交通違反を捕まえてみた
その日に訪れた交差点は、過去に事故が起きた場所。信号無視した無謀な車が、幼い少女の命を奪い去った。死に際の苦痛の中で、果たして何を想ったのだろう。俺と沙紗は一輪の献花に手を合わせ、そして観察を開始する。
気長に待つかと腰を据え――ようと思った直後にそれは現れる。信号は赤に変わり、他が青になる間際のこと。一台の軽自動車が猛スピードで、交差点に突っ込んできたのだ。間に合わせようと、一時的に加速しては信号を渡り切る。誰も横断歩道を通ってはいないが、違反は違反に違いない。そしてこういう輩はやたらと見掛けることが多い癖に、なにかと許されがちな犯罪行為だ。
「撮れたよ!」
「サンキュ、沙紗!」
沙紗は現場の撮影係だ。やってないと喚く者が出た場合に、動画を証拠として突き付けられるように。そしてあとは車を捕まえるだけ。生まれ変わったこの足の、雲まで届く爆速の駆け足で。
コンコンと窓を叩いては、振り返り見るドライバー。小石でも当たったのかと何気ない面持ちだが、しかし並走するのは人間の足。瞳は零れるほどに見開かれ、驚きのあまりに車体は揺れる。
「おおっと、危ない」
咄嗟に車体を掴んでは、ゆっくりと速度を落としていく。例えアクセルをべた踏みにしたところで、車一台の馬力など、俺の動きに合わせざる負えないだろう。道脇に車を寄せると、窓越しにドライバーに声を掛ける。完全に怯えているその人は、大人しくも見える女性ドライバーだ。
「あなた、信号無視と速度違反。どちらもやらかしましたよね」
「あ、あわわわ……はわぁぁぁ……」
「話、聞いてます? やらかしましたよね?」
「は、はいぃぃぃ、急いでいたもので、すみませんでしたぁぁぁ」
素直に謝り、反省の色も見て取れる。ここは厳重注意だけで済ませてあげることにしよう。
「だったら、もっと早くに家を出なよ。あそこ、死者も出たことがあるんだよ? 責任もって運転しないと。俺は警察なんかじゃないけど、でもだからこそ、次に見掛けたら金の心配より身体の安否の心配だ。分かってるよね?」
「も、ももも、もう二度と致しません! すみませんでした!」
「信じてるから、ずぅううっと、見てるからね……」
「ひぃぃぃ……」
そして車は走り去った。法定速度を守った、あるべき正しい運転で。相当のトラウマは残したはずだし、これは改めてくれるだろう。そして観測地点に戻ると、呆れた沙紗が俺に一言告げる。
「お兄ちゃんがいない間に、スピード違反が二回もあったよ」
「ここの赤信号、結構待たされるからね。それを知ってる人たちは、青の内に急いで渡ろうってことだろうな」
その後は次から次に、ドライバーにトラウマを残していく。車と並走する時点で、強がるような輩はなく、みな一様に怯えては俺の言葉に頷くのみ。
だが、赤信号で止まる車の中に、一つ気掛かりな者を見つけた。やたらとエンジンをふかしては、前の車との車間は狭い。困り顔の前方のドライバーは、高齢者マークを付けるおばあちゃんだ。安全運転を心がけているはずなのに、可哀そうに。
反して後ろの車は、ガンガンと耳障りな曲を垂れ流す。これは完全なDQNであり、注意すべく俺と沙紗は、DQNカーに歩み寄りノックを試みてみることに。
「すみませぇん、煽り運転ですよ。あとうるさいので音楽もできれば小さくしてね」
睨みを利かせる男女は、夫婦だろうか。いい歳したおっさんとおばさんだが、しかしいかにもな強面と、けばい化粧の二人組。俺の注意を聞くや否や車から降りてきて、早速怒鳴り散らすのだった。
「あぁ? コラ。車のドア叩いたろ、弁償しろ。今すぐてめぇらの親を呼べ!」
「傷なんて付いてませんよ。それより先に言うべきことがあるでしょ」
「ふざけてんのかてめぇ。てめぇの人生めちゃくちゃにしてやるぞ」
駄目だけど、分かってはいるけど。でも、嬉しい。今日はみな素直に罪を認めて、それが一番いいことなのだが。こういう風に歯向かってくる奴が出て来ると、いけないこととは分かっていても、やっぱり嬉しく感じてしまう。
「どうやら反省してないようですね。そんな人間、車に乗ってはいけませんよ」
「てめぇ、マジで許さねぇ。おい、美智子。車の運転変われ。俺はこいつらをしばいてくる」
「おっけぇぇぇ」
助手席から、運転席へと跨ぐ女。そして信号は青に変わるも――
「おい、美智子。とっとと先に行ってろって」
「あ、あれれ、動かないよ鉄ちゃん!」
ホイールは空しく空回りするが、しかしそれも当然だ。地面との摩擦で動くのであって、車体はいま浮いている。男の視線の遥か下、つま先でちょいと、僅か数センチの隙間が空く。
「おめぇ、その足は……」
「あ、気付きました? 言ったでしょ、もう車は運転させないって。あなたの愛車は今日で廃車です。懺悔をするなら今の内ですよ」
そうしてドアに手を掛けて、それをおもむろに引き千切る。そして畳んで畳んで、折り紙ならぬ折り鉄を前に、男の顔には冷や汗が浮かび始める。
「ななな、なんなのその子ぉおおお!」
「黙れ美智子! てめぇは一体……」
「あらぁ、まだ反省には至らないみたいですね。ここは人目に付きますから、さっさとしばき合いに行くとしましょうか」
「そ、それは……」
「できないんですか? できる訳ないですよね? 弱い者にはでかい態度で、強いと知れば縮こまる。それがDQNといわれる人間の、常套手段なのだから」
これだけ煽られても、彼らは決して立場を変えたりはしない。掌を返すことは上手だが、再び強気には戻らない。勇気の欠片もない、単なる弱虫なのだから。
「わ、悪かった。見逃してくれ……」
「いいや、絶対に許さない。あんたは以降も、確実に違反を重ねる人間性だ。運転できないってのは、車を破壊することじゃないんだよ。二度と運転できないように、お前を壊すってことなんだ」
「う、ううう……」
二度と運転できない身体とは。足を潰すか、手を潰すか。いや、それより確実な方法が一つある。
「両目を潰すか。見えなけりゃ、二度と運転することもできないだろ」
目の光を失えば、人は自然と別の光を求める。それが心の安らぎで、悔い改めることもできるだろうに。
「す、すみませんでした。どうか許してください。目が見えなければ、子供を養うことができません。どうか、どうか何卒……」
ふと、後部座席に目を遣ると、そこにはチャイルドシートに跨る子供が。何もかも分からずに、ただ唖然と無垢な瞳を向けている。
「や、やめよう……お兄ちゃん。改心しているようだし、これ以上は駄目だよ」
「……だね。でもさ、子供がいるならなおさらだよ。本当に注意してよね」
「はい、はい……」
そうしてすごすごと、車を道脇に寄せては、レッカーを呼ぶ為に電話を掛けさせる。その後は免許とナンバーを確認し、何かあれば許さないと。その場逃れの態度であれば、いつか何かやらかした時、必ず報復に向かうと。それを告げて、あとはいつものように他言はしないよう念を押す。
そうして、この日だけでも十以上の人間は更生できた。まだまだ果ては長いけど、新しい世界には着実に一歩ずつ近付いている。その充足感と共に、交差点に背を向けると――
異常な爆音。それは交差点の遥か向こうからでも耳に届く。目的を問われれば、そこに崇高足るものは一切ない。自己満足か、なんなのか。しかし一つだけ言えることは、群れなきゃ何もできない、馬鹿で弱虫な集団だ。
「暴走族か。害悪しか生まない、社会の屑どもめ……」