決意
「———ふむ。体温、脈拍には異常はなし。顔色も平常通り。完治していると断言しよう」
「ご苦労。賞与は期待してくれ。———さて、それでは行こうか、アリヲ」
「———はい、御当主様……」
ヴェルステイン家の担当医と二言三言会話を交わすと、ギルドルフは俺の方を振り返り、ついてくるよう促してきた。
本来なら、光栄の至りとかなんとか仰々しいセリフを吐いて平伏すべきなのかもしれないが、今の俺は到底そんな気分にはどうしてもなれなかった。
というか、だ—————————異世界に転生にしてまだ2日目。
俺の気分はどん底にまで落ち込んでいた。
理由は俺の転生先である、このアリヲというキャラクターにある。
アリヲ・ルイス。
『覚星のマグツキ』に登場するキャラの一人だが、もし俺と同じ様に原作を知る人間が転生先を選べるとするのなら、一番避けたいキャラクターはコイツだろう。
原作中での登場回数は1~2回。
その内1回目はコイツが仕えるヒロイン、シャルロッテの自己紹介シーンだが、まずネームドキャラとしては有り得ない事に立ち絵がない。
その後もシナリオでコイツが名前だけでも登場する事はなく、全てのヒロインのエピローグを回収したグランドエンディングでようやく主人公の肉盾になって死亡した事が明かされるという冷遇っぷり。
主人であるシャルロッテすらシナリオ中では一切コイツについて言及する事は無く、肉盾になって死ぬというその悲惨な最期も相まって、ファンの間では「シャルロッテの小道具」「ネームドモブ」「名前があるだけの背景」と散々なあだ名を付けられている。
問題は、俺がそんな奴に転生してしまったという事だ。
これが他のキャラなら俺も喜べた。
いっそ原作に出ていないモブでも下剋上の可能性があるだけまだマシだったろう。
だがコイツはダメだ。
シナリオどころか設定集にすら掲載されていなかったからどういう魔具を宿しているかは知らないが、肉の盾になって死んだと言う事はまず防御に関連する能力ではない。
四属性のどれかなら他に対処法があるだろうから四属性もあり得ない。
と、なると残るは無属性。
それも大して強力な能力ではないと予想できる。
今の体の年齢が何歳かは分からないが、窓ガラスに映る自分を見る限りは6歳は越えている。
魔具を判定する醒別の儀式はとうに終わっているだろうし、他の人に聞こうにも醒別の儀式は対象者1人だけで行うからコイツ以外は知る者はいない。
設定ではその内使い方がわかる時が誰にでも来るらしいが、主人公含むネームドキャラ達と肩を並べるのなら今の内に訓練すべきだろう。
少なくとも、前世の小説を参考にするのなら。
そうでなくても予習復習と創意工夫は凡人が天才に追いつく唯一の手段なのだから。
そこまで考えた俺は、ふと窓に映った自分の顔が思いつめたものになっている事に気付く。
前を歩くギルドルフの目に入らない事を確認した俺は、素早くふるふると頭を振って気持ちを切り替える。
マイナスな条件ばかりが思い浮かぶが、よくよく考えてみればこのキャラにも良い点は一つある。
それは、『マグツキ』のヒロインの一人であり、俺お気に入りのヒロイン、シャルロッテの専属侍従である事だ。
原作では空気と化していた設定だが、仮にもあの神レベルに麗しい美少女に最も近い立ち位置にいるのだ、精々有効に活用させてもらおう。
改めてこれからの新しい人生を送る目標を決めた俺は、表向きすました顔を装ってギルドルフの後ろについて歩く。
目的地まではそう大した時間はかからなかった。
とは言え、6歳の、それも病み上がりの子供の体には少々長い距離だったが、今の俺にはそんな事は小さな問題に感じられた。
足を止めたギルドルフが、静かに扉に近づき3回軽いノックをする。
貴種血統の家に相応しい彫刻が施された扉。
ヴェルステインの血を引く者しか掲げる事を許されない「聳える黒馬と槍」の彫刻が、その主が誰かを俺に教えてくれた。
考えてみれば。少しでも頭を働かせればわかる事だろう。
昨日、ギルドルフは俺に何を頼んだ?
原作では俺はどういう立場にあった?
扉越しに応えの声が返る。
ノブに手を掛けたギルドルフが、ゆっくりと扉を開く。
開かれた扉の先には品の良い調度品が立ち並ぶ部屋が。
部屋の中央に置かれた黒い木の机には、湯気を立ち昇らせる香茶とそれを注いだと思しき侍女が見習いらしき幼い侍女を連れて一礼している。
しかし、それらの光景がどうでもよくなる程の存在感が部屋の主にはあった。
緩くウェーブを描き、心なし輝いて見える白銀の髪。
細められた瞼から垣間見えるサファイアの様な瞳。
傷の一つも見当たらない真白い肌。
齢6歳ながら早くも女性らしい曲線を描いている均整の取れた肢体。
———完璧だの美しいだの、あらゆる言葉が陳腐に感じる程の美少女。
俺の最高のヒロイン、シャルロッテ・フォン・ヴェルステインが、俺を見ていた。