第62話 潜伏と哄笑と
春輝と貫奈に続いて伊織たちも居酒屋に入店してから、小一時間程の後。
「にしてもチーズタッカルビとTKG、美味っ!」
「たこわさも、いい感じ。鮭茶漬けとよく合う」
露華は、白亜と共に普通に食事を楽しんでいた。
というのも、春輝と貫奈の方にほとんど動きがないためである。
少なくとも今のところは、普通に雑談しながら酒を飲んでいるようにしか見えない。
少し貫奈が酔ってきているか? といった風にも感じられるが、その程度だ。
「ねぇ、お姉もとりあえず食べなよ? どうせ何話してるかも聞こえないんだしさ」
にも拘らず未だ春輝たちの方に目を向けたままの伊織に、そう促す
「うん……」
答えはするものの、心あらずといった感じで伊織に動く気配はなかった。
(うーん……お姉、一回スイッチ入っちゃうとそれに集中しちゃって周りが見えなくなるとこあるからなぁ……春輝クンのことともなれば、尚更か)
軽く苦笑。
「タピオカミルクティーも温くなっちゃうし。ほら、ストロー持って」
ストローを抜いて、伊織の口元まで持っていく。
「うん……」
すると伊織はそれを受け取り、ようやく動き始めた。
ただし、視線はやはり動かさないままである。
「って、お姉そっち単品の方のタピオカだよ!?」
結果、伊織はグラスではなく皿の方にストローを突っ込んだ。
そしてそのまま、ズゾゾッ! と白い粒を吸い上げた。
「おおっ、凄い……パッサパサの状態で出てきたタピオカを一息であんなに……」
白亜が感心の声を上げる。
「っ……」
そんな中、なぜか突然伊織が俯いてしまった。
「? お姉、どうしたの? 喉詰まった? 烏龍茶飲む?」
心配を抱きながら烏龍茶を差し出すも、伊織はその体勢のまま動かない。
「ロカ姉……違う。たぶん、これはアレ……」
白亜の言葉を受けて、露華も姉のこの状態にピンときた。
「……マジ? この状況で? 色んな意味でビックリなんだけど」
とはいえ俄には信じがたく、頬がヒクつく。
「どうしたんだい? お姉さんの体調が悪いようなら……」
「あー、いえ。たぶんなんですけど、今の姉は……」
心配げな樅山課長に説明しようとしたところで。
「あははははっ!」
今度も突然顔を上げた伊織が、哄笑を上げ始めた。
その頬はほんのり赤く、目は完全に据わっている。
「私は何を思い悩んでいたんだろう! 今すぐ、何を話してるのか、何を話すつもりなのか、確かめに行けばいいだけだったのに! さぁさぁ、レッツ突撃!」
「ちょちょちょ、お姉! 待った待った!」
「イオ姉、それは流石にマズい……!」
春輝たちの方に向かっていこうとする伊織を、白亜と二人がかりで慌てて押さえた。
「えっ……? まさか小桜くん……それ、酔っているのかい……? 間違えて飲んだ……? にしても、お酒どころかほとんど何も口にしていないだろう……?」
伊織の豹変に、樅山課長が驚き半分疑問半分といった表情で問うてくる。
「いやぁ、元々お姉……姉は、お酒に激弱体質なんですが……」
「恐らく今回は、匂いとか場の空気的なものに酔ったのかと」
露華と白亜、共に苦笑でそう説明した。
「えぇ……? そうなの……?」
樅山課長は、未だ半信半疑といった様子である。
「はい……なのでウチらは、ここで失礼しますね」
「せっかくお付き合いいただいたのに、申し訳ないです」
引き続き伊織を押さえながら、二人でペコリと頭を下げた。
「うん、まぁ、それは全然構わないんだけどね」
樅山課長は苦笑気味に笑う。
「これ、ウチら分のお代です」
「いや、ここは私が出しておくから構わないよ」
財布から千円札を数枚出すと、樅山課長が今度は普通に笑って手を振った。
「お金のことはキッチリすべきだと、父に教わっていますので」
けれど、露華は手を引っ込めない。
「……そう。良い親御さんだね」
「はいっ」
微笑む樅山課長に、はにかんで返した。
家を追い出される原因を作った本人ではあるが、今でも露華は父のことが普通に好きだし褒められると嬉しいのだ。
「それでは、失礼しまっす!」
「失礼します」
「うん、気をつけてね」
樅山課長に見送られ、踵を返した。
「ほらお姉、帰るよー」
「イオ姉、肩に掴まって」
両脇から抱えるような形で、伊織を支えながら店の出入り口に向かっていく。
「にゅう……帰るの嫌ぁ……春輝さんに会うぅ……」
伊織は怪しい呂律で拒絶するも、身体に力が入らないのかあまり抵抗は強くない。
「春輝クンに会うために帰るんだよー」
「ふぇ……? 春輝ひゃん、おウチぃ……?」
「そう、ハル兄がおウチで帰りを待ってる」
「そっかぁ……じゃあ、帰りゅぅ……」
そして、チョロかった。
「にしても、まさかこんな形でお姉が足を引っ張るとは……」
「今後、お酒はイオ姉の周囲に置くのも禁止」
露華が苦笑し、白亜が頬を膨らませる。
「ま、結局向こうも何もなさそうだし……」
呟きながら、何とは無しに春輝たちの方に目を向ける露華。
「……おろ?」
すると二人の空気感が先程とは少し違っているように見えて、小さく眉根を寄せる。
「……?」
そんな露華を訝しんでか、白亜も露華と同じ方向に目を向けた。
「先輩」
たまたま店内が静かなタイミングと重なったらしく、貫奈の声が聞こえてくる。
彼女は、真剣な眼差しで春輝を見つめており。
(……まさか)
そこに漂う雰囲気は、まるで……と、露華が思ったタイミングであった。
「好きです」
その言葉が、紡がれたのは。
『!?』
驚いて白亜の方を見ると、ちょうど彼女も驚いた顔を向けてきたところだった。
「ふにゃぁ……春輝ひゃぁん……!」
『!?』
次の瞬間に伊織が少し大きめの声を出したために、今度も二人揃って顔が強張る。
「………………えっ?」
恐る恐る春輝の方を伺ってみると彼は貫奈の方に意識が集中しているようで、こちらに気付いた様子はなかった。
差し当たり、二人で安堵の息を吐く。
「なんて言うと、先輩はきっとLIKEの意味で認識するのでしょうけれど」
その間にも、二人のやり取りは続いていた。
「異性として、好きです。小桜さんに対抗して言うならば……愛して、います」
「えっ、いや、だってお前、今までそんな素振り……」
『………………』
ギリギリ声が届く距離で身を隠し、露華と白亜は息を殺して会話を聞く。
「あ、えと……桃井……俺、は……」
春輝の、戸惑うような……あるいは、迷うような。そんな気配が伝わってきた。
「俺、は……」
「ふふっ」
次いで聞こえてくる、貫奈の笑い声。
と、そこで。
「春輝ひゃぁん……!? 何ですかそれはぁ……!」
『っ!?』
再び伊織が大きめの声を出して、露華と白亜の顔がまた強張る。
「くっ……ここは、気付かれないうちに退散するの優先か……!」
「同意……最後まで聞けないのは、誠に遺憾だけど……」
こうして、後ろ髪を引かれる思いながらも伊織を連れて店を出る二人であった。