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第64話 出社と緊張と

 貫奈との飲み会があった、翌朝。


 春輝は、若干の緊張を胸に出社していた。


「おはようございまーす」


 それを極力外に出さないよう、いつも通りの声を意識してオフィスの出入り口を通る。


(桃井は……まだ出社してない、か……?)


 半ば以上無意識に、目がオフィス内を見渡していた。

 今のところ視界の中に貫奈の姿は入ってこず、差し当たりホッと安堵の気持ちを抱く。


「先輩、誰かをお探しですか?」

「うぉっ!?」


 しかしその直後に貫奈が物陰から現れたため、必要以上に大きく反応してしまった。


「ふふっ、なんですかそのリアクション。人を、まるでお化けみたいに」

「あ、あぁ、悪い……」


 クスクスと笑う貫奈に、頭を掻きながら謝罪する。

 それから、お腹の辺りに力を込めることを意識。


「あー……その、な。桃井……」


 これを口にするのは、非常に気まずいと言えた。


 しかし確認しないことには、下手をすると今後の業務にまで影響が出かねない。


「昨日の件、なんだが」


 だから、妙な汗が背中を伝っていく中でそう切り出した。


 昨日の『告白』は、ただの酔っ払っての冗談だったのか。

 それならそれで、全く問題ない。

 「だよなー!」と笑い飛ばせばいいだけの話だ。


 だが、万一本気だったのだとしたら。

 春輝も、真剣に返事をする必要があるだろう。


 どちらなのか、素面の今確認すべきだと思った。


「あぁ、はい。昨日、ごちそうさまでした。すみません、奢ってもらっちゃって」

「んぁ……? あぁ、いや……」


 しかし貫奈は妙にケロッとした表情で、春輝の返答は大層微妙なものとなる。


「それに、家まで送っていただきまして」

「いや、別にそれはいいんだけど……」


 まるで、『告白』のことなんてなかったかのように。

 今までと何ら変わらない貫奈の態度を見ているうちに、春輝はとある可能性に思い至った。


(部分的に記憶が飛んでる……とか?)


 記憶が飛ぶタイプだと聞いた覚えはないが、昨日は今までにない飲酒量だったはず。

 珍しく記憶が飛んでいたとしても、おかしくはないように思えた。


(だとしたら……昨日のは、どういう意図だったんだ……?)


 酔っていたがゆえの、冗談だったのか。

 酔った勢いに押されて飛び出した、本心だったのか。


「桃井、お前さ……」


 尋ねようとして、言葉を止める。


 俺のことが好きなの? という質問が一瞬浮かんだが、あまりに自意識過剰感が過ぎるために口に出すのは躊躇われた。


「? 私が、どうかしましたか?」


 貫奈が、不思議そうに首を傾ける。


「い、いや……なんでもない」


 結局、そう誤魔化してしまった。


「そうですか? ならいいんですけど」


 そう言いながら、貫奈がスッと近づいてくる。


 いつもより一歩分ほど近く思える距離に、春輝の心臓は小さく跳ねた。


「ところで、ネクタイ曲がってますよ?」


 春輝の首元に手を伸ばし、クイッとネクタイを弄る貫奈。


「はい、これで大丈夫です」


 春輝の間近で、ニコリと微笑む。


 そして。


「私、昨日のことはちゃんと覚えていますからね」

「っ!?」


 耳元で囁かれた言葉に、春輝は目を見開いて彼女の顔を凝視してしまった。


「あれは、私の本心からの言葉ですので……お返事、お待ちしております」


 そう言ってから、貫奈は半歩下がる。


「今日もお仕事、頑張りましょう」


 そのまま、踵を返して自席に向かっていった。


 直前に見えたイタズラっぽい笑みが、妙に脳裏へと焼き付く。


(桃井……なんか、吹っ切れた感じというか……)


 昨日までの彼女に感じられた、どこか焦りを含んだ空気が完全に消え去っているように見えた。


 ……というか。

 今の貫奈は、春輝の記憶のあるどの時期の印象とも異なる気がする。


 先のように、至近距離に平然と踏み込んでくるタイプではなかったはずだ。


 笑顔も、今までより随分と明るい印象だったように思う。


 それから。


(………………可愛く、なった?)


 それは彼女の変化ゆえなのか、春輝が彼女を見る心境の変化ゆえなのか。


 春輝には、わからなかった。

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