変転
中々進みません………
ひそひそと、ヴェルステイン家の誇る大食堂にさざめきが走る。
しきりに額を拭う侍従長と目立たず給仕を務めるその側近たちや領内の警邏を任されている警邏長、領街の情報屋の元締めたちが何やら言い交している様を視界に収めながら、私の心は何の反応も示さない。
ただ無心に。本当になんとなく食堂内に集まった人々を見渡すと、視線が合った者は老若男女の別なく目を伏せて臣従の礼を取ってくる。
———あまりいい気分にはなれない。
これからこの場で取られる決議、その内容も含めて。
上座に目を向けると父上は、目を閉じたまま無言を貫いている。
そして最後の一人が到着すると同時に、会議が始まった。
『法定会議』。
貴種血統各家に許された、各家の領地でも指折りの有力者、有識者のみが呼ばれる事を許される、領地内限定の最高意思決定機関だ。
ここで取られた決議には、初夜税のような余程悪質なものを除けば国法にも勝る強制力が与えられる。
当然、逆らう事は許されない。それが例え貴種血統直系の者であっても、当主であっても、だ。
そして今。有力者たちの手で報告される数々の調査結果や素行を見れば、この会合に求められた決議も妥当と判断せざるを得ない。
だから私は決議に同意した。
………かつて夢見た景色を、せめて美しい夢で終わらせる為に。
◆◆◆
夕飯を終えて与えられた部屋に戻ると、俺は力なく目の前の寝台に倒れ込んだ。
「なんなんだよ……あの茶番は…………」
知らず、目の端から一筋の涙が流れた。
事は数時間前。
何千回目かも分からない、魔具の発動失敗でクタクタになった体で帰った時に遡る。
「———おい、アリヲ・ルイス」
聞き覚えのある声に、俺は思わず自分の不幸を呪った。
可能なら今すぐ聞こえなかったフリでスルーしたいが、俺とあちらとでは周囲から寄せられる信頼に絶大な差がある。
元から俺の事を良く思っていない節もあるあの女の事だ。
ここでスルーすればこれ幸いと俺の悪評を盛大に尾ひれつけまくって流しにかかるに違いない。
そう判断した俺は、可能な限り自然な笑みを浮かべて声の主に振り返った。
「これはこれは…こんばんはイルヴィーさん」
「貴様に名で呼ばれる筋合いはない」
これである。
取り付く島も無いとはまさにこの事だろう。
光の当たり具合では金色を帯びて見える茶髪に気の強そうなツリ目と、見た目だけならツンデレ系ヒロインや女騎士系ヒロイン(メイドだけど)の素養を満たしているが、何故かこのメイドは俺に対してかなり当りがきつい。
なのによく話しかけてくるので、最初の内は俺のことが好きなのではないかと思ったりもした。
だが、しょっちゅう俺の行動に口出ししては侍従長に告げ口するので正直鬱陶しくて仕方ないし、どんな時に声をかけてもこの反応なので今では苦手な相手だ。
とは言えこんな無礼な女でも同僚と言えば同僚だ。
ここは前世の分も含めて年上の俺が譲ってやることにした。
「それは申し訳ないですね、モウレーネさん。それで何か御用でしょうか?」
「………御用、だと?………なに、もうすぐここを追い出される事を貴様に伝えてやろうと思ってなァ……」
「は?」
「———食堂前の掲示板を見てくるといい。…………ククッ、これで貴様のその腹立たしい面も見なくて済むな」
それだけ言うとイルヴィーは、嫌な笑みを浮かべたまま屋敷の方へ歩き去ってしまった。
「………食堂前……?」
不安に突き動かされて、侍従用の食堂へ走る。
食事後だからか人通りも少なく、問題の掲示板も掲示物もすぐ見る事が出来た。
そして俺は、イルヴィーの言葉の意味を思い知る事となった。
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ヴェルステイン法定決議第7857条
本日、ヴェルステイン法定会議は、2年後に迫るヴェルステイン令嬢シャルロッテ・フォン・ヴェルステインのマグトゥーレ統合学院への入学に際し令嬢の身辺の世話を行う傍付きの選定を目的とした選抜会を開催する事を決定した。選抜会の詳細は以下の通りである。
・年齢・性別は不問。令嬢の身辺に置くに相応しい実力と礼節を有している事は絶対条件である
・選抜会は、護衛としての能力を判別する『戦闘試験』と、給仕などの従者としての能力を判別する『侍従試験』の2回で判断する。なお判定は評価式とし、どちらかの試験で令嬢に仕えるに値すると判断されればそこで合格。合格者が複数人出た場合は法定会議が合格者を判定する。
・なお、選抜会において当会議の求める水準に至らないと判断された者は解雇とする。
ヴェルステイン法定会議
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短い文面。シャルロッテに憧れを抱く侍従達や自称実力者を騙る連中にとっては願っても無いチャンスの到来を告げる吉報だろう。
だが俺には、この一枚の紙が不幸の手紙よりも明確な破滅の報せにしか見えなかった。
呆然とした頭で何度も何度も読み直し、文面が記憶に焼き付くまで凝視して。
寝台の上で自問自答を繰り返して。
俺は、一つの結論を出した。
「…これは、陰謀だ……」
シャルロッテは、年齢で見れば幼いと言える今でもかなりの美貌を持っている。
それこそ暴飲暴食でいきなり太れば話は別かもしれないが、将来はかなりの美少女になる事は間違いない。
加えて内面も文句の付け所がない。
領地経営、数学や暦学を始めとした学問に、俺は聴いた事がないが音楽や絵画にも大きく才能を示している上、一度や二度褒められても慢心せずに努力を欠かさないと努力する天才を体現している。
しかし、そんなシャルロッテにも一つだけ弱味があるという噂がある。
それが俺だそうだ。
ハッキリ言って事実無根、名誉棄損も甚だしいデマだが、デマだと分かっていてもそのデマを真実であると叫ばれれば大多数はデマを真実だと信じ込む。
そうやってシャルロッテの傍から俺を引き離す事で、シャルロッテを自分たちの手の内に収めようとか言う魂胆なんだろう。
そして、この陰謀の巧妙な所が、俺には奴らの陰謀を知っていても覆す手段がないという点だ。
まず選抜試験が「戦闘」と「侍従技能」の二本立てになっている。
これは一見すると戦いに向いていない者や逆に侍従としての能力に不安がある者にもチャンスを与えている様に見える。
だが、「侍従技能」の点数をどうやって決めるというのか?
そんなもの、当然審査員の主観で決めるしかない。
つまり、俺がいくらうまい紅茶を入れようが上品に給仕を熟そうが、向こうはいくらでも難癖をつけて不合格にできる。
「侍従技能」の合格の是非は向こうの匙加減次第と言う訳だ。
では「戦闘」はどうかと言えば、こちらはもっとハードルが高い。
護衛としての能力を見ると言う事は、十中八九向こうが用意する相手は戦闘向きの魔具使いだろう。
だが、対する俺はと言えばそもそも魔具が使えない。
護衛としてできる事など肉壁が精々だろう。
そんなもの戦闘向きの相手にしてみれば薄紙程度の守り———にもならないのだ。
不合格は確定だろう。
「………………」
寝台の上を転がる。
ゴロンゴロンゴロンと寝台の上を往復する度に、イルヴィーの嫌味な笑みが、同僚たちの嘲笑が、前世で苦汁をなめさせられた連中の見下す目が思い浮かぶ。
「………………」
いい加減目が回ってきたから回転を止め、天井を見つめる。
天井を超え、遥かに遠いどこかを幻視する俺の脳裏に浮かんでいたのは—―———
「———シャルロッテ………」
ゲームで初めて見た、シャルロッテの笑顔だった。
辛い現実に心が折れそうになる度にその笑顔に救われた。
だから、
「———絶対に、幸せになる!」
俺の夢をかなえる為に、俺は選抜会に挑む決意を固めた。
◆◆◆
「ぅう~~ん?今なにか妙な感覚が………気のせいか?」
暗い森の中、一人の男が背筋をピクリとざわつかせるナニカに思わず周囲を見回す。
が、当然のことながら幽霊の類いは見えない。
まぁこんな格好しているから単純に寒いだけなのかもしれないが…………
「さてさて、それで目的地はぁ~~っと?……ふ~ん?ヴェルステイン領ねぇ」
ランタンの灯りを頼りにポケットから取り出した紙をどうにか読み取ると、男は神をもう一度ポケットに、今度は丁寧に折り畳んで仕舞い込む。
「んじゃ、行くか」
夜風に白衣をなびかせて気楽な風情で歩き出す。
ヴェルステイン領は、もう目と鼻の先に迫っていた。
魔具がある世界ですが、一応は生活必需品や野外活動で必要になる道具一式は開発されています。なおランタンの燃料は油です。