第二話 筋金入り? 狩り暮らしの純情乙女
(二)
学園の不動のアイドルとして、押しも押されもせぬ存在である宝条咲季にとっての唯一の趣味。それがゲームである。いつもと同じようにヘッドセットを装着し、コントロールパッドを手にすると、彼女はお気に入りのゲームチェアにゆっくりと体を沈めた。
「さてっと。今日もイッパツ狩りますかね♪」
宝条咲季のゲーム歴は長い。幼少期から留守がちだった両親は、孤独な一人娘のために最新型の家庭用機と数本のゲームソフトを買い与えた。しかし運動神経と反射神経に優れ、なにより頭脳とカンが人並外れた咲季には、小学生相手のアクションゲームなど文字通り「子供だまし」にすぎなかった。
「んー、まあヒマつぶしくらいにはなるかも」
手持ちのタイトルをすべて攻略してしまうと、咲季はネットを駆使してつぎなる強敵を探しはじめた。やがて彼女は、とてつもない完成度ととんでもない難易度を誇る名作・傑作・珍作・怪作がこの世の中に潜んでいることを知る。
「え? ちょちょっ、こんなの無理無理ー!」
それはただ単に、制作者側すら意図しなかったほどに調整不足の一本にすぎなかったのかもしれない。しかし、咲季にとっては生まれてはじめての挫折であり、耐えがたい屈辱であった。
「……こんどこそ、絶対に、クリアしてやる」
一度はじめたゲームは、どんなに理不尽な難易度であってもエンディングを見るまで絶対にあきらめない。攻略本や解説サイト、口コミの類には決して頼らず、あくまで自力で進めていく。目的は「早解き」ではなく、作り手の真意を汲み取ったうえで隅々まで遊び尽くす。咲季にとってゲームとは、自身が乗り越えるべき試練であり、自己を高めるための修行の場になっていった。
「ふう。今回は、ちょびっと手間どったかな」
咲季は、ひとたびエンディングまで到達したゲームソフトは、パッケージの中に丁寧に戻したあとで、一室をそれ専用にあてた膨大な保管庫の棚へとしまいこむ。そして以後、そのゲームをプレイすることはない。彼女にとってそれは、狩人が獲物の一部を蒐集することに等しい行為だった。
「さてと、つぎは……コイツを食ってやるか」
こうして世にも美しい、筋金入りの最強ゲーマーが爆誕したのである。そしてこのことは、親友の結子だけでなく、周囲の誰もが知るよしもない咲季だけの秘密であった。
そして、咲季がいまもっとも熱くプレイしているのが、この『ドラゴンファンタジスタ2』である。オンライン接続を前提としたロールプレイングゲームであり、いわゆる剣と魔法の世界を舞台にした中世ファンタジーだ。
……と聞くと、いかにも掃いて捨てるほど存在する凡作のように思われるかもしれない。しかし、この『ドラファン2』はその内容の難解さと鬼畜さから「伝説の鬼ゲー(大半の評価はクソゲー)」呼ばわりされている、いわく付きのタイトルであった。
とにかく、自由度が高く作り込みがハンパない。なんでもあるし、なんでもできる。それが、この『ドラファン2』に魅せられた廃人たちに共通する意見だ。
だが、プレイヤーにはこの空想世界で生き抜くために、なによりもまずゲームキャラクターそのものになりきることを要求される。荒野は危険に満ち、街角にさえ安息はない。一日を生きる術は、自分の力で見つけるしかないのだ。適当にAボタンを押していれば敵を倒せてレベルが上がって話が進んでいくような、昨今の甘っちょろいゲームとは根本から異なっているのである。
「これをクソゲーって言うヤツがありえない」
しかし実際のところ、咲季の境地に至れるプレイヤーはそう多くはない。ほとんどが序盤にして、このゲームの無情な高難度の前に命を散らしていく。そして一度でも死んだらやり直しはきかず、それまでのプレイすべてが登録情報ごと失われる。問答無用の鬼仕様に、心折られたプレイヤーは「クソゲー」の烙印を押して去っていった。
咲季はいつものゲーム画面を見つめながら、今日学校で起こった出来事を反芻していた。
「今日は直接告白してきた子、たしか三人だったっけ」
「いつものこととはいえ、悪いことしちゃったな……」
「でも……」
「男子と付き合うのなんて、私には絶対無理だから!」
えーっと、そろそろお気づきだろうか?
「ダイヤモンドの処女」などと評される宝条咲季。煌びやかな外見からは想像もつかないかもしれないが、その正体は重度の人見知りで、極度の恥ずかしがり屋であったのだ。周囲から注目を浴びれば浴びるほど、男性から好意を向けられれば向けられるほど、純情かつ奥手な彼女は内へ内へと籠っていく。
さらに悪いことに、その本心がまったく表情にあらわれることのない特異体質のせいで、しだいに咲季は学園における孤高の存在となっていったのである。
(はぁ……)
決して、悪気があるわけではない。傷つける気なんて、さらさらない。しかし咲季は男子を前にすると、「ごめんなさい」の一言すら出てこなくなってしまうのだ。だから、せめて、一ミリも興味がないように振舞うしかなかった。
「……いいんだ、私は。もう一生、ゲームだけやって生きていくんだ」
咲季は、ソロプレイ専門の探索者だ。彼女はほかの誰ともパーティーを組むことなく、凶悪な魔物たちを淡々と屠っていく。無論、それは茨の道には違いないが、やはり咲季には一人が性に合っていた。
「よぉしっ、やっとレアアイテムゲットぉ!」
恵まれてるけど、ままならない。そんな己の性分を振り払うかのように、クエストに没頭する咲季。こうして、彼女の一日は『ドラゴンファンタジスタ2』とともに更けていくのであった。
つぎの日の朝。どんなにゲームで徹夜しても、咲季は寝坊も遅刻もしない。家政婦の用意してくれた朝食をとり、いつもの時間にいつもの通学路を歩いていく。
「はよはよー、咲っ季ちゃーん」
「ゆうぼー、めずらしいじゃない。どうしたの?」
「へへー。今朝はちょっと早く目が覚めちゃった」
いつになく得意げな結子と並んで、交差点で信号待ちをしていたそのときである。咲季の前の横断歩道を、一匹の猫がふらふらと通り過ぎていった。それは赤い首輪をした、足と尻尾の先が白い、トラジマ模様の猫だった。
「ねえ咲季ちゃん、あのコ……」
「!」
信号の変わりばな、急角度で左折してきたその大型トラックに、ちっぽけな猫の姿が見えていたかどうかはわからない。だが咲季の体は、考える前に動いていた。気がつけば彼女は、横断歩道の上でその猫を抱きかかえていた。
キキィーッ!
運転手が急ブレーキをかけたその刹那、辺り一面が白くまばゆい光に包まれた。
「さ、咲季ちゃんっ!」
それから、どれほどの時が流れたのだろう。仰向けのまま目をゆっくりと開けた咲季の顔を、あのトラジマの猫がのぞき込んでいた。猫は、小さな口を開いてこう言った。
「おう姉ちゃん、生きとるか?」
続く