8新しい明日へ(了)
それから数日後、俺は再び東京へ戻る日を迎えた。蓮の両親に見送られ、故郷の駅で手を振る。もう「またな」と笑って別れを告げることはできない相手がいないのが、少しだけ心寂しい。
しかし俺の胸には、蓮の手紙と記憶がしっかりと刻まれている。もう二度と、自分に嘘をついて大切な人との時間を無駄にしたりはしない。
東京に戻った俺は、以前の俺を知る友人たちを少なからず驚かせた。顔を合わせれば自分から挨拶をし、差し入れをもらえば「ありがとう!」と笑って礼を言う。初めは周りも戸惑っていたが、次第に俺の変化を受け入れてくれた。
ゼミの田中は「先輩、雰囲気変わりましたね」と首を傾げていたし、サークルの後輩は「なんか明るくなりましたね!」と目を丸くした。いいじゃないか。それで。
俺は今、少しずつだが自分の気持ちを言葉にすることに慣れ始めている。ありがとう、ごめん、助かった、嬉しい――簡単な言葉で世界はこんなにも温かくなるのか、と実感しながら。
蓮との思い出を語れる友人はいないけれど、それでも構わない。俺の心の中で、蓮はこれからも生き続けるのだから。
週末、俺は静かな丘の上を訪れた。蓮の遺骨は故郷の菩提寺に納められたが、この丘は高校時代、二人でよく星を眺めに来た場所だ。今は昼下がりで、空には眩しいほどの青が広がっている。
雑草の間に小さな花が咲いていたので、一輪摘んで手に持った。蓮が好きだった白い野菊だ。
「蓮。聞いてくれるか?」
吹き抜ける風に語りかける。返事はないけれど、俺にははっきりと蓮の存在を感じていた。
「俺、この前お前の手紙を読んだよ。……ほんと、泣かせてくれるじゃないか。」
苦笑しながら空を見上げる。あの日以来、不思議と涙は枯れてしまったように感じる。代わりに、不思議な力が湧いてくるのだ。蓮が背中を押してくれている、そんな確信があった。
「お前の言う通りだ。やっぱり、ちゃんと伝えなきゃいけないこともあるよな。」
足元の土を踏みしめ、一歩前に出る。まるで蓮に近づける気がして。
「俺さ、ちゃんと変わるから。いや、もう変わり始めてる。口下手で不器用なのは相変わらずだけど……それでも、伝えていくよ。大事な人には大事だって、感謝してるって、ちゃんと伝える。だから見ててくれよな。」
空はどこまでも高く澄んで、どこか遠くへ繋がっているようだった。
俺は手の中の白い花をそっと放った。風に乗って、小さな花びらが空に舞い上がる。
「蓮……本当にありがとう。」
心を込めて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お前は俺の最高の友だちだ。これからもずっと。」
胸に熱いものが込み上がった。しかしそれは悲しみではなく、力強い決意と感謝の涙だった。
「俺はお前の分まで、後悔しない人生を生きるよ。だから――」
青空に向かい、俺は精一杯の笑みを浮かべて叫んだ。
「またな、蓮!」
風がさらりと吹き抜けた。聞き慣れた親友の笑い声が、どこか遠くで応えるように響いた気がした。
(了)