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終わらない懸念


「ごめんなさい、ファンです! ずっと隠してました!」


 もはやここまできたらだんまりも言い逃れも不可能だ。


 腹をくくって叫ぶ私に、田代さんは目をすがめる。

 ひいい、これが推しが犯罪者を見るときの目かぁ……。知りたくなかった……。


「その、本当は隠し通すつもりだったんですけど」

「へえ。そんなに」

「いや、まだまだというか、歴は浅いです……」

「どれくらい?」


 田代さんがソファに座り直したので、私は思考に専念するためにも自分の指に目を向けた。 何月からだっけ。田代さんが載ってたラビアンが三月号だったから……それより前か。


「二月からですかね。五ヶ月くらい?」

「へえ」

「雑誌でお姿を拝見しまして。一目惚れと言いますか……」

「雑誌ねえ。ちなみにどんな雑誌?」

「えっと、ラビアン三月号です」

「……ん?」


 ここで田代さんが聴きの姿勢を崩す。


「ラビアンって、ファッション雑誌だよね?」

「はい」

「……出てた?」

「出てましたよ!」


 自分のことでしょうにという言葉は飲み込んだ。

 モデルとしていろいろな写真を撮られていれば、そのうちのひとつかふたつは忘れてしまってもしかたないだろう。


「それで、そこから?」

「はい。ネットで検索してSNSフォローしたり、サイン会申し込んだり……。あ、フォローしたタイミングで告知があったので、そのままサイン会申し込んじゃったんですけど」

「熱烈だね」


 うわわ、なんで私、本人にファン歴語ってんだろう。

 ポッポと顔どころか体まで熱くなっていく。


「それで、初めて会ったのはいつ?」


 え? ……あ、そっか。イベントかなんかに来たことあるかってことね。


「恥ずかしながら、昨日が初めてです」

「そうなの?」

「恐れ多くて。サイン会は勢いで申し込めたんですけど」

「そっか。ああ、会社にお姉さんがいるの知らなかったんだ。運がよかったね」


 なんでここで橋本先輩?

 ああ、橋本先輩から田代さんの友達の翔哉君経由して、お近づきにってことか。


 さすがにそんな計算して近づくのは無理かなあ。

 弟さんのアカウント教えてもらっても、田代さんの友達だって気付けなかったし。そう考えると、田代さんの言うとおり、とても運がいい。


 こうなったら、全部正直に話してしまおう。


「ほんとは、私なんかがお邪魔するなんて恐れ多いと思ってたんですけど! この機会逃したら二度とないだろうなって……田代さんにはご迷惑をおかけしていますが」

「俺は平気だよ。ただね、家でのことは見過ごせないというか」


 家に来たことは口外無用ってことかな。

 もちろん、そんな匂わせをするつもりはない。


「わかってます。だれにも言いません」

「いや、そういう話じゃなくて」


 なら、どういう話だろう。

 きょとんとしている私を見て、田代さんが困った顔をする。


「聞き返されるとちょっと困るけど……」

「……念書とか、いりますか?」


 契約書なら馴染みがあるけれど、念書は書いたことがない。でも、ネットで調べれば書式はわかるだろう。

 さすがネット。ネット万歳。それのせいで田代さんにご迷惑がかかってるんだけど。


「あっ、でも判子とか持ってなくて。指のあれ……血判でしたっけ? あれでいいですか」

「いやいや、そんなのはいらないけど。

 それと、小笠原さんが言いたいの拇印だよね? こんなんで指切らせないよ……」

「あっ……。間違えました……」


 拇印って言葉が出てこなくてうっかり物騒なほうを言ってしまった。

 流血沙汰になんてしたら、また語弊が生まれてしまう。


「ねー、ジャケット着たら暑いよねー?

 羽織るのってどうすればいいの、肩からめっちゃ落ちそうなんだけど」


 やっと着替えを終えて――ううん、まだ終わってなさそう。昨日買ったジャケットを肩で上下させながら翔哉君が戻ってきた。

 羽織り方がわからないみたいで、服をマントにして遊ぶ子供みたいになっている。


「ああ、ちょうどよかった。お前からも話聞きたかったんだ」

「なんの?」

「お前、とぼけるのも――」

「私が田代さんのファンですって話をしてたんです」

「ん?」

「へー」


 軽い相づちを置いて翔哉君はコップに水を注ぐ。


 あれ、田代さん黙っちゃった。

 翔哉君に聞かれないように配慮してくれた――んじゃないな、たぶん。なんかすごく動揺してるし。


 視線が私と翔哉君を行ったり来たりしているけれど、口元は動くだけでなにも発さない。なにに驚いてるのかわからなくて、私もなにも言えなかった。

 そして田代さんは、翔哉君に話しかけることを選んだ。


「お前、ラビアンに出たことある?」

「なに? アラビアン?」

「アはいらない。雑誌」

「雑誌って――俺が出るわけないじゃん、モデルじゃあるまいし」


 コトンとコップの置かれる音。

 ラビアンは毎号買っているけれど、私も翔哉君を見た覚えはない。配信者特集なんて、やってたことないし。


 翔哉君の返答に、田代さんはなぜか深く項垂れた。


「田代さん?」

「……ちょっと待って、今整理してる」

「なにを?」

「お前も黙れ」

「なんで!?」


 八つ当たりのように吐き捨てられ、翔哉君が抗議の声を上げる。


 ……これは?

 なにか、うん、行き違いが生まれている気がする。


 でもなんだろう。なにがズレてるんだろう。

 田代さんは私が翔哉君のストーカーだと思ってて。それで私は田代さんのファンだって伝え――伝え?


 ……翔哉君のファンだと思われてる?

 あれ、私、田代さんのファンですって言ったつもりなんだけど、伝わってなかった? でもでも、雑誌で見たって言ったし、サイン会の話もしたよね? なのに?


 田代さんと顔を見合わせる。

 お互い、なんとなく言いたいことは伝わった。


「……翔哉」

「うん?」

「ちょっとコンビニ行って甘い物買ってきて。三人分。ついでに好きなお菓子買ってきていいから」


 翔哉君は鼻歌混じりに外に出ていった。


 今度は家にだれもいない、本当の二人きりだ。

 話し合うにあたって、テレビ前のソファからテーブルに場所を移した。


 田代さんと最初に二人きりになったときも、この椅子だったな。

 あのときは緊張でいっぱいいっぱいだったけれど、さすがにもう顔を見たくらいで緊張はしない。さっきと違ってテーブルがあいだにあるし。


 そもそも、さっきのあれはあまりにも近すぎだ。触れそうで触れない微妙な距離……今思い出すとちょっとロマンチックだったかも!


 そんなことを考える脳天気な私と違って、田代さんの表情は緊張感に満ちていた。

 やっぱり、深刻な行き違いがあったみたいだ。


「もう一回状況を整理するね。君は、だれのファン?」

「田代穣様のファンです」


 するりと様付けすると、気が削がれたみたいに田代さんの肩が落ちる。


「本当に俺のファンなの? 翔哉じゃなくて?」

「はい!」


 こればっかりは再考する意味がない。間髪入れずに肯定する。


「雑誌で拝見してからずっとファンです! サイン会も、楽しみにしてます!」


 なんなら昨日のショッピングはサイン会の下準備でした! とは言えないので省略する。ここでハードルを上げても意味がない。


「あ、うん。……そうだ、俺もサイン会あったんだった」

「翔哉君もあったんですか? サイン会」


 それならすれ違いの加速も無理はないけれど、田代さんは苦笑いを浮かべた。


「翔哉のことだって思い込んでたからさ……。

 ファッション雑誌のとこで気付けって話だけど」


 田代さんはそう自虐するけれど、私もすれ違いに気付いていなかったし、おあいこだ。ううん、推しの意図を読めなかった私が全面的に悪い。

 田代さんに迷惑をかけてしまうなんて。改めて、自分の愚かしさが身に染みる。


「すべて私の不徳のいたすところです。私が居座ったからこんなことに……!」


 やっぱり来るべきじゃなかった。来なかったら来なかったで涙を流していただろうけれど、罪悪感のベクトルと重さが段違いだ。


「そういえばやけに帰りたがってたね。ファンなら、家とか来たがるものじゃないの? 俺が言うのもなんだけど」


 自分のことだからか、少し歯切れ悪く田代さんが言う。


「来れて嬉しいですけど、先輩たちが先に帰ってしまったんで……。

 写真撮られてネットニュースに載ったりでもしたらどうしようかと」

「あー、そういうことか! なるほどね!」


 私の不自然な態度に納得がいったのか、田代さんがしきりに頷く。

 好きだからこその反応が、逆に嫌っているように見えるというあれだ。好き避け的な。


「全然わかんなかった。

 そもそも俺、ネットニュースになるほど知名度ないよ。恋愛NGってわけでもないし」


 杞憂だとばかりに田代さんは笑うけれど、私は首を横に振る。


「いいえ! 近所の人とかに見られるかもしれませんし!

 何年か後に拡散されたりしたら! 私は私が許せません!」


 このデジタル時代、人の噂は半永久的にネットに残ってしまう。

 今は世間的知名度がそこまで高くなくても、ちょっとしたきっかけで国民的人気を獲得する可能性はある。だってかっこいいし紳士だし。

 そしてそれは逆もしかり。人気というのは簡単に上がり下がりして、下がるとなかなか戻らない。例なんていくらでもある。


 そう。空は落ちなくても、星はいくらでも落ちるのだ。


 力説する私に、田代さんはわずかに目を逸らした。そして、伸びていた背筋をじわじわと丸めていく。


「えっと、ほんとに俺のファンなんだね。……なんだ、俺てっきり」


 引きつる口元を手で覆う田代さん。あっ、このポーズ初見かも。


「ごめん俺、ショウとなにかあったのかと思ってて……。

 ずっとあいつにくっついてたし、やけにかしこまってたし……」

「え、ええ!? くっついてなんか!」


 いったいどこを見て、と言いたくなったものの、田代さん視点で考えればそうなってしまうのかもしれない。

 田代さんと適切な距離を保とうとすれば、そのぶん翔哉君側に寄るか、翔哉君を挟むかしかない。ベランダで花火を見たときも、翔哉君あいだに挟もうとして不自然に動いちゃったし。


 そっか、そこだけ見たら私が翔哉君狙ってるみたいにも見えるんだ……うわあ、全然考えてなかった!


「あの、誤解で! そんなつもりは全然!

 翔哉君は橋本先輩の弟さんですし! 失礼がないようにと思って!」


 憧れにしている先輩の身内なのだから、粗相のないように振る舞うのは当然だ。それで言えば、推しの田代さんにも同じような態度だったのに。


「いや、だって、俺は年離れてるし。

 ……あー、ほんと俺バカみたい」


 誤解が解けていくたびに、田代さんの余裕が崩れていく。

 羞恥でじわじわと顔が赤くなっていく田代さんを見ていると、なんだろう、すごくドキドキする。モデルとしての完璧な姿からのこのギャップが、こう――たまらない。不謹慎だけど!


「ごめんなさい、変なことしたせいで余計なお気遣いを……」

「いや! ほんと君が謝ることじゃないから! 俺こそ変に勘ぐって変なこと言ってごめんね? うわー……ほんと恥ずかしい」


 よほど恥ずかしいのか、田代さんは両手で顔を隠してしまう。

 隙間から覗く頬の赤さとか緩んだ口元とか、これ以上ときめかせるのはやめてほしい。でもこっち見てないなら、こっちから見放題なんだよなあ。はー、好き。


 身もだえする田代さんを見つめていたら、田代さんがふと顔を上げた。バッチリ目が合ってしまって、さっと目を逸らす。

 人が苦しんでいる姿で萌えていたぶん、ちょっと後ろめたかった。


「待って。聞き流したけど、サイン会来てくれるの?」

「はい。……あっ、困りますか?」


 こんなことになっちゃったし、いやがられても文句は言えないよね。

 ここ最近の生きがいだったし、行けなくなったらすごく残念だけど、推しの迷惑になるくらいなら、潔く諦めるしか――


「まさか。すごくうれしい」


 苦渋の決断をしようとしていた私は即座に硬直した。


 お世辞抜きのはしゃいだ声。眉を下げたへにゃりとした笑顔。

 それだけでもすごい破壊力だった。だったのに、田代さんの顔は羞恥の余韻で赤面しているうえに、目が潤んでいた。こんなの、こんなの好きに決まってる!


「うああ」


 心臓がドッと鼓動を上げ、堪えきれずに大きく体をのけぞらせる。

 無理無理無理! こんなの真正面から受け止められない!


「え、どうしたの?」

「なんでもないです……」


 ちょっと頭がおかしくて心臓が爆発しそうなだけです――じゃなくて、心臓がおかしくて頭が爆発しそうになっています! さすがにもう慣れたと思っていたのに! 不覚! でも耐えなきゃ!

 力を振り絞って、なんとか姿勢を正す。


「絶対行きます……!」

「ありがとう。楽しみに待ってるね」

「こちらこそですぅ……」


 こうして平穏に終わったと思ったものの、そううまくはいかなかった。

 ううん、どちらかというと、うまくいきすぎたというか、心配してたのと逆になったっていうか……。


 この数日後、なんと、田代さんは初めての地上波テレビ出演を果たした。

 ほかの有名モデルの密着番組にモデル仲間として出た結果、撮影前の穏やかさと撮影中のかっこよさ、そして撮影後の気さくさから、瞬く間にファンを獲得してしまったのだ。


 うん、田代さんのギャップのすごさは私も知っている。よくこれを生で浴びて生き延びたなって自分でも思う。番組は当然録画したし、毎日繰り返し見てる。


 番組放送後から田代さんのSNSは数万単位でフォロワーが増えて、チャンネルも大盛況。一躍、注目モデルになってしまった。

 事務所側もその想定外の盛り上がりから、急遽サイン会の午前枠を作って参加人数を増やすも、サーバー瞬殺の大ラッシュ。

 私の持っているチケットも、一気にプレミアものになってしまった。


「まさかこんなことになるなんてね」

「うちの弟もびっくりしてた。田代さんとコラボした回、再生数跳ね上がってるんだって」


 先輩たちとはあの日以降も仲良くさせてもらっている。

 私が田代さんのファンだったことは翔哉君がバラしちゃったけど、どうりでガチガチだったわけだって恥ずかしい納得をされた。


「サイン会、せっかくだし気合い入れてかなきゃね」

「うち来てくれたらメイクするから。会場まであいつに送らせるし。

 女の子外泊させた罰」


 サイン会。サイン会、どうしよう。

 先輩たちが協力的で嬉しいけれど、ちょっと頭が痛い問題だ。


『明日、何時に迎えに行けばいい?』


 送迎役をお願いすることもあって、翔哉君と連絡先を交換した。

 翔哉君は橋本先輩の弟さんだし、配信者だけど芸能人じゃないから配慮しなくていいって先輩にも言われたけれど。問題は、翔哉君が田代さんの友達ということだ。

 つまり、私のことは翔哉君から筒抜けになっているわけで。


『タッシーが明日楽しみにしてるって!』


『最後尾になるように手配するから安心してねって』


『で、終わったら三人でご飯食べよ。てか、ねーちゃんにご飯奢れって脅されてる(笑)』


 に、逃げ場がない!


 私の逃げ腰具合はしっかりと覚えられていて、田代さん側がいろいろと配慮してくれている。

 でも、この配慮もなんか問題ありそうっていうか、特別感があるっていうか……バレたら処刑もので! ああもう! 全然心が落ち着かない!


 推しに会ってないのに帰りたい!



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