第十七話 ショッピング・マニアは眠らない。
(十七)
「サキぃ〜〜〜〜、まだか~~~~、まだなんかぁ〜〜〜〜」
この店に入ってから、カッシュはもうかれこれ何十回となく、延々とこの言葉を繰り返していた。そして咲季からの返事は、ただの一度すらも発せられることはなかった。
店の主人はカッシュの言いつけどおり、倉庫に眠っていた最高級の魔導師の衣装を、あらかた咲季の前に取り揃えてみせた。咲季はそれらを一着ずつ手に取り、縫製や色合いに加えて、材料の丈夫さや肌触りに至るまで、こと細かく吟味していったのである。その表情は、まさに真剣そのもの。うっかり不良品や紛い物をつかまされることのないよう、レーザービームのように鋭い眼光を発し続けていた。
「これは発色は悪くないけど、ちょっとここの縫い目が甘いわね。でも、あっちのほうは……」
小さい声でそうつぶやきながら、衣装を取っ替え引っ替えしては、何度もなんども見比べつつ確認を繰り返す咲季。当初こそ彼女を笑顔で見守っていた店主も、早々にあきれ果てた様子で奥に引っ込んでしまっている。
「あーぁ、オンナの買い物はこれやさかいなぁ……。付き合わされる方は地獄やでまったく」
ため息混じりに、そう言って嘆くカッシュ。二人は午前中に入店したはずだったが、窓から差し込んでいた暖かな日差しは、いつしかとっぷりと暮れていた。
「なぁ〜〜〜〜……」
試着室の前の床の上で寝そべりながら、身長が三倍くらいに伸びに伸びていたカッシュに、はじめて咲季が言葉をかけた。
「……これに決めた」
「ホンマ?」
跳ね起きたカッシュの目前でカーテンが開き、一着の衣装をまとった少女が姿をあらわした。「熟練魔導師・サキエル」の名にふさわしく豪奢にして威厳があり、そしてなによりも、美しかった。
色は闇夜のような黒を基調に、魔術を司る赤と、高貴さを印象づける紫。けっして派手ではないが、さまざまな紋様や装飾が、名のある職人たちによって細部に至るまで入念に施されており、なんとも見事な逸品である。職業柄、堅牢な鎧兜を纏うことのかなわない繊細な魔法使いの身が、神秘なる霊力によって十重二十重に護られていることを、あたかもこの衣装が体現しているかのようだった。
「どうかな、カッシュ……?」
「っはぁーっ! ええやんええやん! よう似合ってんでぇ、サキ!」
咲季はちょっと照れたような表情で、頭にかぶっていた帽子のつばに指をかけた。幅広で、比較的オーソドックスな形状のとんがりハットも、咲季のつややかな黒髪と長い耳によくフィットしている。小脇にマドラガダラの魔導書を携えたその姿は、どこへ出しても恥ずかしくない立派な迷宮探索者であった。
「おお、なんとも勇壮かつ優美なお姿です、お嬢様! 長年この商売をしておりますが、この衣装をここまで華麗に着こなせる方を、私は知りません」
ふたたび姿を見せた店主は、最大限の賛辞をもって咲季を褒め称えた。その表情は、ほぼ言葉通りの礼讃が九割。あとは、難儀な客がようやく帰ってくれそうになったことに対する安堵が一割といったところか。
「ほなご主人。これぜーんぶ、いただいてくでぇ」
カッシュは金貨の入った袋を開け、衣装その他もろもろの代金の支払いを済ませた。どれもこれも一級品だけに金額も一級品であったが、当の咲季は鏡に映った自分を見ると、あらためて満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございました、エルフの魔導師様!」
深々と頭をさげる店主をあとに、カッシュと咲季は店の外に出た。
「ふーん。あの主人、さすがに『またのお越しを』とは言わへんねんな。まあ、無理もないか」
「なんで?」
「そらそやろ! ジブン、その服選ぶのに八時間かかってんねやで?」
正確には、八時間二十七分三十六秒である。
「ウソぉ? ……あー、ごめんねカッシュ。私、ああいう高級品を見はじめたら、止まらなくなっちゃうのよ」
顔の前で手を合わせて謝意を表す咲季に、カッシュはやれやれといった表情を浮かべた。
「まあ、気に入ったんが見つかったんならええわ。もう夜も更けてきたし、どっか泊まる宿でも探そか」
「え? なに言ってんの?」
「は? なにってなんや?」
カッシュの言葉に対し、咲季は衣装の裾を掴みながら声を荒げた。
「だって、まだ魔導師の衣装をひと揃い買っただけじゃない! これから次元転移魔法を見つける旅をするっていうのに、装備やアイテムもなにひとつないのよ?」
どうやら咲季は、まだまだ買い物を続ける気でいるようだ。王都アリアスティーンが誇る中心街の大通りには、探索者向けに深夜まで開けている店舗も多く、中には二十四時間営業の食堂や雑貨屋すら存在していた。そのせいか、日没を過ぎてもなお人通りは賑わいを見せ、昼間と変わらぬ繁華な雰囲気に満ちていた。
「って、マジかいや……」
咲季の無限品定めに、どうやら一晩中付き合わされることが確定し、頭を抱えるカッシュ。だがそのとき、かすかに香ばしい風が彼の小さな鼻をくすぐった。
「ん? なんやこの匂い」クンクン
「どしたの? カッシュ」
「こ、これは……砂糖醤油の匂いやっ!」
そう叫ぶと、カッシュは人ごみの中へと駆け出していき、そのまま姿を消した。大通りの真ん中に一人残された咲季は、肩をすくめると一回だけため息をついた。
「……まあいっか。お金はあるし」
そう言って咲季は、賑やかな看板がひしめく商店街へと足を向けた。
続く




