第三話 ~覚醒~
第三話 ―覚醒―
この世界に住み始めて早くも三週間が過ぎようという頃。
漸く生活様式や社会のルールを理解し始めてきた。
まず、この町は【カンタリス】というらしい。
使用通貨は【コルン】(§)で、1コルン≒10円、のような気がする。
カンタリスは【アナサリア】という島国の首都で、
国会議事堂や財務省などの重要な政府機関が密集している。
僕のいる地域は【ガリオーサ区】で、カンタリス中心部の【セントリア区】から50km程離れた場所にある。
大都市であるセントリアと違い、ここは所謂下町であり、小さくて古めかしい家が立ち並んでいる。
区を横断するようにレールが敷かれているのが特徴で、一日四回貨物列車が通っていは、
けたたましい音を鳴り響かせて住民の注目の的となっている。
僕の居候先であるベーカリー・コウボーは20年の歴史を持つパン工房で、
【草の根通】という、小さな店や民家の立ち並ぶ、活気溢れる道に建っている。
「元々お父さんは麦畑農家の長男で、刈り入れた麦を小麦粉にして売っていたんだ。
そこでお父さんはパン作りにはまったんだって」
リズのお父さんは、結構がっしりとした体格の、人当たりの良いおじさんだ。
白髪交じりの短い金髪は、普段はコック帽で隠れていて見えない。
パン作りにかける情熱は本物で、新作パンの研究に余念が無い。
本名はダン・バークリーというらしい。リズのウェーブがかった髪と身長は、
親父さんゆずりかもしれない。
「そして、お母さんはりんご畑を持つ家の、7人兄弟の長女。
お父さんよりもしっかりしているのは、きっと沢山の弟や妹達の世話をしてきたかもね。
熟しすぎていたり、傷がついてたりして店で売れない果物を、よくタルトやジャムに加工しては、
30kmほど離れた町の路上で売ってたんだって。それが昂じてお菓子作りに夢中になったみたい」
リズのお母さんは、少し背の低い、おとなしそうな女性だ。
何処と無く背格好が娘に似ている。多分リズは母親似に生まれてきたんだろう。
違う点があるとすれば、ブロンドの見事なストレートヘアーを持っているところか。
最も、普段は帽子の中に仕舞われているので、中々お目にかかれない。
名前はフローレンス・バークリーだったかな。
「で、二人とも都会に出て自分の店を持ちたいと思ったらしいの。
それが偶然にもこの町に来て、知り合って、一緒の店で働き始めて、結婚して、今に至るっていうわけ。
人の縁って本当に不思議なものよねー」
そういえば。
ベーカリー・コウボーのある【草の根通】の名の由来は、
朝から番まで民衆が出歩いている事から来ているらしい。
雑貨店、薬局、靴屋、アンティークショップなど、店の種類も多岐に渡る。
この独特の雰囲気に惹かれ、観光客が訪れる事もあるとか。
「外から来た人は大体一発で分かるんだよ〜。露天のおっちゃん達の啖呵に負けて、
ガラクタを沢山買い込んでたり。新鮮な野菜をあっちへ運んだりこっちへ運んだりしている、
八百屋のお兄さんの通行の邪魔をして、それで怒られていたり。話好きのオバちゃんに捕まって、
外の町の噂話を延々とせがまれたり。見てて中々愉快だよ、今度タテモリもやってみたら?」
と、リズがコメントしていたな。もし、僕もあの日、当ても無くふらついていたら、
そんな風に見られていたかもしれない・・・。
閑話休題。
まずこの世界に来たときに生じた最初の疑問は、『文明レベル』についてだった。
どうやら電力という概念は殆ど浸透していないらしく、代わりに【魔力】が専ら動力源として使われる。
因みに魔力とは何か、という問いの答えを僕はまだ手に入れていない。
【魔導プラント】という、謂わば発電所のような施設で魔力が作られ、
それが【魔導パイプ】という管を通じて各家庭に提供されているらしい。
家の所々にある、コンセントにも似た穴は魔力の供給本らしく、そこにプラグを刺せば
【魔道具】が作動する。電化製品を起動するのと全く同じ原理だ。
余談だが、僕の1コルン=10円換算レートが正しいと仮定すると、魔力使用料は結構高めだ。
理由の内の一つとしては、魔力は電気としてもガスとしても使えるという事実が考えられる。
家庭用コンロは内部に魔力作動式着火装置が仕組まれていて、
魔道パイプから流れる魔力を元に魔法の炎を起こしているらしい。
もう一つの原因は恐らく、魔力を生成する資源の少なさだ。
魔導プラントでは【燃焼石】という鉱石を利用して作られているらしい。
しかも、燃焼石から魔力を得るには何やら複雑な手順が必要らしく、
そういった要素が絡み合って魔力をハイコストなエネルギーにしてしまっている。
事実、バークリー家の一ヶ月における平均魔力使用代は700コルン。
日本円にすれば恐らく7,000円相当。中々厳しい金額だ。
だから夜は極力明かりをつけないし、シャワーだって一人当たり最高5分と決められている。
リズはその決まり事に大いに不満を持っているようだが、
「自分の魔力代を自分で払うなら、好きなだけ入っていても構わない」と
母親から言われ、渋々従っているようだ。
パン屋は四六時中オーブンを使うため、パンの平均価格は僕の知っている相場よりも遥かに高い。
店一番の人気商品、食パン一斤で§50。バタークロワッサンなんかは一個§30もする。
それでも皆毎日といって良いほど買いに来ているあたり、
余程パンというのは人々の生活に無くてはならない物なんだろうな。
実際、パンを売るリズも、それを買う客も、皆良い笑顔をしている。
僕も、いつかあんな風に笑える日が来るのだろうか。
―――*―――
パン屋の手伝いというのは中々にハードだ。
客が入れ替わり立ち代りで入ってくるので、その全てを丁寧に接客するのは大変だ。
しかも気を抜くとすぐに店内が汚れる。そうなるとすかさず掃除しないといけない。
勿論掃除機なんて気の利いた物は無いし、埃を立ててはいけないので
床掃除は基本バケツとモップで行なう。
それを行なえるのは客の居ないタイミングに限られるので、
てきぱき掃除しないと何時まで経っても店は汚いままだ。
何より腰が痛くなる。慣れていない作業は体への負担が大きい・・・。
ピークの時間帯が過ぎれば少し落ち着けるが、その間にも店先の掃除やゴミ出し、
余裕があれば食器洗いや、リズの手が回らない時に買出しに行くなど、とにかくする事が多い。
勿論何か間違いがあればリズに怒られる。
理不尽にこちらを叱り付ける事は無いのが幸いだが、仕事に真面目な彼女は、
お小言の長さに多少定評がある。たまにダンさんも怒られて、肩を縮こまらせてる。
営業時間は朝6:00から夜20:00までで、朝5時起きが地味に辛い。
手伝いが終わっても、仕込みの手伝いや店内の掃除など、何だかんだ仕事をしないといけない。
それが終わる頃にはもう21:00位で、それから夕食を食べてからシャワーを浴び、寝るしかない。
正直、夜のコンビニでのアルバイトより断然キツイ。
ただ、充実感はある。
タダで住まわせてもらっていると考えれば不満は自然と出てこなくなる。
それ以前に、この一家と汗水流して働くのはそれなりに楽しい。
店で暇な時はリズとだべっているし、お昼も可能な限り皆で食べる。
たまにバークリー夫妻は昼休みに出かけてて、店にいない時があるけど、それでもリズと共に昼食をとる。
夜は寝る前に少し話しをしたりするし、定休日の日曜にはちょっとそこらまで出かけたりもする。
まだ互いの事を完全に理解した訳でもないし、数週間そこらでもう家族同然、
だなんて有り得ないとも思ってる。
それでも、居心地の良さを否定する事は出来ない。
このままここでずっと働いて、ダラダラ生きていくのもアリだと、正直思ってしまうくらいには。
―――しかし、運命の方は僕に安寧を与えないつもりらしい。
―――*―――
「私がシャッターを閉めるから、タテモリはゴミ捨てお願いねー」
外灯が照らす春の夜。
店のシャッターを下ろす棒を持ちながら、リズが僕にゴミ捨てを頼んだ。
何時も通りの終業風景。ありふれた日常。
店の奥からゴミ袋を持って、表の方へ移動する。
食べ物を提供する店は何かとごみが多くなりがちで、
何往復かしないと全部捨てきれない事だってある。
今日も例に漏れず、一度表に行ってゴミを捨て、また店に戻りゴミを持って表へ・・・
「いやっ、やめてください!あなた、凄くお酒臭いですっ」
「なはははは、ちこうよれちこうよれ〜。よいではないか、よいではないか」
嫌な予感がする。
時代錯誤しまくりの厭らしい声と、それを拒むリズの声。
まさか、こんな平和そうな世界に飛んでまで、騒動に巻き込まれるなんて。
僕はどれだけの悪事を、前の世界で犯してしまったんだ!?
「止めて下さい、彼女が嫌がっているのが見て分からないんですか」
とっさに僕はリズの前に入った。
酒瓶を左手に持った男は、リズに対する下衆な目つきを隠そうともしない。
リズの方はというと、男に軽蔑の眼差しを送ってはいるが、
如何せん少し震えながら肩を縮こまらせているので、余計に酔いどれの嗜虐心を煽ってしまっている。
顔もスタイルも良い彼女相手に、こいつが何をしでかすか分かったもんじゃない。
面倒事は嫌だ。痛い目にあうのはもっと嫌だ。
でも、何故だろう。
―――どうして、私を守ってくれなかったの?―――
僕を責め立てる、女の子の声が、さっきから脳内を木霊している。
この声の主が誰なのか、何故僕を責め立てるのか、「守る」とは一体何の事なのか。
そんな事は、僕の感じていた焦燥感に比べれば些細な事だった。
使命感、というにはあまりにも心臓に悪すぎる。
『リズを守る』、その行動を果たさなければ、次の瞬間には、
僕は内臓をぶちまけながら爆発してしまうかのようだった。
だからこそ、あんな無謀な行動に出てしまったんだと思う。
「男ぉにはぁ、興味ねぇんだよおぉ〜!失せろ、ガキぃ〜!」
「―――っ!!」
「ひっ・・・!」
酔いどれが、酒臭い息を吐きながら、片手に持った一升瓶で殴りかかってきた。
リズは青ざめた顔で口に手をあて、震えている。
駄目だ。
ここで彼女が傷ついてしまったら。
僕は。
僕は―――
「今『盾』と成らないで、いつ成るんだよっっ!!!!」
―――ガッシャアアアァァーーーーン!!!―――
―――*―――
―ねえ・・・なんでよ。
何で、私を守ってくれなかったの・・・?
それとも、あれで守っているつもりだったの・・・?
私は・・・あなたに・・・守ってもらいたかったのに・・・!―
―――*―――
「五月蝿いっ!僕だって、誰かを守れるんだっ!勝手な事を言うなっ!」
「な、なにいいいいいぃぃぃ!?」
「・・・!」
火事場の馬鹿力だろうか。
とにかく理屈は何だって良い。
重要なのは結果のみ。
そして結果としては。
僕は、咄嗟に取った店のプレートで、一升瓶の一撃を完全に防いでいた。
まるで腕に衝撃を感じなかった。
それなのに、鈍器の方は粉々に砕け散っていた。
薄い銅版のプレートが、酔っ払いの渾身の一撃を、何の苦も無く受けきっていた。
凹み一つ残さず。
まるで、僕の『護りたい意思』が、プレートに反映されたかのように。