異世界で最初の友
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たった一人の人間が祈りを捧げる為の礼拝堂があった。
窓もないひどく狭い部屋を、いくつかの蝋燭に灯った火が照らしている。その場所はお世辞にも立派な造りとは言えず、まるで洞窟のようにも思える。
だが、この粗末な礼拝堂には似合わぬほど繊細で厳かな光を放つ芸術品が一つだけある。
慈悲と夜の光を司る神『クムール』の石像だ。
そのクムール像が佇む中央の台座の前で、一人の男が地べたに額をつけて祈りを捧げていた。
「どうか…。どうか……!」
男の祈りは、心の底からの願いであり。己が罪の懺悔でもあった。その罪が何なのか、決して口には出さなかったが、時間の許す限り、彼はずっとその場所にいるのだろう。
秘密の場所にある小さなクムールの礼拝堂は、彼の心の奥底にある風景を表しているのかもしれない。
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王都の外へと繰り出した11人の異界人達は、それぞれ比較的自由な行動を許されていた。
自由とは言うが、あくまでも自分達のレベルで魔物が対処ができる、ラハバ平原の限られた範囲だけだ。しかしそれでも、ゲームを媒介として召喚された彼らが思いっきり楽しむ分には、このわずかなフィールドだけで十分だった。
彼らには自分達に合った武器が配布され、他に戦闘補助の為の兵士と、その行動を監督する神官が一人ずつ手配された。
11人の内ほとんどが、剣、斧、槍など近接戦闘のための武器を選び、飛び道具や魔法をメインに戦おうとする者はほとんどいなかった。
ヤギリは何を選んだかといえば、『弓矢』である。
盗賊のクラスであるヤギリは当初ナイフを使うつもりであったが、儀式の間で行ったステータス偽装によって神官達に『狩人』と認識されてしまい、仕方なく弓矢を選ぶことになったのだ。
本来のクラスとステータスを偽っているヤギリにとってこの状況はかなり冷や汗もので、実際バレたら大変な面倒事が起こっていただろう。
しかし不幸中の幸いか、『ヤギリ』こと長雲景通は元の世界で弓道を経験しており、ある程度狙ったところに矢を当てる技術は持っていた。『魔弾の射手』とかいう強力なスキルについても実際には持っていないためボロが出るかと思われたが、このスキルを使用するのに必要な量の魔力を持っていないために、使えなくても問題なかったのだ。しかも序盤のステータス成長率を低くする『大器晩成』という特性も合わせて、当分の間はヤギリが『狩人』であると誤魔化しておくこともできる。
そうは言っても実際のところ、他の異界人と比べてヤギリだけ危険な状況に陥りかけているのだが、そんなことは露知らず、彼はそこそこ暢気に『狩人』としての戦闘を楽しんでいた。
他の10人はといえば。
剣を選んだ者が三人。他は槍が一人。斧が一人。戦棍が二人。弓矢が一人。魔法の杖が一人。そしてもう一人は拳闘用の手甲。これは、まさか拳闘で戦おうとする者がいるとは神官や兵士が考えていなかったため、王都の武器屋で急遽調達してきたものだ。
彼らは各々散らばり、手ごろな魔物を見つけては退治していく。
王都の正面に広がる平原には、城の地下で神官長が言っていた『グミ』をはじめ数種類のモンスターが生息していた。
警戒心が薄く動きの鈍い『ドドール』と呼ばれる泥人形。
モグラとネズミと犬が混ざったような『ボリードッグ』。
コウモリのような羽をバタつかせ襲いかかってくるイグアナのような『リザーラ』。
小動物の死体に寄生した菌が魔力と植物のツルや葉を取り込んで生まれる『グリーンブギー』。
見た目こそ不気味だがほとんど人間の脅威にはならないモンスターがいくつか生息していた。
時折、人を襲うほど凶暴で恐ろしい魔物がうろつく事もあるが、通常任務として小隊規模のカマルナム巡回兵が日に二度ほど王都周辺を見回っており、幾度となくそういった魔物を撃退している。仮に今回の訓練で突然凶悪な魔物が現れたとしても、異界人の近くには巡回兵以上の戦力が備えているから問題は無い。もしかしたら今後、ちょっとやそっとじゃ歯が立たないような恐ろしい魔物が平原に現れる可能性も無いとは言えないが、現在の彼らが危惧することではなかった。
暗黙の了解かどうかはわからないが、11人はそれぞれ距離をとって個別に戦闘を行っていたのだが、ヤギリだけは、意図的にある人物の近くでの行動を心がけていた。
◇
さっきから気になってる奴がいる。
『笹川兵蔵』と名乗った男だ。きっと歳も近い。
剣道をやっていると聞いたのはついさっきだが「そうだろうな」と、俺はもっと早くに予想していた。
「間違いない。絶対に意識している」
彼はヤギリの予想通り剣を武器にして戦っていた。剣道を習っていたというのだから当然だと思うが、ヤギリは笹川の名前を聞いたときから確信していたのだ。なぜなら、その名は時代小説作家『湖凪正太郎』の代表的な著書に登場する主人公の名前と同じだったからだ。
(まさかとは思ったけど、俺の同い年ぐらいであの作品の影響を受けてる人に会えるなんて嬉しいな)
少し話してみるか。
付き添いの兵士に、休憩がてら他の人の様子を見てくると告げて、俺は笹川の所へ向かう。
なんて話しかけようか。いきなり『仏蔵捕物帳』の話を振るのはどうかと思うし。しかし、ある程度彼があの作品を意識してるのはわかっていることだ。もしも勘違いだったら逆に凄い。
笹川はボリードッグやグリーンブギーを重点的に倒しているようだ。ただ作業のように戦いをこなしているのではなく、試行錯誤して戦い方を工夫しているように見える。
おそらく、自分の腰より低い位置の敵を相手に戦うという状況がほとんど無かったからだろう。地面を這うような魔物を剣で攻撃するのにはいろいろと工夫がいるんだろうな。
実際に笹川も、かなり腰を低くした構えを試したり、少ない予備動作で下へ向かって突きを放ったりと何度も試しているようだった。
「研究熱心でありますな笹川殿」俺はわざと時代劇を思わせる喋り方で話しかけた。
ちょうど一息つこうとしていた彼は意表を衝かれたような表情でこちらを向いた。そして愉快そうに笑い出す。
「あっはっは。まさか『笹川殿』なんて呼んでくれる人がいるとは思わなかった!もしかして?」
「もしかして?」
「仏の」
「兵蔵」
俺たちはその瞬間に「よっしゃあ」とガッツポーズをし、強い握手をした。
△
同い年ということもありすっかり意気投合した二人は野外での訓練が終わり城へ戻ってからも共通の話題で盛り上がり、友誼を深めることになった。
それだけではない、彼らはその日の夜以降も、良き戦友同士であり続けるのだ。
この世界で、ヤギリにとっての救いの一つになる笹川兵蔵との出会いは、本当の本当に幸運であった。
果たしてそれは仕組まれたものか、それとも偶然か……。
この時の笹川はもちろん、ヤギリの本当のクラスが盗賊であることは知らない。