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芽生える危機感


 部屋にいるのは私と推しと先輩の弟さんの三人だけど、広いリビングだから擬似的に二人きりの気分になれる。


「てめえいい加減にしろよ!」

「上等だぁ! 脳みそぶち抜いてやるよ!」


「……あんなの夕方に再放送してるんだね」

「知らずに見たらびっくりしちゃいますね」


 テレビの怒号と銃撃戦の音が雰囲気をぶち壊しているけど、それがかえってありがたい。推しを前に、緊張感を保っていられる。


 そう、これは戦い。本性と理性の戦い。推しには、友達の姉の後輩として、当たり障りない人という印象を与えたい。それで、サイン会もうまく切り抜けたい。

 ここまで来たら、サイン会で別人として振る舞うのは不可能だ。整形レベルの大変身なんて、ハードルが高すぎる。


「コーヒー、温めようか?」

「あ……いえ、大丈夫です」


 推しの手を煩わせるわけにはと首を振る。


「もうぬるいでしょ。氷入れる?」

「えと、じゃあお願いします」


 あんまり断るのも印象が悪いよね。私がやりますって言いたいけど、それも出過ぎてる気がするし……加減って難しい!

 ありがたくカップを受け取ると、田代さんは冷蔵庫を開けて瓶を取り出した。白濁していて、見るからに高価そうな飲み物だ。


「それ、なんですか?」


 遠慮よりも好奇心が勝ってしまう。


「リンゴジュース。一口飲む?」


 そう言ってグラスを差し出す田代さん。……グラスの渡し方がバーテンダーみたいでかっこいい! 好き!


「冷蔵庫、ビールばっかなんだけどこれはこの前買ったばかりでね。美味しいでしょ」

「リンゴの味濃厚ですね。……あ」

「ん?」

「いえ、ごちそうさまです」


 こ、これ間接キスになっちゃう……!

 やったなこれ。もう言い逃れられない、私が犯人です。ファンに袋叩きにされても文句が言えない。なんで口付ける前に気付かないかなあ! いっそこのまま飲み干して……ダメだ、推しに変人って思われる。


 精一杯のフォローとして飲み口を指で拭い、そのままグラスを田代さんに押し出す。

 田代さんはもちろん意識なんてしていない。……うん、反対側から飲んでるしセーフ! 限りなくアウトだけどセーフ! もう二度としないと神に誓うから許してください。ジュースも一ダース買います。


「これ、どこで購入されたんですか?」

「どこだったかな……」


 贖罪のために尋ねると、田代さんが瓶をひっくり返した。腕の筋に目がいってしまうけど、それは許してほしい。不可抗力。


「ああ、地方で撮影したときに道の駅で買ったんだ。東北だったんだけど」

「道の駅ですか」


 地方で撮影というワードに反応しそうになるのを根性で押さえる。今日は理性を押さえつけてばっかりだ。


「あとで調べたいんで、瓶の写真撮ってもいいですか?」

「そんなに気に入ったの? それ、まるごとあげるよ」

「いえいえ、そんな」


 お願いだから優しくしないでください。さらに罪を重ねたくない!


 間違っても推しを盗撮――もとい、映り込みさせないよう、だれもいないドア側に向けて写真を撮る。匂わせも大罪なので、拡大機能も駆使してラベルだけを正確に撮影した。

 うん、これは配慮。できたファン。


「道の駅っていろいろな名産品が充実していますよね。旅行に行くと私も寄ります」

「俺もそう。行って仕事して帰るだけじゃもったいないし。

 でも、それで買いすぎて余るんだよね」

「あー」

「人に配るにも、そこまでの量は買わないからね。遊びに来た人にこうやって振る舞ってる感じ」

「だから食器が多いんですね」


 SNSのアカウントもフォローしてるけど、確かに交友関係は広かった。私が見てないだけで、先輩の弟さんとも繋がってたんだろうな。


(ちょっとドラマ長くないかな)


 推しと話せるのは幸せだけど、そろそろドラマが終わってもいい頃合いだ。なのに、まだ銃声が続いている。

 こんなに撃ってたら、どっちも全滅しちゃいそうなんだけど。


 もう十七時過ぎてるよね。最終回スペシャルだったとか、そんな感じ?

 そう思ってテレビのほうを見たら、つられて顔を動かした推しが、あることに気付いた。


「お前、なにゲーム始めてんだよ!

 ……あ、ごめんね?」


 突然声を荒げたからびっくりしたけど、すぐに優しい口調で謝られた。……待ってギャップで死んだからもう一回お願いします。


 弟さんは隠し事が見つかった子供みたいに肩をすくめる。

 よく見たら、テレビ台の下に据え置きのゲーム機がいくつか置いてあった。


「なんか銃見てたらやりたくなってさ」

「お前なあ。お前が車運転しなきゃ、小笠原さん帰れないだろうが」

「ああそっか! すんませんっ」

「いえいえお気になさらず! 予定とか全然ないんで! どうぞどうぞ!」


 ……初めて推しが名字呼んでくれたー! 

 その興奮もあって、勢いよく首を振ってしまう。ナイス、弟さん。ありがとう、弟さん。


 それに、翔哉君は橋本先輩の弟さんだから、翔哉君にも気を遣わせたくない。うう、忘れてたけど私全員に気を配らなきゃいけないんだ……! なんて窮屈な!


「せっかくだから見てきません? タッシーもアドバイスちょうだい」

「しょうがないな……」


 前言撤回、推しがゲームやってるとこ見られるなんて最高すぎる。

 田代さんが翔哉君のとなりに座ったから、私は横にある一人掛けのソファに座った。なんて特等席。


「興味あります? こういうの」

「やったことはないですけど、動画とかちょっと。弟さんがやってるのも、ちょっとだけ見ました」

「マジで!? ありがとうございます、ついでにアカウントのフォローもお願ぁい!?」

「撃たれてる撃たれてる」

「わわ、大丈夫ですかこれって」


 目を離した瞬間に撃たれて弟さんが悲鳴を上げる。

 ネット対戦だから、相手はコンピューターじゃなくて生身の人間だ。つまり、隙を見せれば――


「マジで! マジでヤバい狙われてる!

 あの、ほんと俺頑張るんでアカウントフォローお願いします! 頑張るんで! こっからどうにかしますんで、やめてぇぇー!」


 焦りのあまり身体ごと動いてる。


「おい馬鹿、乱射すんな! そういう武器じゃねえだろ!」

「だって! だっていいとこ見せたいから!」

「ああああの、大丈夫です! 私、もうアカウント登録してます! してますから!」

「ほんと!? やった――てああああああああっ!」

「やったなお前」


 歓喜の声が絶望の咆哮に変わる。これがゲーム。これが戦場。

 項垂れながらリベンジを乞う翔哉君に、私は頷くしかなかった。


 ゲームにはあまり詳しくないので、翔哉君が七転八倒しているあいだに用語なんかの補足を田代さんにしてもらう。

 翔哉君の名誉のためにも言っておくと、今操作しているキャラクターは田代さんの設定したキャラクターなので、翔哉君には扱いづらいキャラクターらしい。とはいえ、どんなキャラでもそれなりの動きが出来なくちゃと、それとなく発破をかけられていたけれど。


 なんか、兄弟みたいなやりとりでよかったなあ。翔哉君相手だとちょっと口が悪くなる感じもまた格別。


 トイレに立ったついでに表情筋を緩めておく。じゃないと、ずっとヘラヘラしてしまいそうだ。


 ゲームを眺めているうちに時間が経っていたようで、廊下が薄暗くなってきている。このままだと夜になるな――と思ったところで、ハッとした。

 これ、もしかしてまずいんじゃ……!?


 ――モデルの田代穣さん宅から女性が出てくるところを激写!

 ――炎上! 売り出し中のモデル、自宅に女性を連れ込みか!?

 ――サイン会を前にファン激怒! モデル田代穣、その女性遍歴!


 ネットニュースで見かけたことのある見出しが浮かび、ザッと血の気が引いた。

 昼間は先輩たちも一緒だったから全然考えもしなかったけど、先輩たちがいない今、外に出たら……!


 ううん、落ち着こう。いくらなんでもネガティブに考えすぎ。

 暗くなってきたし先輩たちもいないけど、まだ十九時にもなってないし、第一翔哉君が一緒に――事実を捏造されたら?


 衝撃の発想に廊下で立ちすくむ。


 そうだよ! 翔哉君が写らないように撮られたら二人きりになるし、写真じゃ夜何時かなんてわかんないよね!? ネットニュースなんて、証拠なくてもすぐに交際とか破局とか言い出すし……おのれマスコミ!


 まだなにも起きていないのに、早くもマスコミへの怒りが込み上げてくる。


 油断してた。先輩たちと一緒に帰ればよかった。翔哉君には悪いけど、あのときテレビを切ってもらうべきだった。

 どっちにしろ、モデルの家に一般女性が一人だけというのはあまりよろしくない。翔哉君がいるだけマシだけど、長居しちゃいけなかったんだ。うう、ファン失格。猛省します。早く帰ろう。

 そう決心してリビングのドアを開ける。


 翔哉君はもうゲームをやめていた。よし、これであとは帰るだけだ。

 そう思ってドアを閉めると、田代さんが私に笑顔を向けた。絶対にこの笑顔を曇らせたりはしない。


「小笠原さん、そろそろ――」

「はい、そろそろ――」


 お暇いたしますと私が口にする前に、田代さんは窓を指差した。


「花火上がるんで、ベランダ出ません?」

「お、い?」


 断じて、推しにおいと言ったわけではない。お暇のおいまで言ったところで、かみ合っていないことに気付いたのだ。


「は、花火?」

「あれ、今日花火大会あるんだけど知らなかった? そのつもりで今日来たんだと思ってたんだけど」


 知りませんでしたけど。え、花火大会?

 もしかして、先輩たちのデートって、花火デートだった?

 言われてみれば先輩たちがやけに交通情報や混雑を気にしていたような……。うわあ今さら。


「うちのベランダ、ちょうど花火が見えるんだ。せっかくだし、花火見てから帰りなよ」

「なんでそれ黙ってたんだよー、知ってたら友達連れてきたのに」

「だからだよ。それに去年は撮影で家空けてたから」


 田代さんがビールの缶を空ける。


 推しの家で、推しと一緒に花火を見られる。このシチュエーションを断れる人がいるだろうか。


 ……ま、まあ、もうどうせ夜だし。一時間でなにか変わるわけでもないし。

 なにより、この状況で帰りますって言うの不自然すぎるよね! しょうがない! ウキウキしてるのは花火が楽しみだからです! うん!


 そんなわけで、私の決意はいったん保留になった。



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