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05 全ての妻よ、さようなら



「えっ?」


 ここで話を変えられるとは思っていなかったようで、二人は不思議そうに私を見た。


「実は……さっき産婦人科に行ってきたの。ほら先日人工授精したでしょ?」


 私の言葉に宏斗は大きく目を見開き、百合は途端に顔色が変わった、涙も止まったようだ。二人は私の手元にあるノンアルコールビールに視線をうつす。私が一杯目はいつもビールだということは二人はよく知っているはずだ。


「二人の間に子供ができたって聞いて、言わないでおこうかともすごく悩んだんだけど……」


 私がうつむくと「ま、まさか!」と宏斗のうわずった声が聞こえた。

「ちょっと宏斗」焦ったような百合の声が聞こえる。少しだけ視線を上げると、百合は宏斗の服の裾をぎゅっと掴んでいる。


「ごめん、冬子。それなら一度三人でしっかり話し合おう。冬子だけが諦める必要はないんだ」

「宏斗……!」

 百合の悲鳴のような声が聞こえるけれど、きちんと言わなくてはならない。


 私は封筒から書類を出して、二人の目の前に提出した。


「こ、これは……?」


 エコー写真が出てくるとでも思ったのだろうか、文字だらけの紙が出てきて面食らっている。でもさすがに少し見れば、何かの検査結果だとわかっただろう。


「これは精液検査の結果よ」


「せい、えきけんさ……?」


 初めて言葉を覚えた幼児のように二人は言葉を繰り返した。


「あの日カップに出してもらったものは、人工授精に使ったんじゃなくて検査をさせてもらったの」


「な、なんて……?」


 二人は驚きと疑問が先に出てきたようで、なぜ私がこの話をするのか理解できていないらしい。察しの悪い二人に説明することにする。


「結論からいうと、宏斗は無精子症なの。精液の中に精子がいないのよ」


「えっ」


 二人の声がきれいにハモった。さらに説明を続けることにした。


「だいぶ前に私がフーナーテストという検査をしたのを覚えてる?まあ宏斗は覚えてないでしょうね、宏斗が何かする検査ではないし。性交後に私の子宮の入り口にある粘液中の精子を採取する検査なの。

 あの時は宏斗を気遣って『精子を殺す抗体がないか等を調べた』と説明したけど『どれくらい精子がいるのか見る』検査でもあったの」


「まさか……」


 宏斗は何も言えなくなっていたので、その言葉を発したのは百合だった。


「そう、その時も精子はいなかったの。私もまさかと思ったし、宏斗は私に原因があると決めつけて協力もしてくれなかったから結局のところはわからなかったの。でもどうしても知りたくて……今回精液検査をさせてもらった。やっぱり精子は全く見られなかった」


 二人をちらりと見ると、顔面蒼白のまま固まっていた。やはり私が悪者みたいだ。


「宏斗は子供を欲しがっていたから伝えなきゃと思ったの。でも、二人の間に子供ができたって聞いて……ごめんなさい、言うかどうかは迷ったんだけど」


「つまり……」


 震える声で宏斗が呟いた。今度は百合が喋ることができなくなったらしい。


「百合のおなかにいるのは、誰の子だろうね」


 宏斗がすごい勢いで百合の方を向くけれど、百合は震えたまま宏斗を見ようとせずうつむいたままだ。


「でも私は答えを知ってしまったの」


 私は鞄の中から写真を数枚取り出した。二人の男女がうつっている。


「探偵を百合にもつけていたの。宏斗とデートしていると思ったんだけど、まさか部長がここで出てくるとは思ってなかった」


 写真で百合と腕を組んでホテルに入っていく男は、私と宏斗の元上司であるウェブ広告部の部長だった。


「部長って……嘘だろ」


 宏斗は写真を穴が開くほど見つめているが、百合は写真を見ようとはしなかった。覚えがあるのだから、見なくても問題ないだろう。


「百合お前二股かけてたのか?俺と……」


 宏斗は百合を睨んでいるが、妻が目の前にいるのによくそんな事を言えたものだ。


「部長との子ができたから俺になすりつけようとしたのか!?」

「ち、違う!これは、別れ話をするために会っていたときのものよ……!だいぶ前に別れたけど、ずっと部長に付き纏われてて困ってたの!私が好きなのは宏斗だけ!」

「じゃあなんで子供ができるんだよ!別れ話するためにホテル入る必要もないだろ!」


 二人は私の前で醜い喧嘩を始めた。手持ち無沙汰になってしまい食事をしながら待っていようかと思ったが、そういえばもう前菜を食べ終えてしまったのだった。次の料理をお願いしてもいいだろうか?


「俺は、自分の子供がほしいんだ。部長とお前の子供なんていらない」


 宏斗はいつか私を見下ろした時と同じ目で百合を見ていた。

 話が長くなりそうなので部屋に備え付けてある注文用の電話から、この後の料理を一気に持ってきて欲しいと料理をお願いした。もう前菜からかなり時間がたっているので料理はあらかた出来上がっているだろう。



「……子供なんてウソなの、ごめんなさい宏斗。子供ができたなんてウソ。冬子が人工授精したって聞いて、子供ができたら私を選んでくれると思ったから……」

「それこそウソに決まってる」

「本当よ」


 百合は自分のスマホを取り出すとフリマアプリを開いた。二人の会話に初めて興味がわいて上から覗いてみると、エコー写真の売買のやり取りが残っていた。フリマアプリはこんなものまで売っているのか。


「買ったの、アプリで」


 やっぱり百合の妊娠はウソだった。つい三日前に百合がお酒をぐびぐび飲んでいたことを他の同期から聞いていた。

 百合は最低な女だが、バカな女ではない。妊娠しているのに飲酒するとは思えなかった。


「うわ、気持ち悪いなお前。そこまでするか?」


 宏斗は青ざめて吐き捨てた。百合の涙は止まらないが、今度こそ本当の涙だろう。


「だって、宏斗が好きなんだもん。本当に好きなの、入社した時からずっと好きだったの」

「部長と付き合ってたんだろ?」

「宏斗が冬子と婚約して……ヤケになっててその流れで……でも、本当に宏斗だけなの……」


 百合は宏斗の肩に縋りながら崩れ落ちて懇願している。それを横目に私は店員さんから料理を受け取った。さすが高級割烹、個室ではこういうシーンもよくあるのだろうか。修羅場のど真ん中で平然と配膳をしている。


「子供ができてないなら、百合とは別れる」

「どうして!?冬子と別れるって言ってくれたじゃない!」

「それは子供ができたからだろ?」

「愛してるって言ってくれたじゃない」

「はあ……わかるだろ。会社の飲みの後に気軽に会える、それだけだよ」

「酷い!」

「酷いのはどっちだよ!子供が出来たなんて騙して、部長とも二股もかけて!」

「でもどうせ宏斗は子供できないじゃない!」


 しばらく二人で言い合いを続けていたのだが、その言葉には宏斗も黙って、その場はシンとなった。

 次々に色々判明して、自分の無精子症のことを忘れていたらしい。


「なあ冬子、俺には冬子だけなんだ」


 黙々と食事を続けていた私の席まで宏斗がやってきて隣に正座をした。


「不倫していたことは申し訳ないと思ってる、でも俺が本当に愛してるのは冬子だけなんだ。子供がいなくても冬子となら楽しくやっていけると思う」

「……宏斗っ!」


 百合まで私の方にやってきて、宏斗に後ろから抱きついた。


「私は子供がいなくてもいいっ!宏斗さえいれば!」


 また盛り上がってきて安いドラマを始めた。まだご飯とデザートは残っているが、このままここにいても仕方ないだろう。


「ごちそうさまでした」


 私は手を合わせてから、机の上に出していた写真や書類を集めようとして百合に阻止された。百合は部長との写真を握りしめる。


「部長の奥様にも同じもの送っているから大丈夫よ」


「……この悪魔っ!」


 百合が初めてみる形相で私を睨んだ。その顔のほうが悪魔じゃない?と嫌味を言ってやりたがったがさすがにこらえた。これ以上無駄な会話をする必要もない。


「宏斗、離婚届が家に置いてあるからサインして提出してくれる?」

「冬子っ、お願いだ!もう一度チャンスをくれないか?」


 立ち上がった私の足に宏斗が縋りついている。


「ああそうだ、マスメディア部の部長にも写真はお渡ししてきたの」


 二人は顔を見合わせると今日一番の顔色の悪さになる。


「あなたたちの部長は私の配属が決まる前の教育係をしてくださってたでしょう?相談してみたの、夫の接待や出張が多すぎて不安なんですって」


「そこまでやるのかお前は……!」


「あら、二人が会社の名前を使って写真を送ってきたんじゃない。だから相談しただけ。△△社の吉崎さんにもクレームを入れておいたよ、土日に取引相手を連れ回すなんて今どきハラスメントに当たるんじゃないですか?って」


「……っ!」


「△△社の吉崎さん、適当な名前を作ったと思っていたけど、本当にあなたたちの担当の方だったんだね。人の名前、勝手に使ったらダメですよ」


 私は吉崎さんからいただいた名刺を二人に渡してあげた。もっとも吉崎さんはおじさんではなく、三十代くらいの女性だったけれど。結婚指輪もしていたかしら。


「明日、吉崎さんがいらっしゃるそうだから対応お願いね。ああ△△社って、大手代理店にコンペで勝った大きな案件の会社だっけ」


 二人はもう何も言わなかったから、私は個室を出た。

 廊下を歩き出すと、しばらくして宏斗の怒号と百合の金切り声が聞こえてきたけど気にしない。ああでもやっぱりデザートは食べたかったなあ。



・・



駐車場に出て、車に乗り込む。

もう二度と家に帰らなくてもいいように荷物は詰め込んで来ていた。


ハンドルを握る手が震えていることに気づく。

二人の前では絶対に泣きたくはなくてなんとかこらえていたけど、ボタボタと涙は止まらずに落ちていく。

今夜は気丈に振る舞えたけれど、今日までどれだけ絶望したことか。よくぞ悪役女優を演じきったと自分を褒めてあげたい。


人に自分の意見を言う。弱気な私にとってそれは大きなことだったけれど、本当はこんなことで勇気を出したくなかった。

でも、ようやく言えた。

今まで宏斗に言われるがままで、百合にバカにされるだけで、何も言えなかったけど。


これからの私は、自由だ。


もう一度仕事をしよう。自分のために生きてみよう。

いつかは恋だってまたしてみたい。

つまらない妻はもう死んだのだ、新しい自分になるんだ。


夜の道を走る。他の車のライトがびゅんびゅん通り過ぎていって気持ちがいい。BGMのボリュームをあげた。このままどこまでも走っていける気がした。

最後まで読んでいただきありがとうございました!


この話は連載 異世界でもレスられてますの前日譚です。

冬子が転生した先の異世界ラブストーリー連載も始めました。

ざまぁやドロドロもない異世界ラブコメなので全く雰囲気は異なるのですが、よければそちらも読んでいただけると嬉しいです。


ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] 冬子ちゃん、友達だと思ってた人が旦那の浮気相手だなんて辛いよね…サレ妻にされるだけでも精神的に死にそうなくらいキツイのに…浮気も不倫も不治の病だから離婚(絶縁)して正解だよ。 なのに、異世界…
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