転生
未成年飲酒の間違った表現があります。本気にしないでください。お酒は二十歳からです
「ぅ……ぅうん……?」
寝起きだからか目が霞み、ついでに頭が———正確には後頭部が鈍い痛みを訴えている。
二日酔い?
いや、高校時代イジメていた先輩たちに無理矢理缶ビール30本連続一気飲みなんてさせられてアルコール中毒になり掛けたお陰で、アルコールには耐性がある。5本程度なら翌日に引き摺る事はありえない。
思わず二重に頭痛がする頭に手をやると、なにやら頭に布のようなものが巻き付けられている感触がある。
この時点で、薄々なにかがおかしい事に気が付きはじめた。
まだ目は見えないが、恐らく今寝かされているこれはベッドなのだろう。
だが、少なくとも自分のベッドはこんなに寝心地が良くない。
フワフワで温かく滑るような肌さわりの羽毛布団なんて持っていない。
枕だってこんなに柔らかく頭を支えてくれなんかしない。
横になるとどこまでも沈んでしまいそうなスプリングなんてない。
そもそも、今自分の頭を触った手は本当に自分の物か疑わしいくらい小さかった。
今触ったはずの頭髪は、成人のものとは思えない柔らかさと滑らかさがあった。
(まさか―――)
今まで自分が読んできたファンタジーが頭をよぎる。
推測とも言えない、妄想だと笑い飛ばしたい考えが脳を揺るがす。
恐怖なのか歓喜なのかも知れない感覚が背筋を震わせ、思わず目を強く瞑る。
直輝の意識は今、自分の中にしか目を向けていなかった。
だから。
その事に気が付いたのは、事が起こった後だった。
「お」
「?」
「起きられた!起きられたぞ!誰か、誰でもいい、早く御当主様に———ギルドルフ様にご報告を!!」
「「「「「「はい」」」」」」
間近で、聞き覚えのない聞き覚えのある声が聞いたことも無い音量で聞こえた。
奇妙な感覚に脳が震えた。
あるいは、その震えは歓喜によるものだったのかもしれない。
ギルドルフという名前。
御当主様なんて時代錯誤な敬称。
明らかに高級品と分かる寝具。
これは———
(異世界、転生―――ッ!)
それも、自分が何度もプレイしたあのゲームの世界だ。
思わず口元がにやけ、拳が握られる。
表情の変化で周りに不自然に思われないように顔を掛け布団で覆い、体中を駆け巡る興奮を堪能する。
(誰だ?誰に転生できた?ギルドルフって事は当然あのヒロインがいるし、もしかしたら幼馴染みってやつかぁ!?こんな布団に寝かされているんだ、ゲームには出なかった貴種血統のキャラに転生出来たのかも……原作にはいなかった筈のキャラに転生したらチート無双はお約束だよなぁ!あぁ、ワクワクするッ!!)
しばらくして布団から顔を出すと、前世のリビングより広かったはずの部屋の中は人に埋め尽くされていた。
いや、実際には侍女侍従を含めて10人程度しかいない。
だが、ベッドの左側に椅子を用意して座っている男の醸し出すオーラが、ただでさえ近くて意識せざるを得ないその存在感をより濃密に、より印象強く訴えかけてきているのだ。
「———容体は、どうなのだ?」
「え、あ、元気———で……「肉体的には健康そのものですな。いつもの事ではありますが驚異的な回復力です。今は体力が足らずこうして寝込んでいるだけですので、体力のつく食事を摂らせれば直ぐ復調するでしょう」
「良し」
(俺じゃなかったのか………)
無言でいる事に耐え切れず、てっきり自分に話しかけられているのかと思ってしまった。
穴があったら入りたいが、そういう訳にもいかない。
この男の前でそんな真似をすれば、男自身がどう思うかはともかく他が恐ろしい。
ギルドルフ・フォン・ヴェルステイン。
前世で俺がプレイしていたゲーム、『覚星のマグツキ』の登場キャラの一人であり、貴種血統の中でも3本の指に入る実力者にして人格者。
そして———
(あのシャルロッテの父親……。ゲームでは迫力あるイケオジだったけど、現実にいるとこうも迫力あるのな)
医師と何やらやりとりを続けているギルドルフを見つめていると、ふと視線を転じた本人と目が合った。
(あ、やべ……?)
「………」
「………」
しばし無言の時間が続く。
口火を切ったのは、ギルドルフの方からだった。
「いつもの事とはいえ…娘がすまないな。キミには苦労を掛ける……」
目を閉じ、溜息をつくように吐き出された言葉に、俺は精一杯の敬語で応じた。
「いえ。御当主様が謝られる事はありませんよ。お…わたしはこうして元気でいる訳ですし」
「そうか———そうか………。そう言ってくれると、こちらも気が楽になる———」
正直、現代社会の敬語や礼儀が『覚星のマグツキ』でどれだけ通用するのか分からなかったのだが、周囲の様子を窺う限りはこれで問題ないらしい。
俺が内心で安堵している事など知る由もないだろうギルドルフは、どうやら本当に安心したらしく肩の力を抜いていた。
「それでだが———キミは、まだシャルロッテと遊んでくれる気はあるかい?」
「はい、勿論です」
すっかり部屋中に弛緩した空気が漂っていた。
だから俺も、ギルドルフのどこか縋るような言葉に思わず頷いてしまっていた。
俺の返答を聞いたギルドルフは、今度こそ本当に安堵した面持ちで、俺の名前を呼んだ。
———振り返ってみれば、どこかの時点で気づくべきだった。
気付く要素は幾つもあったのだから。
幼い頃からシャルロッテと交流があり、人格者だとはいえ仮にもギルドルフからここまで信頼を寄せられてる人物など、そうそういないと知っていたのに———
「では元気になったら、また娘の相手をしてやってくれ、アリヲ」
獅子の如くと形容される顔を温かみのある笑顔に変えたギルドルフの言葉に、夢の中にいるかのように熱に浮かされていた俺の思考は一気に冷え切った。
アリヲ。
アリヲ?
誰が?
—————————俺が!?
「は、はい―――お任せを………」
どうにか返答をしぼり出した俺は、ギルドルフが退室する姿を確認する前にベッドに倒れ込んだ。
「う……」
(嘘だろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
俺の異世界転生チートの夢が、儚く崩れ去った瞬間だった。