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03 サレ妻

 

 妊活を始めてから一年半経った。時間は過ぎたけれど、結局ちゃんと挑戦できたのは半年くらいじゃないだろうか。

 ハートのスタンプは無視されてばかりだし、排卵日以外の行為も一度もなかった。


「パートでもしようかな」


 いつしか通院もしなくなり、完全に暇になってしまった。

 また正社員になって、好きな仕事をする。本当はそうしたい。

 でも、妊娠した時の事を考えてしまう。今は通院もしていないけれどまた通って、すぐに出来たら……?すぐに辞めなくてはならないかもしれない、宏斗は出産と同時に辞めて欲しいのだから。


 私は……?私はどうしたいんだろう。

 ぼんやり考えていると、百合からメッセージが届いていた。


『飲んでるよ!今日は◎◎社とです!』

 宏斗と三十代らしき男性が笑顔でうつっている写真も同時に送られてきた。


 あのレシートたちを発見した後、百合とランチする機会があった。

 それとなくマスメディア部の出張や接待について聞いてみたのだ。頭がいい百合はすぐにピンときたようで「もしかして不倫を疑ってる?」と尋ねてきたから、私は素直にレシートの話をした。


「そのレシートとか領収書まだある?私が社内予定と照らし合わせてこようか?過去のも見れるから」


「ううん、もう捨てちゃって」


「うーん、本当に出張とか接待めっちゃ多いんだよね宏斗。ノリがいいから取引先に気に入られてて。今同じ△△社の案件担当してて一緒に行くことも多いからわかる。結構直前でその日の予定が変わることも多いから、冬子に伝えてる内容と変わっちゃうのかも」


「そっか、そうだよね……」


「そうよ、冬子は営業でもうちの部でもなかったからわからないと思うけど。あ、そうだ!これから接待とか出張の時は私が一緒の時は報告するよ。どうかな?」


「ありがとう、助かるよ」


 というわけで週に二回程、百合から宏斗の写真が送られるようになった。

 大衆居酒屋で楽しそうにスーツ姿の人たちとうつっている姿、接待で使った高級な寿司屋や割烹料理店の料理、新幹線で眠っている宏斗の写真等だ。

 証拠にはなるけれど、充実してイキイキしている姿を見ていると心臓がドキンとする。


 私は今、何もない。子供ができたらこの生活も変わるのだろうか?

毎日育児に追われて今のこの暇な時間がうらやましく感じるのかもしれない。もう一度産婦人科に行こうかな。



 そう思いながら私はスマホでクレカの明細を確認していた。

 宏斗は百合が送ってくれる日以外も、帰ってこない日は多い。平日に一緒に夕食を取れるのは一日くらいで毎日帰宅は遅い。もちろん本当に残業や接待、出張もあるだろう。


 レシートはもうポケットにつっこまなくなったけれど、クレカの明細を見ればいいだけだと確認している。こんなふうに疑ってしまうのはよくないのだけど。

 でも、明細にはやっぱり違和感しかないものがある。間違いない、宏斗は浮気をしている。


 ……もし、私たちの間に子供がいれば宏斗は変わってくれるのだろうか。



 ・・


 久々に宏斗が夕食の席にいる。今関わっている企業がどれほどすごい企業なのか、こないだ撮影したモデルがどれだけ可愛かったのか、そんな自慢話をご機嫌に話している。


「ああそうだ、今度の土日車使っていい?△△社とゴルフに行くんだ。他県まで行くから泊まることになって、運転手役を頼まれてるんだ」

「うん……いいよ」


 土日どちらも出かけるのは初めてかもしれない。今までそこだけは気を遣っていたのか日曜日は家にいたのに。ついにそこまで宏斗の中で私の価値が下がってしまったのだろう。


「私もお願いがあるの」

「何?」

「人工授精をしてみない?」


 私は立ち上がって、袋からカップを出して宏斗の前に置く。病院からもらってきたものだ。

 ここに採取した精子をいれて、病院に提出して直接私に注入することで受精させる方法だ。

 本当なら病院で採取したいところだが、宏斗が了承するとは思えない。


「ええっ、人工授精……?」

 宏斗はすぐに顔をしかめたけど、今日は私も引く気はない。


「だってほら、もうずっと挑戦できてないでしょ。病院でおすすめされたの。宏斗はすごく忙しくて排卵日に家にいないことも多いから……宏斗をパパにしてあげたいの。一度だけでいいからチャレンジしてみよう、お願い」


 宏斗は少し驚いた顔をしている。私がここまでハッキリお願いするのは初めてかもしれなかった。

 でもどうしても……欲しい。私は自分でもびっくりするほど必死な声を出していた。


「まあ確かに、俺も忙しいしな」

 宏斗はもう厳しい顔をしていなかった。「冬子がそんなに言うなんて珍しいな」と笑顔すらある。


「だって……どうしても、欲しいんだもん」

「そうか、俺も協力するよ」


 久々に宏斗の優しい声を聞いた気がする。土日に出かける後ろめたさから来たものかもしれなかった。




 ・・



「あ、よく録れてる。今時のはすごいなあ」


 つい独り言をつぶやいてしまうほど、音のクリアさに感動する。

 私は車から回収したボイスレコーダーから先日の土日の会話を聞いていた。

 ()()()()()()()()()()に相談をしたときに、車の内容を盗聴するのは問題ないと聞いていたのだ。


「おはよう。迎えに来てくれてありがとう」という声は女性のもので、「おはよう」と返すのは宏斗。そこから新たな人間の音声が入る様子はない。もちろんうまく録音できなかったわけではない、それ以上誰も乗らないのだから当たり前だ。


 接待ゴルフなんて嘘っぱちで、やはり女との旅行のようだ。

 ああでも、ゴルフのアリバイはきちんと作ったんだっけ。せっかく二人きりの不倫旅行なのにわざわざゴルフ場に寄って写真撮影をしたのだろうか。


 私はスマホの画面を見る。宏斗と五十歳くらいの男性がゴルフウエアでうつっている写真だ。ご丁寧に日付看板と共に撮影している。


『△△社の高崎さんと!』画像を送ってきた百合のメッセージに笑いが込み上げる。

 ゴルフ場で初めて出会った知らないおじさんを、△△社の高崎さんという人物に仕立てるなんて面白いことをする。


 今まで、取引先との食事だから安心してと百合は毎回送ってきたけれど、そんな食事会は存在していない。毎回百合とデートしていただけの話だ。不倫相手は百合なのだから。



 しかし笑えたのはそこまでだった。ボイスレコーダーはずっと二人のどうでもいい世間話をながしていたけれど、冬子、と私の名前が出てきたので意識を耳に集中させた。


「さすがに土日の接待は冬子も怪しまなかった?今どきそんな接待させるとこないでしょ、△△は働き方がホワイトなことも売りなのに」

「ないよなぁ。でも百合が毎回写真送ってくれてるおかげで全然疑われてない。冬子は俺のこと大好きだからな。健気に俺の子供が欲しいって泣いてたよ」

「げ、かわいそ。シてあげてないんでしょ?ひどすぎ鬼畜だ」

「百合がそれ言うか?」

「だってウェブ広告部の部長が言ってたけど、冬子が退職前に担当してた企画が成功したらチーフに昇格する予定だったんだよ。そんな冬子を辞めさせておいて最低」


最低と言いながら百合はくすくす楽しそうに笑っている。


「へえそうなんだ、じゃあ辞めさせるのはもうちょっと稼いでもらってからでよかったなー」

「ほんと最低」

「でもさ、治療は金がかかるんだよ。今度、人工授精するらしいよ。それならシなくてもできるらしい」

「えっ、本気じゃん。宏斗そんなに子供欲しいの?」

「前から言ってるだろ。めちゃくちゃ欲しいって。冬子なんて選ぶんじゃなかったよ。まさか子供ができない女なんてなー」

「まあ宏斗と冬子が結婚したのは正直驚いた。他の同期もありえないって言ってたよ」

「家庭的な気がしたんだよ」

「ね、私が宏斗の子供産んであげるよ。体力に自信あり、どう?」

「じゃあ今日作るか!」


 二人の笑い声が耳に響いてそれ以上は聞いていられなかった。私はトイレに駆け込んで思い切り吐いた。

 二人の関係にはすぐに気づいたし、二人で旅行に行ったのは想定内だったけれど、ここまでバカにされているとは思っていなかった。


 でも、それもあと少しの辛抱だ。あと半月もたてば、きっと。

 大丈夫、大丈夫。私は自分に言い聞かせた。



 ・・


 それからひと月ほどたった昼下がり。

 産婦人科を出た私の足取りは軽かった。先生に渡されたものをぎゅっと抱きしめた。


 早く宏斗に伝えたいな、そう思っているとスマホが震えた。


『大事な話があるから、今夜夕飯を食べに行かないか』

 宏斗からのメッセージだ。既に予約までしてくれているらしい、お店を検索してみると接待で使いそうな完全個室の割烹料理屋だ。


 こんなところで何の話をするのだろう。でもちょうどいい、私だって大事な話がある。


 指定された時間まではまだたっぷりある。うんと素敵な新しい服を買おう。そう思い立って私は近くのショッピングモールに進んだのだった。

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