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混乱の翌日


 手早く寝間着を畳んで部屋を出る――前に廊下を確認する。廊下で鉢合わせしたら気まずいし。

 空き巣に入ったみたいな体勢になるから、これはこれで見られたらマズいけど。


 時計見る余裕なかったけど、まだ朝早いよね? ちょっと薄暗いし。

 さすがに廊下まではエアコンは効いてなくて、じわりと暑い。


 ソロソロと歩いて、リビングへのドアを開く。うん、ここは昨日いたとこ。

 見慣れた場所に出てホッとした私は無造作にドアを閉める。それに合わせてガチャリとドアが音を立てる。


「ん……」

「ヒッ」


 聞こえた声に小さく悲鳴を上げる。


 そうだそうだそうだ。翔哉君ここで寝てたんだっけ!


 今さらながら昨日の流れを思い出して、ソファへと目を向ける。

 私の立てた音が完全に引き金になって、翔哉君がもぞもぞと動き出している。カーテンは閉め切られていて薄暗く、衣擦れの音がやけに大きく響いた。


 な、なななんか夜這いに来たみたいな空気なってない!? 朝だけど!


 不純なワードを振り払って姿勢を正していると、ソファの向こうで翔哉君が起き上がった。音の発生源を探ろうと首を動かして、ドアから動けずにいる私に気がついた。


「おはよーござます……んー」


 伸びをする翔哉君。


 薄暗いのがなんだか怖くて、朝なのに部屋の電気をつけた。

 翔哉君も私がさっきまで着ていたスウェットを着ていて、脱いできてよかったって思う。お揃いの寝間着は生々しい。


「ふあ-、ねむ」

「おはようございます……」


 遅ればせながら挨拶を返すけれど、反応はない。

 寝ぼけてポヤポヤしてるみたいで、口元が尖っている。


「ちょっと、顔洗ってくる……」

「はいどうぞ!」


 音を立てんばかりにドアから離れる。

 翔哉君は無頓着に部屋を出て行った。


 あー、びっくりした。

 そうだよね、客間は私が使ってたんだからここしかないよね、悪いことしちゃった。


 よし、今のうちにカーテン開けていかがわしい雰囲気消そ!


 勢いよくカーテンを開ければ、夏の日差しが目を焼いた。

 健全健全、私がここにいなければすごく健全な朝!


 次はなにすればいいかな。

 翔哉君は顔洗いに行ってるし、田代さんはまだ起きてきていない。

 翔哉君が戻ってきたら私も顔を洗いに……あれ? 私、メイクちゃんと落としてたっけ……!?


 わたわたとスマホで顔を確認する。

 昨日顔を洗った記憶は全然なかったけれど、メイクは落ちている。すっぴんだ。


 んー、すっぴんかあ……! よかったけどよくないなあ……!

 化粧ポーチも直し用のしか入れてないし、これじゃポイントメイクしかできない。アイブロウとアイシャドウがないのは大きな痛手だ。


 こんなことなら、昨日大枚を叩いてでもフルセットを買っておくべきだったんだ。

 せっかく買った口紅も、ほかができないんじゃ意味ないし。


 うんうんと唸っているあいだに、翔哉君が戻ってきた。

 顔を洗ったらさっぱりしたようで、さっきまでのねぼけまなこもぱっちりと開いている。


「あー、目ぇ覚めた。外どんな感じ?」

「快晴です」


 私の返事を聞いてから翔哉君が窓に目を向ける。

 明かりを付けたままだったのを思い出して、慌てて消した。


「うわ、ほんとだ。昨日もだったけど暑そー」


 スリッパの音を立てながら翔哉君が冷蔵庫を開ける。


「あの、私も顔洗ってきますね」

「はーい。あ、タオルは上の棚にあるんで」

「わかりました、ありがとうございます」


 田代さんが来る前にと、手早く洗顔を終わらせてリビングに戻る。

 朝食を用意してるみたいで、トースターの音がした。


「小笠原さんパン何枚食べます?」

「え」

「朝食べない派?」


 尋ねながらも翔哉君は皿をふたつ出した。


「わ、私もなにか」

「いいよ、チーズトーストだから。塗って乗せるだけだし」


 それならサラダでも、と言おうとして、推しの家の冷蔵庫だったことを思い出す。

 推しでなくても、家人の許可なくあれこれ使うのは好ましくない。


「トースター二枚しか入らないんだった。とりあえず一枚ね」


 ペリペリとフィルムを剥がして、マヨネーズを塗ったパンにチーズを乗せる。

 それをトースターに入れて、ぐびりとリンゴジュースを飲んだ。昨日の道の駅ジュースだ。昨日開けた瓶は昨日のうちに飲み切ったはずだから、夜のうちに新しいのをどちらかが冷やしておいたらしい。


 香ばしいパンの匂いがしてきたと思ったら、トースターがチンと音を立てた。

 開けたらチーズの匂いもして、こんなときなのに食欲が湧いてしまう。


「いただきます」

「いただきまーす」


 考えなきゃいけないことはたくさんあるけど、今はとにかく食べておこう。腹が減っては戦はできぬっていうことわざもあるし。


 翔哉君はまだちょっと眠いのか、昨日よりも食べるスピードが遅い。昨日はガツガツ料理頬張ってたっけ。


 うーん、なんだろうこの感じ。近くも遠くもない、でもちょっと近づいた感じ。

 同じ部屋で同じものを食べるのってなんだか、なんかこう――


「なんか、事後って感じっすね」

「――」


 口から破裂音にも似たとんでもない音が出た。咄嗟に口を押さえるものの、押し込まれたパンが喉に引っかかって噎せかける。無理無理! ここで噴くのはやだ!


「え、大丈夫?」


 答える余裕なんてなかった。

 意地でパンを飲み込んで、ジュースで押し流し、そして翔哉君に非難の目を向ける。


「なんでそういうこと言うの……」

「いや、言わないほうがなんか気まずいかなって」


 確かに言ってもらったおかげでモヤモヤは消えたけど! あとちょっとで尊厳まで消し飛ぶところだった!


「もう……」

「ごめんごめん」


 お詫びとばかりにグラスにジュースがつぎ足される。

 翔哉君でさえこんなことを言うんだから、やっぱりさっさと帰らなくちゃ。


 でも、家主が寝てるあいだに帰るのも体裁が悪い。非常識人間のレッテルを推しに張られるわけにはいかない。なんて二律背反!


「田代さん、まだ起きないかな」

「音は聞こえなかったけど。

 でも、そんな時間かからないと思いますよ。俺と違ってちゃんと朝起きる人なんで」

「そう……」


 起こすわけにもいかないし、自然に起きるのを待つしかないか。


 息を吐き出した私を見て暇を持て余していると思ったのか、翔哉君が身を乗り出す。


「せっかくだから、ゲームして待ちません?」

「ゲーム?」


 翔哉君は昨日もたくさんゲームしてたけど。


「昨日は俺らばっかやってたでしょ? 小笠原さんもやりましょうよ」

「え、でも私、ゲームは……」

「対戦系じゃなくて。協力系のゲームなら二人でやれますし」

「あー」


 ゲームなんて全然やったことがないけれど、慣れてる翔哉君と協力なら遊べるかもしれない。それに、ゲームに熱中してれば時間なんてすぐに過ぎてくれる、はずだ。


「まずボタンの位置を覚えます。全部アルファベット書いてあるでしょ?」

「はい。……これ、なにかの頭文字?」

「全然。ここは左と右でLとRだけど」

「あ、ここにもボタンあるんだ。……ふたつもある」

「うわあ、すごくご新規さん。守らないと……」

「えっ、そんなに変?」


 あまりにも初心者丸出しだったようで、絶滅危惧種を見るような眼差しを向けられてしまった。お恥ずかしい。


 初心者でもわかりやすいゲームで遊んでいたら、田代さんがリビングにやってきた。


「おはよ」

「あっ、おはようございます」


 挨拶してから画面に向き直ると、操作していたキャラがいなくなっていた。

 あれ? え、もしかして今の一瞬でやられたの!?


「あー、タッシー着替えてる! ずっる!」

「お前も着替えられただろ」

「じゃあ俺も着替える!」


 固まってると、翔哉君がゲームを止めて立ち上がった。タイトル画面が表示される。


 田代さんはどんな寝間着だったんだろう。私たちと同じスウェットじゃないよね?

 いや、これは純粋に興味を持っただけで、けして同じメーカーの女性物を買って匂わせをしたいわけでは!

 スウェットのメーカーはもう確認済みだけど! そんなことより、二人きりだ!


 アワアワしながらコントローラーを離す。

 二人きりになってしまったうえに、田代さんが翔哉君の座ってた場所に座るものだから、緊張は一瞬にしてピークに達した。

 操作するボタンを教えてもらっていたとはいえ、こんなに距離が近かったなんて。


「ゲームしてたの?」

「はい……」


 うわあ声が裏返りそう! しかも私ノーメイクだし!

 ジリジリと距離を取り、目元を前髪で隠そうと顔を俯かせる。


 とにかく今はごまかしてごまかしてごまかすしかない。


「あの、此度はとんだご迷惑をおかけしまして……」

「此度」

「このお詫びはいつか必ず……必ず果たしますので……」

「なんで時代劇口調になってるの。今さら緊張してる?」


 今さらどころかずっとです! 寝て起きて、慣れのほうがリセットされただけです! なんて言えない!

 なんでこんな新鮮に緊張しちゃうんだろう! 好きだからだけど!


「昨日のあれはどう考えても翔哉のせいなんだからさ。むしろこっちがお詫びしなくちゃいけないくらい」

「そんな、翔哉君のせいじゃないです! 私がズルズルと居座ってしまっただけで……」

「あいつ庇わなくていいって」


 いいえ、本当に私が悪いんです。推しの誘惑に負けた私が!

 なんて言えるわけもない。


「あの、私、もう帰りますね」


 ソファの上のバッグを引き寄せる。客間からちゃんと持ってきといてよかった。


「ご飯食べてからにしたら?」

「食べました」


 よかった、翔哉君と一緒に食べておいて。推しの手を煩わせなくて済む。


「もう行くの? 翔哉と帰るんでしょ」

「電車もありますから、先に帰ります。翔哉君にもそう言っておいてください」


 これ以上なにか起こす前に、早く帰らないと。


 あれ?

 立ち上がろうと腰を浮かせたのに、ストンと腰がソファに沈む。


「あのさ」


 田代さんの手が肩を押したのだと気付いたときには、田代さんの顔が眼前にあった。


「なんでそんなに帰りたがるの?」


 至近距離で顔を覗き込まれる。

 鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離に、うっかりのけぞってしまった。

 まるで、やましいことがあるかのように。


 ないです! やましい気持ちはあってもやましいことはないです! あれ、やましい気持ちがあるんだからやましいことあるって言うの? わかんなくなってきた。


「あの、違くて」


 動揺が喉に引っかかって、か細い声しか出ない。

 推しとの距離との近さと、推しに疑われていることのふたつで体が強張ってしまう。


 そうなると田代さんの視線はますます険しくなるというこの悪循環! 演技力が欲しい! それか翔哉君早く戻ってきて!


 助けを求めるように視線を逸らすけど、足音どころか物音すら聞こえない。

 二度寝とかしてないよね!?


「なにかあった?」


 もはやこれは尋問である。なにかあると確信した声の響きだ。


 どうしよう。なにを疑われてるんだろう。 

 挙動不審すぎてなにか盗んだと思われてるのかな。それとも個人情報漏洩?


 あー、ダメだ。推しに疑われてるこの状況がきつい。

 泣きそうになるけど、ここで泣いたら罪を認めるようなものだ。罪なんてないのに。


「ごめんね、はっきりさせたくて。翔哉となにかあったりした?」


 田代さんの言葉に無言のまま首を振る。


 なんかやたらと翔哉君を気にしてるけど、翔哉君になにかしたと思われてる? え、翔哉君のストーカーだと思われた?

 翔哉君とはけっこう一緒にいたし、盗撮するタイミングはたくさんあっただろうけど――誤解です!

 未遂どころか考えてもないです! 冤罪! 冤罪です!


 とはいえ、弁明しようにも証明方法がない。

 このまま翔哉君のストーカーと認定されて、そのお話が翔哉君のお姉さんの橋本先輩に知られてしまったら――もう生きてはいけない。ふたつの意味で。


 窮地に追い込まれてなにも言えずにいると、田代さんが不意に立ち上がった。


「あ、あの」


 疑い晴れた? それとも保留? どっち?

 狼狽える私に、田代さんは優しい笑みを浮かべる。


「ちょっとショウに確認してくる」


 それはつまり私の終わりということですね!?


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