた。
立食会場の前の挨拶が行われた。
家庭科教室で、銅の卵焼き機でだし巻きを数本作らされた記憶がある。中学生のときから母の勤めるスナックのために、だし巻きを数本作っていた。帰宅して作る。そんなことが二年ほど続いて、母は居抜きで小さなカウンターだけの居酒屋を手に入れ、今に至る。一国一城の主の彼女は生き生きしていた。だから野坂も高校から大学生の今は気持ちも安定していた。
「では乾杯!」
野坂は穏やかにグラスを掲げた。和歌山県でも隅っこに孤立する公立高校なので、他校と競争も校内の派閥もない生活で、何の変哲もない学校生活を過ごしていたし、懐かしい気持ちで何となく同窓会に参加しようと決めた。
たまに不安にも襲われた。
これが失われるのではないか。
今でも夜、朝と構わず不安に襲われることがある。家がないということのつらさは、持ち家で生まれた人にはわからないだろうし、気にしていない様子をしていても、たまにつらい。
他の同級生と話しているとき、川瀬美奈が近づいてきたのが見えた。脚の細さがわかる麻のパンツ、シャツ、麻ジャケットの前を閉じた姿は一際輝いていた。現に男連中はさっきからずっと彼女を囲んでいた。穏やかさと凛々しさのあるミント系のネクタイもオシャレだ。高校のときはセーラー服姿しか覚えていないが、こうして出会うと印象も変わるとうものだ。
「野坂くんとこ市営住宅立ち退きやで」
「夏休みに急に説明来たよ。じいさんばあさんには寝耳に水やん。建築課の前田な。仕事とはいえ偉そうやな。偉なった気になるんか」
建築課の三島と話した。彼女も昔は市営住宅で暮らしていて、お互いに生活レベルも知っているので気兼ねなく話せる。そんな彼女が幹事をするので参加したこともある。
「抜き打ちや。行政のやり口や。後は後ろで中指立てながらひたすら謝罪するねん」
「戦後から高度成長期、バブルも荒っぽい連中が集まってたところや」
「前田も思い知るわ。あ、待ち人や。うまいことしいや」
「どういうこと?」
川瀬は取り巻いていた男たちの隙を突くように輪から抜けて、わざわざ近づいてきた。逃げるように来たが、まだ諦めきれない数人を引き連れていた。野坂を交えて数人で記憶にも残らない連中と、二次会へ行こうと話をした。
川瀬との二度目の新しい出会いだ。
「野坂くんも二次会へ行く?野坂くんが行くんならわたしも行くけど」
さすがに連中は黙った。
会場から出てトイレに近い廊下で川瀬がスマホを見せてきてライン交換した。他の男連中もたむろして、川瀬を二次会に誘っていた。
まだ夏の夕暮れどきだ。
居酒屋はどこにでもある。
「そんな出し方されたら意識するやん」
「他に教えたないもん」
「教えてたやん」
「そこまで見てたんなら来てくれたらよかったのに。見て笑ってたんやろ。冷房効きすぎ。あったかいもん飲みたい。下の喫茶店行こう」
川瀬はグイグイと来た。ここでは寒いのでどこかファミレスへ行こうと、二人で名画のレプリカを掛けてあるファミレスへ行った。
昔、僕は彼女を封じ込めた。
写真の中の彼女は輝いていた。