第五話 進め! 目指すはエルフの大魔導師
(五)
「よっこらしょっと」
カッシュはそう言って、おしりを大理石の床にぺたんとつけて、胡座をかいた。そのまま腕組みをして、咲季を見上げている。それにしても、つくづく人間っぽい(というかおっさんくさい)猫である。
「で、さっきの次元転移魔法の件やけどな」
「うん」
咲季は相槌を打ちながら、自分もその場にゆっくりとしゃがみこんだ。
「べつにワイは、アンタにウラミがあるわけでもイジワルしてるわけでもないねん。ホンマのホンマにでけへんのや」
「どうして?」
「それや」
そう言いながらカッシュは、長く尖った咲季のエルフ耳に前肢を近づけた。彼女は思わずその耳を、両手で覆って隠すような仕草を見せた。
「あのトラックに轢かれそうになった瞬間、ワイはとっさに次元転移魔法を使うたんや。せやけど、そもそもあの魔法は、もっとゆっくりじっくり時間をかけるもんなんや。でも、とにかく泡食ってたさかいなぁ」
咲季はカッシュの話を聞きながら、事故の瞬間を思い出していた。カッシュを抱きしめたときの、あの感触がよみがえってきた。
「たしかに、次元転移そのものは成功した。けどな、同時にワイの魔力が、残らずぜーんぶアンタに吸い取られてしもたんや」
「それで、私はこの姿に?」
「せや。魔力を取り込んだ影響で、転生してもうたんやな。おかげで、こっちの魔力はカラッカラ。いまのワイは、ただの可愛らしいネコちゃんやで」
このコッテコテの関西弁のトラ猫が可愛らしいかどうかはともかくとして、状況は思った以上に深刻であることが咲季には理解できた。
なお、ここでカッシュの言うところの『魔力』とは「魔法を使う能力または技術」のことであり、「魔法の原動力」たる『魔法力』とは意味が異なるため、注意されたい。
「それじゃ、私はどうしたら元の世界に戻れるのよ?」
「せやから言うたやろ? こっからは厳しい話やって」
カッシュは二本足ですっくと立ち上がり、咲季の方に向かって指を、いや爪を差した。
「サキ、ジブンが次元転移魔法を使える一流の魔導師になるしかないんや!」
その言葉を聞いても、咲季はだまってうつむいたままだった。
「あー、サキちゃん? ワイの方からのお知らせは以上なんやけど……聞いてはる?」
彼女の感情がまた爆発するのではないかと思ったカッシュは、あわてて咲季から目を逸らした。
「あー。ま、たしかに急な話やし、アンタにもそれ相応の心構えちゅーのもあるやろうしな。いや正直ワイも、こういう事態に巻き込んでしもうたのは悪かった思うてるで? ホンマに。でもなあ、こっちもべつにワザとやったわけやないんやさかい。それによう考えてみたら、あのときジブンが飛び込んで来ぃひんかったらこんなことにはならんかったんちゃうか? それで挙げ句の果てに、ワイの魔力が丸ごとアンタに吸い取られてもうてるんやからなぁ。言うてみたら、むしろこっちの方が被害者? まであるでこれは」
そこまで早口でまくし立てると、カッシュはおっかなびっくり咲季の顔をのぞき込んだ。彼女は鬼気迫る鋭い目つきでカッシュをにらみ返すと、つぎの瞬間、両手を広げてその小さな体を抱きかかえた。
「うわああああ! ゴメンなさい! 許したってぇ!」
必死で命乞いをするカッシュに、咲季はひと息吸ってからこう宣言した。
「やる! 私、この世界で、エルフの魔導師になる!」
それはカッシュがはじめて見た、咲季という少女の満面の笑みであった。
「それじゃカッシュ、行くよ」
「は? ど、どこ行くんや?」
静まり返った大理石の神殿の中、歩みをはじめた咲季に、小脇にがっちりホールドされたままのカッシュは不安げにたずねた。
「なに言ってるの。一流の魔導師になるには、冒険をこなして経験を積むしかないじゃない。いつまでもこんなとこにいたって、レベルなんて上がんないでしょ?」
「そらまあそうなんやけど……なんや、ジブンめっちゃやる気なってるやん」
「そりゃそうよ! だって……」
そう言って咲季は、思わずこみ上げてくる喜びを全身で表現した。
「なんてったってここは、剣と魔法のRPG『ドラゴンファンタジスタ2』なのよ! いままでずっと憧れてた、モニターの向こう側の世界にようやく来ることができたんだもの。しかも種族は、私がいちばん好きなエルフ! もうホント、なにもかも最高の気分っ!」
初対面のときから、クールで無愛想な女の子だとばかり思っていたカッシュは、ようやく咲季の性格の一部がわかったような気がして、すこし安心した。そして安心ついでに、少々意地悪な質問が口をついて出た。
「ほーん。せやったら、当然コレもわかってるんやろな。この『ドラファン2』は、いちど死んだら終い。消滅や。二度と復活はないで」
「——わかってる。望むところよ」
そう言って、咲季は決意の微笑を浮かべた。そこに、不安や迷いは微塵もない。それはまさに、ダイヤモンドのように強固にして純粋な輝きだった。
女子高生の小娘をビビらせるつもりだったカッシュだったが、咲季の自信に満ちあふれた表情を見て考えを改めた。カッシュは身をよじって咲季の腕から抜け出すと、そのまま彼女の前に立った。
「サキ、ワイは魔法を使われへんようになってしもたけど、この世界のことは数百年も昔から、隅から隅までよう知っとる。これからは、一蓮托生や!」
「うん。よろしくね、先輩!」
少女と猫は、握手のような指切りのような、不思議なタッチを交わした。
続く