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回生のマグツキ  作者: 月猫ネムリ
1/15

始まり

 降りしきる雨の中、傘もささずに速足で、どこかへ急ぐ男の姿があった。

 今日は、その男、本条直輝にとって最悪の1日だった。

 同棲している彼女の炊飯を忘れるという些細なミスによる朝食の食べ逃しに始まり、人身事故による電車の遅延で会社に遅刻、昼食に社員食堂で注文したラーメン定食は機材トラブルによるコンビニの一時閉店でいつもより増えた客の殺到で麺がのびた状態(当然マズかった)で提供され、最悪なコンディションで臨んだ午後もロクに仕事が手につかず小さなミスを年下のエリート大卒上司にこねくり回された。

 極めつけは、上司の押し付けてきた残業を終わらせ退社した直後に目撃した、上司の腕に身体を絡ませ甘えるように微笑む同棲中の彼女の姿。

 必死によく似た別人であると自分に言い聞かせながら急いで帰った自宅には、一切の家財道具を排した空疎なリビングと彼女の残した書置きしか残っていなかった。



「—————くっそぉ……くそぅ………ぅう……………」


 ネットの画面しか光源がない自室で、直輝はひたすら悔恨の言葉を零し続ける。

 雨の中、胸の中のモヤモヤに従い歩き続けたものの、ふと冷え切った自身の指先に気が付いた直輝はとぼとぼと自宅に帰り、唯一家具が残っていた自室でネットを供に酒に溺れていたのであった。

 思えば、本条直輝の人生には悔恨と理不尽しかなかった。

 書類整理が得意な会社員の父親と地方公務員の母親の間に生まれた直輝は、言ってしまえば特に特筆することも無い平凡な家庭に生まれた、普通の子供だった。

 借家に住み、業火ではないが栄養のある三食を食べ、休日には時々車で遠出して普段見ない景色にリフレッシュする。

 そんなありふれた家庭が壊れたのは、直輝が小学校に上がる半月前の事であった。

 会社で書類整理を任されていた父が社外秘の機密をライバル会社に漏洩し、更にはその内部調査の過程で取引先から預けられた金を横領していた事が明らかになったのだ。

 父は会社をクビになり、家には損害賠償請求と銘打って莫大な金銭が要求された。

 それは到底一般家庭に払い切れる額ではなかったが、父母はどうにかしてみせると豪語した。

 これが、まだ地獄の始まりであると知ることも無く―――――。

 母は自身の実家に直輝を預けると公務員業の傍ら内職やパートに励み、父もどうにかして定期収入を手に入れようとあらゆる企業、パート、アルバイトに応募し続けた。

 母の睡眠時間は平均で週3時間を割り、父も落選した応募の数は100を超えた。

 周囲の人間がいくらもう休めと声をかけても聞く耳を持たず、直輝の両親は自分の心身を削り続けた。

 破綻は程無くして訪れた。

 最初に倒れたのは、母だった。

 原因は、やはり睡眠不足だった。

 ほぼ毎日働き続け、空いた時間も用便や最低限の栄養補給しか行わず睡眠時間を削り続けた結果、母の身体はボロボロになっていた。

 続けて壊れたのは父だった。

 真面目だが世渡り下手だった父は目の前の仕事にひたすら打ち込む事しかできず窓際部署に配属されていた。そんな父を体よくスケープゴートにしたのが、当時の父の上司だった。

 訳も分からぬうちに謂れの無い罪に問われ、会社をクビにされ、今なお家族に迷惑をかけ続けている事が、父の精神を少しづつ削り続けていた。

 そしてお世辞にも図太いといえない父の精神は、母の入院を引き金に限界を迎えた。

 母の入院が知らされた翌日。父は、公園の藪の中で喉を突いて死んでいた。近くには謝罪の言葉が綴られた遺書のみが遺されており、それを聞いた母も程無く生きる気力を失くしたかのように力無く息を引き取った。

 当時の直輝は7歳。母方の祖父母の手で育てられたとはいえ、両親の死に様は小学2年の直輝に深き傷を与えた。理不尽な事に、父の無実が証明されたのはこの2カ月後だった。

 父を生贄にした後も懲りずに不正をしていた上司が父の同期の密告で動いた警察に逮捕され、聴取の中で父に罪を擦り付けた事を白状したのだった。

 父の名誉は回復したが、そんな事は幼い直輝には関係ない事だった。


「お父さんを、お母さんを返せよぉっ!」


 記者会見の様子を写すテレビに叫ぶ直輝の姿は、悲しく空しかった。

 最終的に母方の祖父母に養育される事になった直輝だが、その後も直輝の人生には多くの苦しみが待っていた。

 志望校に合格した筈がいつの間にか合格が取り消されていたり、初めてできた彼女に祖母から贈られた香水を盗まれた筈が何故か直輝の方が彼女の香水を盗んだ事にされて白眼視されたり、就職でも内定した会社が直前になって内定取り消しを申し込んできたりと、「良い」事があっても続けて「良い」事を押し流す大きな「悪い」事がやってくる繰り返し。


 ぐびりと温くなった缶ビールを流し込み、直輝は次々に思い返される苦汁の連鎖を振り切る。

 ふと目を向けたパソコンの画面には、直輝が現在プレイしているゲームのオープニング画面と楽し気に微笑み合うイケメンと彼を取り巻く美女美少女たちが映っている。


「—————良いよなぁ……」


「—————もし、次の人生があるなら………」


「—————次はもっと……楽しい………人生、を…………」


 酔った頭を机に預け、秘めた憧れを零しながら瞼を閉じる。

 その心の中に、苦悶に満ちた現実ではなく、虚構と理想で形作られたゲームの世界を思い描きながら。

 次の朝が来ることを、疑うことも無く。

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