第31話 逆転と自嘲と
疲れているだろう伊織に代わって、春輝が炒飯を振る舞った夕食の後。
片付けまでやると言った春輝だが、流石にそれはと三人が止めるので任せることにして。
先に風呂に入り、今はリビングで寛いでいた。
「お片付け、終わりましたぁ」
そこに伊織が顔を出して、律儀に報告してくれる。
「春輝さん、今日は本当にありがとうございました」
「いいって、俺が勝手にやったことだから」
何度目になるかわからないお礼を受け、春輝は苦笑気味に手を振った。
「あー……あとさ」
それから、言うか言うまいか迷っていたことを。
「実は、もう一個やりたいことがあるんだけど」
思い切って、口にする。
「はい、何でしょう?」
不思議そうな顔となる伊織の前で、春輝は床に正座した。
「……ほい」
そして、両手を広げる。
伊織の目には、かつて春輝が見たのと同じような光景が写っていることだろう。
「えと……春輝さん、それはもしや……?」
「膝枕」
気恥ずかしくて、言葉少なに答える。
「今日は俺の中で、お返しの日なんだ。だからこれも、さ」
「いえ、でも……」
戸惑いつつも、伊織は固辞しようとする態度であった。
もっとも、これは予想通りの流れではある。
「俺だってこないだ、膝枕してもらうのは結構恥ずかしかったんだぜ? 意趣返ししてもいいだろ?」
ゆえに、わざと伊織が断りづらい言い回しにしてみる。
「そ、そういうことなら……」
果たして、伊織は小さく頷いて近づいてきた。
「失礼しますね……」
おずおずと、春輝の膝の上に頭を乗せる。
「……どうだろうか?」
伊織と違って膝枕に自信などない春輝は、恐る恐る尋ねた。
「あ……なんかこれ、思ったよりいいかも……です……」
けれど伊織が徐々にリラックスした表情になってきたので、ホッと安堵する。
「ふふっ、なんだかこの距離は照れますね」
春輝を見上げて、伊織がはにかんだ。
「君が膝枕するのと、距離としては同じだろ?」
「そうですね……こんな風に見上げるっていうのが、新鮮なのかもしれません」
「かもね」
お互い顔は少し赤く、照れが見られる。
そんな中、春輝はそっと伊織の髪に触れた。
ピクリと少し伊織の身体が震えたが、拒絶はされない。
「君は、あれだ」
ゆっくりと、頭を撫でながら。
「もっと、誰かを頼っていい。君だって誰かに甘えていいんだ。例えば……俺とか、な」
そう言うと、伊織は軽く目を見開いた。
「……ありがとう、ございます」
未だ少し強張っていた伊織の身体から、力が抜けていく。
(……前から言おうと思ってたこと、ようやく言えたな)
それも、思ったよりスムーズに。
先日のソファでの件といい、以前の春輝ならば絶対に出来なかったことだ。
彼女たちとの距離が縮まった証、と言えるのかもしれない。
「でも、私は今だって春輝さんのこと頼りにしてますよ。ずっと……出会った頃から」
ぼんやり考え事をする春輝の顔を、どこか眩しそうに伊織が見上げてくる。
「ははっ、それは光栄だ」
「もう、本当なのに」
冗談だと思って笑うと、伊織は頬を膨らませた。
珍しい、子供っぽい仕草だ。
「本当に私は、春輝さんのこと……」
言葉の途中で目がトロンとしてきて、徐々に伊織は船を漕ぎ始める。
「……すぅ」
そのまましばらくすると、完全に寝入ったようだ。
(俺も、多少は信用されてきたってことかな)
その無防備な寝顔を見て、そんなことを思う。
(にしても、ホントに疲れ切ってたんだな……)
でなければ、流石にこんな風に話の途中で眠りに落ちたりはすまい。
「んぅ……」
小さく身じろぎする伊織の頭を、引き続き撫で続けていると。
「……お父さん」
そんな寝言と共に、彼女の目から一筋の涙が流れ出た。
(……俺は、色々と中途半端だな)
その涙を指で拭ってやりながら、そんなことを考える。
(この子たちの事情も、どこに出かけて何をしてるのかも知らずに……知ろうとせずに。それなのに、保護者面してる。頼ってくれ、だなんてどの口で言ってんだか)
自分に対して唾棄すべき思いを抱きつつも、今だけは彼女に安寧が訪れればと。
矛盾する感情を抱えながら、春輝は伊織の頭を撫で続けた。