第八話 魔導書見つけて、まぁ~どうしょ?
(八)
「で、『サキエル』ってなんなん?」
カッシュは、思い出したように咲季に問いかけた。マドラガダラの魔導書を手に入れた少女と猫は、この神殿の中で最初に目覚めた場所に戻り、しばしの休息を取っていた。
「ああ。現世で『ドラゴンファンタジスタ2』をプレイするときに使ってた、私のキャラクターネームよ。咲季でエルフだから、サキエル」
「ふーん。なんや、そのまんまやな」
「そのまんまでいいのよ、こんなの」
そう言いながら咲季は、膝の上に乗せた魔導書を開いていた。どうやら今度は何事もなく、自由にページをめくることができるようである。カッシュは彼女の肩の上に飛び乗ると、ほっぺに顔を寄せてその本をのぞき込んだ。
「んあー、いくら博識なワイちゃんでも、これはムリやなー。ぜんっぜん読まれへんわー」
そう言いながら、カッシュは咲季の方を見た。
「……読めるん?」
「……読めるわね」
ページに視線を落としたまま、咲季は答えた。
「なー、なんで読めるんや?」
「そういえば、なんで読めるのかしら」
魔導書に記されているのは、まぎれもなく数万年前の超古代文字である。学校では英語や古文の成績もトップクラスの咲季ではあったが、とてもそんな知識で太刀打ちできるような代物ではない。
「超古代文字やぞ? 王立魔法学術アカデミーの教授たちがガン首そろえて解読したって、百年かかってもこの一冊訳し終わらへんでこれ」
「へー、そうなの? すごいわね、私」
と、まるで他人事のように言う咲季。あくまで、文法や単語が読み取れるというわけではない。文字を目で追っていると、その意味が自分の頭の中に直接に響いてくるように理解できる。言ってみれば、そんな感覚だった。魔導書に魅了されるかのように熱中する咲季の様子を、カッシュは不思議そうに見つめていた。
「ホンマ、大したもんや」
怪しげな超古代文字の羅列をまじまじと見つめすぎたせいか、気分が悪くなってきたカッシュ。咲季の肩から降りると、後ろ肢で頭をかきながら言った。
「ひょっとしたら、これはこの世界に転生したときに身につけた、ジブンの固有スキルかもしれへんで」
「固有スキルって、超古代文字の解読が?」
「せや。いくらスーパーウルトラレア級の魔導書が手に入ったとしても、中身を読まれへんかったらけっきょく無用の長物やしな。魔導師にとっては、ある意味最強のスキルやで!」
「最強かぁ……。うん、イイ響きね!」
バタン! と魔導書を勢いよく閉じながら咲季は、いやサキエルは、「一流の魔導師」への思いを新たにした。
「ほんで、その本にはどんな魔法が載ってはるんや?」
「うん……ざっと流し読みしたかぎりだけど、ほとんどが攻撃魔法みたいよ」
とりあえず重要アイテムも手に入れたということで、咲季とカッシュは古の神殿をあとにし、近くの街を目指すことにした。なにしろ、これからどこへ進むにしても、まだなにも手がかりがない状態なのである。神殿の外には、新緑の生い茂る深い森が続いていた。
「攻撃魔法か……。次元転移魔法のことが書いてあったら、そこであっさり目標達成やったんやけどなあ」
「ま、さすがにそんなうまくいかないでしょ。……それでさあ、カッシュ」
「なんや?」
「使ってみたいんだけど、これ——」
咲季は、マドラガダラの魔導書で顔を隠すようにしながら、それでも隠せない心の底から湧き上がる笑みを抑えつつ言った。
「魔法か?」
「うん! でも、魔導書の呪文を唱えるだけで、魔法って使えるものなの?」
カッシュはその場で立ち止まり、すこし考えてから言った。
「どやろな。エルフやったら、誰でも多少の魔力は持ってるもんやし、とりあえず使えはするやろ。とはいえ魔法ちゅうもんは、使う者のレベルしだいで効果も威力も段ちがいやさかいな」
「そっか、うーん……」
手にした魔導書のページをパラパラとめくりながら、思いをめぐらせる咲季。
「べつに気にせんと、適当に使ぉてみたらええがな。ホンマもんの魔法は、ディスプレイ越しのゲーム画面にかけるヤツとは迫力がちがうでぇ!」
「そうね、よぉし……」
「待て待て! こっち向けて撃つなや?」
まっすぐ自分の方に目がけて、なにやら呪文を唱えようとしていた咲季を、カッシュはあわてて制止した。
「冗談よ」
「冗談に思われへんのやけど。……あー、向こうや向こう! あっちの崖のほうにしぃ!」
カッシュが指差した方角は森林が途切れ、切り立つ崖を見下ろすような地形となっていた。空中に向かって放てば、山火事を起こすようなこともあるまい。
「あと、はじめはなるべく軽めのヤツにしとき。『火球魔法』とかな」
「はいはい」
咲季は、マドラガダラの魔導書のページをめくると、そこに記された呪文を静かに詠唱しはじめた。それは、はじめて魔法を使う少女のものとは思えないほど、堂に入った姿であった。
「——火球魔法!」
呪文を唱えおわり、右手を前に突き出す咲季。しかし火球どころか、火花ひとつ飛び散らない。
「……出ないわよ?」
「……出ぇへんなあ」
首を傾げつつ、咲季はいまいちど魔導書のページを読み直そうとした。しかしカッシュは元・魔導猫として、たしかに彼女に魔力の発動を感じていた。
だが、そのときだった。突如として、上空にぶあつい黒雲が沸き起こったかと思うと、そこから真下に目がけて無数の火の玉が乱射されはじめたのである。
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
ドシュドシュドシドドドドドドドドド
「お、おいサキ、なんやこれ!」
瞬く間に、崖の下は灼熱の炎に包まれた。カッシュは、目の前で繰り広げられる壮絶な爆撃シーンになすすべもなく、呆然と立ち尽くしていた。
「あ、もしかして……」
そのとき、魔導書を読み返していた咲季が、衝撃の台詞を放った。
「いまの、『火球魔法』じゃなくて、『焼夷弾魔法』だったかも……」
「なんやってぇーー?」
続く