第52話 平常と精彩と
貫奈からやけに疑いの目を向けられた以外、業務自体は何事もなく終わり。
(今日も、外が明るいな……こんな時間に帰る日々が訪れるとはな……)
かつてに比べて随分と早い帰路に着きながら、春輝はそんなことを考えていた。
(あの子たちに感謝、か)
直接的な影響としては、伊織の提案で春輝の机に設置されることになったスケジュールボード。
春輝のタスクが明示化されたことによって周囲が気を使ってくれるようになり、いくつか仕事も引き取ってもらったことで随分と春輝の業務量は減った。
けれどそれも、春輝の表情が柔らかくなったからだと同僚たちは言う。
春輝自身に自覚はなかったが、かつて仕事中の春輝は近づくなオーラを出しまくっていたらしい。
実際、連日に及ぶ深夜残業をこなし、死んだ目で帰って泥のように眠るだけの日々の中で春輝の精神は気付かぬうちに随分疲弊していたのだと、今ならばわかる。
それが小桜姉妹と暮らすようになってからは、騒がしく……けれど、癒やされることも多くて。
(かつて灰色だった日々が、彩りを取り戻した……ってか?)
何かの小説で見たことがある一文を思い浮かべる。
(そんな詩的な表現、俺には似合わねぇな)
そして、苦笑気味に口の端を持ち上げた。
「ただいまー」
そのタイミングで自宅に到着し、帰宅の挨拶と共に玄関の扉を開ける。
「おかえりー」
「おかえりなさい」
パタパタと中から気配が近づいてきて、二つの声が迎えてくれた。
(……ん? 二つ?)
そこに、若干の違和感を覚える。
春輝の目の前までやってきたのは、露華と白亜。
「あ、えと、春輝さん、おかえりなさいっ……!」
一瞬遅れて、二人より少し後ろに立った伊織が迎えの言葉を口にした。
「うん、ただいま」
その笑顔が若干ぎこちないことを不思議に思いながらも、改めてそう返す。
「ほら春輝クン、遠慮せずに上がって上がって」
「俺んちなんだが……」
露華に手を引かれ、苦笑気味に靴を脱いで廊下に上がった。
そのまま流れるように、露華が腕を絡めてくる。
「ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・もぉ……?」
「ご飯かな」
「……せめて、最後まで言わせてくんない?」
ニンマリ笑う露華の言葉の途中で返すと、不満げな声が返ってきた。
「ハル兄」
傍らから呼びかけられ、春輝は露華から白亜の方へと視線を移す。
「んっ」
すると、両手を軽く広げてこちらに向けている白亜の姿が目に入ってきた。
「えっ、と……?」
若干戸惑いながらも、一歩白亜の方へと近づく。
「ぎゅーっ」
すると白亜も一歩踏み出し、春輝の胸に顔を埋めるように抱きついてきた。
(んんっ……? 甘えたい気分なのかな……?)
そう、思った春輝だったが。
「ハグによって、仕事での疲れを癒やす……これが、大人の女性の出迎え方」
どうやら、そういう意図だったらしい。
「ははっ、確かに凄く癒やされるよ」
実際、ほのぼのとした気分になって癒やされたのは事実だった。
それが、白亜の想定通りなのはともかくとして。
「ありがとうね」
お礼の言葉と共に頭を撫でると、ムフーと満足そうな鼻息が胸元に当たる。
「なんか、どんどん白亜との扱い格差が広がってる気がするんですけどぉ……?」
なんて、唇を尖らせる露華……その視線が、ふと伊織の方へと向けられた。
春輝も、何とは無しに伊織の方を見る。
「そ、その、ご飯、もう出来てますのでっ!」
春輝と目が合った瞬間、伊織は少し上ずった声で言いながらクルリと身体を翻した。
(まだ、今朝のことを気にしてんのかな……?)
春輝としても、全く引きずっていないわけではなかったが。
半日も経過すれば、流石に今まで通りに振る舞えるようになってきている。
(別に、ちょっと言い方をミスくらいでそんなに恥ずかしがることないのにな……?)
なんて思って、内心で首を捻る春輝であった。
「いつもありがとう、それじゃ早速いただこうか」
とはいえ突っ込んで聞くのもなんとなく憚られて、キッチンへと足を向ける。
「はいっ」
すると伊織も、どこかホッとした表情になったように見えて。
けれど、そんな仕草自体がやはり春輝は少し気になったのであった。