第六話 謎めいた神殿、どこ怪しんでんの?
(六)
「ねえカッシュ、いまさらなんだけどさ」
「ん? なんや、サキ」
咲季とカッシュは、大理石のような素材でつくられている、この神殿の中を注意深く探索していた。ふたりはかれこれ三十分近く歩き回ったが、静まり返ったこの建物の内部には、人っ子ひとり見当たらない。そればかりか、動物や魔物といったたぐいが生息している形跡すら、どこにもなかったのである。
「ここ、いったいどこなの? 古い神殿みたいだけど、生き物がいる雰囲気がまったくないし……」
剣と魔法のRPGなどという世界に転移してきた以上、なによりも魔物との邂逅をもっとも警戒していた咲季だったが、どうやら当面その心配は必要なさそうだと感じていた。
「さあ」
「え?」
「ワイにもわからん。あんときは急場しのぎで、行き先をちゃんと指定せずに転移魔法を使ったさかいな。ほとんど適当や」
「適当って……」
咲季は、カッシュの言葉にあきれたように反応した。その歪んだ視線を感じ、思わず口を尖らせるカッシュ。
「そう言うけどなジブン、地下迷宮の岩壁ん中に実体化せんかっただけでも儲けもんやと思わなあかんでしかし」
まあ、この魔導猫の弁解にも一理ある。ひとまず自分を納得させるとともに、今後のことを考えると、ため息をつかずにはいられない咲季だった。
「この神殿に、見覚えはないの?」
「それがなあ、まったく見たことも聞いたこともないねん、こんなトコ」
頼りない口ぶりのカッシュに、咲季はつい言葉を荒げる。
「なによ! ついさっき、この世界のことは『隅から隅までよう知っとる』って言ってたばかりじゃない」
「ああ、それはその通りや」
「えっ? どういうことよ」
困惑する咲季を前に、カッシュは腕組みをしながらつづけた。
「考えてみぃ、これだけの規模の大理石の神殿やで? 普請も装飾もかなりのモンや。それなのに、数百年生きとる魔導猫のこのワイがぜんぜん知らんっちゅうのがそもそも大問題なんや」
「ということは……?」
「おう。この神殿、絶対なんかあるで。そこらの探索者がひっくり返るような、どエライ秘密がな!」
「秘密……」
咲季はカッシュの言葉を噛みしめながら、にぶい光を放つ神殿の壁を見回していた。
「そう言えば、ずーっとこの神殿をマッピングしてて気づいたんだけど」
「マッピングやて? なんやサキ、いつの間にそんなことしとったん?」
ふと振り向いて咲季が発した台詞に、カッシュは驚いたように聞き返した。
「見たとこ、ペンもノートも持ってるようには思えへんのやけど、どないしてるんや?」
「ううん。べつに、書くものは必要ないの。これがあればね」
そう言って咲季は、自分の頭を指差した。そこには日本中の高校生たちがうらやむほどの、超高性能な脳細胞が詰まっているのである。
「私、はじめての場所に来たときには、つい周りの様子を記憶しながら歩いちゃうのよ。ちょうど、デジカメで連写した風景を保存するみたいに」
「ホンマか! なんか、グーグルマップのストリートビューみたいやな」
「それに、無意識に歩数をカウントする癖もついてるし。だから私、一度通った道はまず迷わないの」
「へーえ、さすがやなあ」
「それくらいじゃないと、この『ドラファン2』の探索者としては生きていけないわよ」
「ほーん。そんで? ベテラン探索者のサキちゃんは、いったいなにに気づいたんや?」
茶化すようなカッシュの口調はあえて気にせず、咲季は目前の壁をコツコツと叩きながら話を続けた。
「ここ。ちょっと見るとわからないけど、この部分だけ微妙に寸法がおかしいのよね」
「そうけ? んー、ワイにはよぉわからんけどなあ」
咲季はその大理石の壁に顔を近づけ、表面をなでながらじっくりと観察した。
「この壁の奥、きっとなにかあると思う。……ねえ、どっかに固いものないかな?」
「カタいもの? そりゃなんちゅーたって、ワイの石頭やろ! こう見えて、ワイのスーパー頭突きはこれまでにも名だたるモンスターを……お、おい、なにすんねん」
そう話す途中のカッシュを無言で引っつかむと、咲季はそのままカッシュの体を抱え上げ、壁のその一点に狙いを定めた。
「ウソやろ? ——や、や、やめええええええええ!」
パキィッッッ!
予想よりも数段乾いた音を立てて、カッシュの頭が思いっきり叩きつけられた大理石の壁にヒビが入った。そのヒビは瞬く間に壁全体に広がり、まるでガラス窓が割れるようにあっさりと崩れ落ちた。
「なるほど。さすが、自慢の石頭ね」
「おう、言いたいことはそれだけか」
前肢でおでこをさすりながら、カッシュは恨み節を口にした。だが、咲季が思ったより彼がくらったダメージはさほどでもなかったようだ。魔法を失ったとはいえ、カッシュもただの猫ではない。
「ごめんね、カッシュ。でも、ほら。おかげで中に進めるようになったよ」
「んあぁ?」
咲季とカッシュは、崩れ落ちた壁のかけらを踏みしめながら、その奥に隠された空間へと慎重に歩みを進めた。その中心には、やはり大理石でできた台座のようなものがあり、そこに置かれていたのは——
「これは……本?」
「本やな」
一冊の、本だった。
続く