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特等席とその代償


 高層マンションのベランダから見下ろす、都会の夜景。

 眼前に広がる世界は宝石みたいに輝いているけれど、そんなことより推しの横顔がきれいすぎる! あああ、ふとしたときの憂い顔が! 雑誌で見たやつそっくり!


 そもそも私は、どこか遠くに思いを馳せるような田代さんの横顔に心を奪われたのだ。ドンピシャで好みの顔をされたら、とても正気でいられそうにない。


「ひゃー、たっかい! 花火どこ?」


 手すりから身を乗り出して、翔哉君が歓声を上げる。


「あっちのほう。ほら、なんかごちゃごちゃしてるだろ」

「あー、あれね! うわ、あれ全部人!? すっげ、姉ちゃんいるかな」


 小学生みたいにはしゃぐ翔哉君。つられて田代さんも笑顔になっている。

 よかった、あのままだったらどうにかなってしまうところだった。


「屋台っぽいものあったらよかったんだけどね。とりあえずナッツどうぞ」

「ありがとうございます」


 小分けパックのナッツ。やっぱりモデルは無塩ナッツ食べるんだ。

 田代さんが私のとなりに並びそうだったので、ソソソと奥に移動して翔哉君のとなりに立つ。うん、ちょっと不自然だったかもだけど、これでスクープの心配はない。


「あと一分!」


 翔哉君がスマホを見る。

 せっかくだから動画を撮りたいところだけど、推しの家でそんなことをするなんて匂わせ以外の何物でもない。SNSでも、自宅近くで撮った写真は投稿しないほうがいいってよく注意喚起されてるし、今日は目に焼きつけよう。あ、ナッツ美味しい。


「なった!」


 翔哉君がスマホから目を上げると、夜空に火の玉が伸びていく。パッと大輪の花が咲いて、それから音が爆ぜた。


「わあ……!」

「おー! 絶景!」


 色とりどりの花火が立て続けに上がっていく。距離があるぶん音がずれていて、テレビの中継みたいな雰囲気。それでも打ち上げから開花までバッチリ見えるこのマンションは、穴場中の穴場だ。遮るものがなにもない。


「なにこれ王の景色!? もう俺ここ住んじゃおっかな!?」

「おー、いいんじゃないか? 家賃折半な」

「ここ半分はきついって。シロさん大人なんだから多く払ってよ」

「お前も大人だろうが」


 二人が話しているのにかこつけて、こっそりと顔を盗み見る。

 暗がりのなか、花火の光に照らされる推し。服装はラフだけど、それもまたオフショットって感じでいい。翔哉君とセットだと兄感が増してさらにいい。


「あ、俺お菓子持ってくる」


 タイミング悪く翔哉君が後ろに引いて、推しとばっちり目が合った。

 さすがに動揺はしなかったけれど、二人きりだからまたちょっとスペースを空けた。


「花火、すごいですね」

「でしょ。毎年盛大なんだ、ここの花火大会」


 田代さんが缶ビールを煽る。

 開いた花火が色を変えて火花を散らしていく。キラキラと星のように輝いていた。


「あいつとは仲いいの?」


 花火の音に紛れそうな声で田代さんが言った。


「今日初めてです」

「そうなの?」


 聞き返されて、私は田代さんに顔を向けた。なんで意外そうなんだろう。

 なにか言おうとして口を開いたけれど、窓を全開にする音が空白を埋めた。


「ねえねえ、棚にあったやつ食べていい? なんだっけ、串に刺さった甘辛のイカ」


 翔哉君の声が響く。


「いいけど、なんでそんなつまみみたいなやつ――ってお前!」


 田代さんが声を荒げる。驚いて振り返ると、翔哉君が駄菓子の瓶を抱えていた。

 でも、田代さん――ううん、私たちが凝視したのは、彼が口に運んでいる――


「うわあ」

「なんで酒飲んでんだよ!」


 ――翔哉君が運転する車で帰る予定だったのに。

 数秒後の絶叫に、私は力なく崩れ落ちた。


「あああああ! いっけね間違えた! あー!」


 翔哉君の手にあるのはビール缶。しかもロング。

 私は免許持ってないし、田代さんもお酒飲んでるし、これで車で帰ることは出来なくなってしまった。


 しゃがみこんでしまった私とお酒を、アワアワと見比べる翔哉君。花火に照らされて赤くなったり黄色くなったり。私はさぞ青いだろうけど。


「やらかしたあー! 完全に泊まるつもりでいたわ、もう」

「あーあー」

「まだそんな飲んでないからセーフとかない!? 俺強いし! 今すぐ吐いたらOKになる!?」

「ならないよ。はあ……」

「ごめんて! ほんとごめんなさい! わざとじゃないです! あー、またやったー!」


 翔哉君が頭を抱えながら室内を動き回る。彼が騒げば騒ぐほど、嘆けば嘆くほど、花火の音がコントにしていく。


「ショウがごめん。代わりに送れればよかったんだけど、俺も飲んでるし――タクシー呼ぶね」

「いえ、電車乗って帰ります」


 ここまで来たら一人ででも帰るべきだ。翔哉君が泊まっていくというのなら、ちょうどいい。


「電車はやめたほうがいいよ。あそこにいる人たちみんなが押し寄せるから」

「あ」


 そうだ、花火大会やってたんだ。花火見てるのに忘れてた。

 高みの見物から一気に当事者になってしまった。


「迷惑かけてばかりだし、タクシー代くらいは出させて。

 な? お前もそう思うよな?」

「はい! 俺出します!」


 威勢のいい返事。事態の元凶だけど、素直だから憎めないんだよなあ。むしろ好きになってきたかも。


 解決策が出たところで、花火鑑賞を仕切り直す。

 変わり種の花火が増えていて、いろんなイラストが空に浮かび上がった。逆さまになっていたりするのもご愛敬。どれもよくできていて見飽きない。


「どうぞ」


 田代さんに駄菓子の瓶を向けられた。串に刺さったイカがたくさん。なんていうんだっけ、これ。


「いただきます」


 一本抜いて先っぽをかじる。噛み切れなくてもにゅもにゅするけれど、甘いたれがおいしい。ちょっとピリッともする。


「お祭りっぽいものないって言ったけど、これがあったの忘れてた。

 飲み物もお代わりいります? 取ってきますよ、こいつが。な?」

「おっす! 富士山の天然水でも汲んできまっす! とりあえず全部持ってきますんで!」


 翔哉君は止める間もなく走って行った。フリスビー投げられた犬みたいだ。


「お待たせしあっしゃっせい!」

「なんて?」

「ありがとうございます。えー、どれにしようかな」


 本当に全種持ってきた。いくつか転がる缶を、田代さんがさりげなく立てていく。


「これ、缶がおしゃれですね。サングリア?」

「そうだね」


 フルーツの絵が描かれた白い缶。度数も確認するけれど、そんなに高くないし大丈夫。


「お酒弱い?」

「そんなには。田代さんは強いですか?」

「まあまあ。だいたい介抱する側にまわるかな」


 田代さんも新しい缶を開けている。

 そういえばいつの間にかとなりに立っちゃったけど……ま、いいよね。せっかくだし。


 ちびちびお酒を飲みながら見る花火は、今までで一番きらめいて見えた。


 花火が終わって、ほろ酔い気分で部屋へと戻る。


 花火見たあとって、なんで光が全部花火みたいに見えるんだろう。光の余韻で、なんだかふわふわしちゃう。


「あー、だめだ。全滅かも」


 翔哉君がスマホを見て唸っている。

 私が見ているのに気がつくと、眉毛をへにょっと下げた。


「ごめーん、今探してんだけど、タクシーどれも満室……完敗? 全滅でさあ」


 サイトでタクシーを探してくれていたらしい。


「うう、やっぱこういうイベントごとのときってタクシー死ぬよなあ」

「車でも来れないし電車もあれだしな」

「交通規制とかもありそうですよね……」


 電車でギュウギュウか、タクシーで缶詰か。

 どっちにしろ、帰りは残念なことになりそうだ。


「よかったら、ここでご飯食べてく? 翔哉もいるし、元から宅配頼むつもりでいたから」


 この提案には驚かなかった。

 ご飯時だし、すぐに帰れそうにないし、休日イベント日の飲食店なんてどこも混み合ってるだろう。

 同じ立場なら私だってそう聞く。


「お言葉に甘えさせていただいてもいいですか?」

「もちろん。食べたいものある?」

「ピザ!」

「お前には聞いてないぞー?」


 いい笑顔で田代さんが翔哉君の頭を押さえる。

 酔ってきたのか、二人ともすっかり気を抜いた態度になっていて、私生活を覗き見してるみたいでドキドキする。


 ――そのあとのことは、あまり記憶に残っていない。

 酔ったら記憶をなくすタイプだった、とかそういうのじゃなくて、ふわふわした気持ちで楽しく過ごしただけなので、これといって特筆することがなかったのだ。


 ただ、起きたら知らないベッドの上だった、というだけで。


 やってしまった……。


 見慣れない部屋のなかで頭を抱える。

 幸か不幸かもちろん幸で、思い出そうとすればだいたいの流れは思い出せた。


 宅配のピザとか食べながら映画なんか観たりしてるうちにどんどん楽しくなって、泊まる流れになってしまったわけだ。

 素面だったら絶対に断っただろうけれど、アルコールを何缶か開けた私は、その流れに身を任せた。

 わかるよ、推しが言ったんだもん断らないよね、断って!


 じわじわと得ていく実感に頭を垂れる。

 楽しかったことは覚えているけれど、記憶はそこまで詳細じゃない。その証拠に、観ていたはずの映画の内容すらおぼろげになっていた。

 洋画で、アクションシーンがあったことは覚えている。つまりなにも覚えていないのと変わらない。


 私、失礼なこと言ってないよね? 絡んだりしてないよね?

 覚えていない記憶を思い出そうとするも、映画ですら忘れてるんだから自分の言ったことなんて無理だ。

 なんなら推しの言ったことですら覚えていないという万死。


 うん、とりあえず失態は犯していないと仮定しよう。うん、そうなると次に目を向けなくちゃいけないのが……うう、これからのこと考えたくない!


 朝だ。紛れもなく朝だ。

 カーテンの隙間からうっすらと日が差している。


 ここは客間らしく、部屋のなかに家具はほとんどない。私以外当然だれもいない。それでも。


 朝! 朝だよ! 若い女性がモデルの家に一晩泊まった! もうなにも言い逃れができない!


 誓って手は出していない――もとい、なにもしていないけれど、一般女性のその主張を信じる人間は少ないだろう。家のなかでなにがあったかなんて、外からは見えないんだから。


 唯一の救いは翔哉君の存在だけど、特別な関係性ではという疑いに対する対策にはなりえない。

 なにより、独身モデルである推しの家に泊まった一般女性Aに成り下がった自分が許せない。


 朝帰り……人気モデルの家から出てくる女性の姿……炎上……謹慎……うう、いやなイメージが次々と!


 そもそも、先輩になんて言おう。

 橋本先輩の弟さんとも同じ家で寝泊まりしたわけで、そっち方面でのバッシングも視野に入れなくちゃいけない。

 人気配信者が恋人を連れて人気モデルの家に遊びに行ったと取られたら――そちらはそちらで大炎上だ。なにより、先輩に申し訳が立たない。


 ああもう私の馬鹿! 歩いてでも帰ればよかった!


 そうだ、さっさと帰ろう。とにかく家を出よう。

 むくりと体を起こしてベッドを降りる。


 そういえば、寝間着借りた記憶はあるな。

 寝泊まりする人が多いから、たくさんスウェット買ったとかなんとか。うん、見た目イモいし、いかにもなにもありませんでした感!


 細かいことは帰ってから考えるとして、まずはこのマンションから離れなくては。

 発想がすでにやらかした人間のそれになっているけれど、構ってられない。

 もうこんなところにいられない! 帰らせてもらいます!

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