2、神隠しに遭ったのは
「……失踪、ですか?」
矢波江理は首を傾げ、由市に聞いた。
「『行方不明』ではなく?」
「そう。『行方不明』ではなく『失踪』」
由市は頷き、卓袱台に湯呑みを置いた。
染めていないショートの黒髪に、短くも長くもない丈のスカートに紺色のブレザー。
近所の高校へ通う江理は、見た目そのままの普通の女子高生である。
悪く言ってしまうなら、全く特徴がない、というのが彼女であるとも言える。
江理が現在居るのは由市が経営している骨董屋兼自宅の居間。
様々な品物が置かれている為に足の踏み場すらない畳敷きの部屋。
その中でかろうじて敷かれた座布団の上。
唯一綺麗だと言える卓袱台を挟んで、江理は由市と向かい合っていた。
骨董屋自体は開店しているのだが、玄関には『まほろば』と書かれた看板が立て掛けてあるだけなので、一目では店なのかすら判別できない状態になっている。
由市本人もどうにかしなければとは思っているらしいが、どうやら思ってはいてもやる気がないらしい。
完璧に道楽としか考えられない、とは由市の弟の弁だ。
その言葉通り、玄関から居間の内部に至るまで壺や掛け軸、柱時計等が所狭しと鎮座している。
きっと、彼等の部屋も埋まっていることだろう。
「それで、何て名前でしたっけ。その小学生」
目の前に置かれた湯呑みに手を伸ばし、江理は聞いた。
「沢城枝里奈。小学5年生」
由市は江理の質問に答える。
「行方不明になったのは今日の午後4時5分。僕とあっくんが帰ったすぐ後に、ってことだね。ちなみにあだ名は『エリちゃん』だよ」
「……いや、そこまでは聞いていませんが」
江理は由市に否定の意味で手を横に振った。
「むしろ聞きたくありませんでした」
自分の名前と似ているだけに。
「そう? まぁ、それで世間で言う『神隠し』に遭ったのはそのクラスメイトで、名前は金村燿子。成績優秀、運動神経も良いと評判だそうだ」
「小学生でそれですか」
嫌な小学生だ、と江理は思ったが、口には出さなかった。
代わりに茶を一口飲む。
「但し」
と由市はそこで言葉を切った。
「人気は今ひとつ」
「……なんですか、それ」
「親御さん連中には評判が良いんだよ。親は自慢の娘だとか言ってたらしいし。でもその分余波があって、というか他の子供にとっては親に『うちの○○ちゃんときたら……』とか、『うちの子も燿子ちゃんを見習って……』みたいな感じに比較されちゃうからね。子供の意見が賛否両論あったからこその『今ひとつ』ってところかな」
「両論あるんなら、『今ひとつ』じゃないんじゃないですか」
むしろ五分五分でしょう、と江理は言った。
「いや。比率的には一対三十」
由市は否定した。
「ちなみに金村燿子を入れた三十二人がクラスの合計」
どちらが一でどちらが三十か。
江理は聞き返さなかった。
むしろ絶無に近かったようだ。
「一という事は、それが沢城枝里奈ですか」
事件の日に燿子と帰っていた少女。
「と、思いたいけれど」
「……?」
何やら含みのある言い方だった。
「肯定、というか金村燿子に対する沢城枝里奈の言葉が、『ヨウちゃんは私より価値のある人間だそうですから』だったんだよね」
「……嫌な言葉ですね」
言葉も嫌だが、そもそも価値があるかないかというその考え方が江理は気に食わなかった。
「江理ちゃんがそんな事言うとは思わなかったなぁ」
ふ、と由市が笑う。
「…………」
失礼な、とは思ったが、自覚があるだけに否定は出来なかった。
「確かに、親御さん達からもそんな話を聞いたんだよね」
「金村燿子は価値のある人間、ですか」
「近い。けど違う」
由市は湯呑みを手に取った。
「『何故、金村燿子ではなく沢城枝里奈が神隠しに遭わなかったのか』」
「……」
「だってさ」
由市は、口を付けないまま湯呑みを卓袱台に戻した。
「どう思う?」
「最悪ですね」
眉根を寄せ、江理は答えた。
「人間として、最悪です」
「でも、そういう感情こそが人間の証明だと思わないかい?」
「……だから、最悪なんですよ」
江理がそう呟いた瞬間、玄関からジリリリリ……という耳障りな音が聞こえてきた。
「ん? あっくんからかな?」
由市が言って玄関に移動した。
正確には玄関に向かう廊下、縁側と呼ばれるその隅に設置された小さな棚の前に移動し、その上に置かれたれた耳障りな音の源である旧式の黒電話の受話器を手に取った。