第十話 鬼ヤバすぎる魔導師、ここに参上!
(十)
果てしなく続くと思われた咲季の焼夷弾魔法だったが、実際には数分でその攻撃は止んだ。頭上を覆っていたあやしげな黒雲は、いつしか霧散してしまっていた。
「さて、火も収まったみたいだし、そろそろ見に行ってみる? カッシュ」
「うう、気が進まんなあ……」
崖下をのぞき込もうと、慎重に歩みを進める咲季。
「もしもやで? 目の前に死屍累々の惨劇が広がってたら、どないしょ? あーもうワイ、とても見てられへんわ」
カッシュは、両前肢の肉球で自分の目を覆うようにしながら横を向いた。咲季はその仕草を見て、正直はじめてこの魔導猫のことを「可愛いっ♥」と思った。適当っぽく見えて、意外と繊細な性格の持ち主である。
「……うわー、ホントに死屍累々だわ」
「マジか! もー言うたやんほらー!」
崖の下の様子を確認する咲季に、悲鳴のような声を上げるカッシュ。
「でもアレ、どうやら人間じゃないみたいよ?」
「なんやて?」
そう、焼夷弾魔法によって焼き尽くされたのは魔物。これまでに多くの町や村を襲ってきた、悪名高きオークやゴブリンたちの一団だったのだ。
数十分かかって、二人はようやく崖のふもとまで下りてきた。ちょうど、草野球のグラウンドにでもしたくなるような広さの原っぱに、オークとゴブリンからなる連合軍の死骸がいたるところに転がっていた。
生きたまま全身を焼かれた彼らは、みな苦悶と絶望の表情をむき出しにしていた。そのおぞましく焼け焦げた肉塊と、鼻を突くような強烈な臭気は、まさに地獄と呼ぶにふさわしい惨状であった。
「いったいどういうことなの、これ? 武装したオークとかゴブリンだらけじゃない」
「せやな。魔物の軍団やろうけど、こんなに大規模なんは『ドラファン2』でもかなりめずらしいで。軽く百匹以上はおるやんけ」
吐き気がこみ上げてくるような死臭に耐えつつ、気味の悪いバケモノたちの死骸を踏まないようにしながら、咲季とカッシュはこの一帯を見て回った。
「うわっ、なにこれ! すごく大っきなのがいるよ!」
咲季は、ひときわ巨大な魔物が横たわっているのを見つけた。ほかの死骸と同じく緑色の肌はドロドロに溶け、骨や内臓の一部が露出しているのさえ確認できる。牙は抜け落ち角は折れ、燃えずに残った鋼鉄の棍棒だけが、ついさっきまで生きていたこの怪物のケタ違いの武力を物語っていた。
「ああ、どうやらこいつがオークの頭領みたいやな。そこらの村を襲っとるうちに、こいつらの軍勢もこいつ自身も、ここまでふくれ上がってもうたんやろ」
「はあ……。すごいわね」
そのときである。咲季は、数メートル離れた木の陰から自分たちのことをこっそりうかがっている、何者かからの視線に気がついた。
「ねえカッシュ、あっちのほうに誰かいるみたいよ?」
「ホンマや! こりゃヤバいでサキ、ワイらの悪事が露見するまえに、一刻も早く目撃者の口をふさぐんや!」
アワアワとあわてるカッシュに、咲季は冷静なツッコミを入れた。
「なに言ってんのよ。べつに私たち、悪いことしてないでしょ? 私が魔法で倒したのは魔物なんだから(まあ、偶然だけど)」
「んー、それもそうやな(まあ、偶然やけど)。……おーい、そこの兄ちゃん、こっち出てきーや!」
「……は、はいぃ!」
木陰から姿を現したその若い男は、まさか自分が声をかけられるとは思ってもみなかった(それも、猫から)らしく、かなり動揺していた。見ればどこにでもいそうな風貌で、いかにも「村人A」といった感じの純朴な青年である。
「ジブン、そこでなにしとったんや? えーっと……」
「あ、ぼく、ビトーといいます。す、すぐその先の丘を越えたとこにある、あの、小さな村の者でして、はい」
言葉をつっかえつっかえしながら、ビトーと名乗った青年は話しはじめた。どうやら、彼の村の者たちは魔物たちの襲撃を恐れて、いち早く逃げ出す算段をしていたらしい。ビトーは勇敢にも、村に迫った危機を知り、それを伝えに戻ろうとしていた矢先だったようだ。
「そ、そしたら、急に空から火の玉がいくつも降ってきて、あっという間に魔物たちが全滅しちゃって……」
ビトーは目の前で起こった一連の出来事を、なんとか消化するのがやっとという状態であった。
「あれ、あなたたちの魔法なんですよね? それであの……あ、あなたたちはいったい……?」
「あー、ワイらはやなあ——」
この無垢な村人Aに、自分たちのことをどうやって説明すべきか、カッシュが考えを巡らせたその瞬間のことだった。彼らの背後で、絶命したとばかり思っていたオークの頭領がいきなり飛び起きたのだ。
「ウガアアアアァァァァ!」
赤黒く焼け焦げ、四肢がほとんど崩れかけた頭領は、それでもありったけの力を振り絞って雄叫びを上げた。自分と軍団を死に至らしめた仇敵たちに、最後の一撃を見舞わんとして、頭領は得物の鉄棒を振りかざした。
「うわああああ!」
悲鳴を上げたビトーをかばうようにして、咲季は反射的にオークの頭領の前に飛び出した。頭領はかまわず彼女に向けて、電柱のように太い鉄棒を振り下ろした。
「マドゥル!」
咲季のかけ声に呼応するかのように、マドラガダラの魔導書が宙に舞い、その表紙が真剣白刃取りの要領で頭領の鉄棒を受け止めた。
「ぬ? ぬぅ〜う!」
ほとんど死にかけているオークの頭領は、信じられん、といった表情を浮かべたが、それもほんの一瞬である。マドラガダラの魔導書はいとも簡単に鉄棒を撥ね退けると、鋭い刃のようになった表紙が、高速回転しながら頭領の首を切断したのだ。オークの巨体は、今度こそ完全に息の根を止めて、その場に崩れ落ちた。
「……おいおい、ムチャしよんなあ」
知らぬ間に、近くの岩陰に身を隠していたカッシュが、あきれたような声を上げた。咲季は、マドラガダラの魔導書をその手に収めると、制服のスカートを軽く払いながら、怯えるビトーに言った。
「——サキエル。私はエルフの魔導師、サキエルよ」
続く