腐った肉塊の魔物
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『グミ』かどうかも怪しいあの不気味な魔物が、いや、魔物ですらないかもしれない肉塊がまだ生きているとは。
神官長ダルコンは、何年か前に捕獲されこの城に持ち帰られた『グミ』の亜種らしき魔物に得体の知れない不気味さを感じていた。兵士達がこの恐ろしげな物体に特別な疑問も持たず、玩具のように扱っていることも不快であった。それでも、彼らの日頃の憂さ晴らしにはちょうどいいとこれまで目を瞑ってきた部分もあるため、叱責することも躊躇われる。
不用意な事はしたくありませんが…。そうですね『守護英雄』の方々にアレを攻撃してもらい、彼らの目に何が映るかを聞いてみるのもいいかもしれません。
「……まあいいでしょう。お任せします」
「はっ!では持ってまいります」
小隊長が訓練場の奥の扉に向かって走り出す。そして中から出てくると大きな箱を持っている。俺達のいる場所までそれを持ってくると箱の中から布で何重にも包んだ物体をとり出し地面に置いた。
その瞬間強烈な腐乱臭があたりに漂い始める。
あまりの臭さに神官長達を含め11人の守護英雄達は何歩も後ずさった。
兵士達は臭いには慣れている様子だが、さすがに直接手では触れたくないのか、小隊長は途中から棒切れを使って布をめくっていく。
「これが『腐ったグミ』です」
◇
『グミ』と呼ばれていたそれは、腐ってドロドロになった肉の塊のようだった。土やら煤やら色んなものが混ざって焦げ茶色と灰色のマーブルみたいになっている。
そして、吐き気を催しそうなほどの悪臭。兵士達は慣れているのようだが、神官長達は顔面を皺くちゃにして鼻を摘んでいる。
異世界人の俺達も皆同じようにしているが、二人ほど例外がいた。
まず一人は俺だ。確かに臭いし顔を歪めてしまうほどではあるが、比較的うろたえていない。もう一人は、20代になるかならないかの若い男で、顔面をくしゃくしゃにしているが「うわあくせぇ!」と言いながら面白がっている様子だ。名前は……思い出せない。
異界人達が口々に不満を漏らす中、神官長が「これは『グミ』と呼ばれる魔物…に似た謎の生き物なのですが、これを先ほどの要領で攻撃してくださる方はいますか?」と聞いた。
当然のように殆どが一斉に首を横にふる。
「オレやってみたいっす」
手を上げたのは、さっき笑っていた若者だ。
「じゃあ俺も」
なんとなくつられて手を挙げる。
若い男が俺を見て「おお~。お兄さんもなかなかやるね~」なんて言いながら無邪気な笑顔を向けてくるので「まあ、この手の臭いには少し慣れてるから」と返しておく。
自分以外に強烈な悪臭に動じなかった奴がいるという事に、ちょっとばかり仲間意識みたいなものを感じてしまった。 手を上げたのも、魔物に対する戦闘意欲が合ったわけじゃなく『変わった魔物にアクションを起こせば経験値を得られかもしれない』という考えがあったからだ。
メガネの女が「ええ~どうかしてるよ~」と言うのが聞こえる。
うん、否定は出来ない。
「お二人はなかなか度胸がありますね…。それではどうぞ、試してみてください」
神官長の言葉を合図に、俺と若者は凶悪な腐臭のする物体の方へ近づく。すると若者が話しかけてきた。
「おにいさんすごいね。あの臭いに結構平気そーな顔してたもん」
「俺は仕事の関係で普段から強烈な臭いには慣れてるからなぁ。でも、そういう君も臭そうにしてるわりに随分楽しそうだったよね」
「うはは!あれはなんというか臭すぎて逆に笑うしかなかったっつーか!脳みそがとっさに変なもん分泌したんじゃないっすかね!うははは!」
この青年はしゃべり方や振る舞いはいかにも軽薄な若者って感じだが、とっさに「脳が分泌」って出てくるあたり、それなりの学はあるみたいだな。名前は後で確認するとして、心の中で『分泌青年』と呼ぶことにしよう。
「なるほどなぁ。それよりも、先にどうぞ」
「お?いいんっすか?じゃぁ遠慮無く~」
分泌青年は軽やかに棒を持つと、肉の塊の前に屈みこむ。対象が横たわった幼児くらいの大きさのため立ったまま攻撃するのは困難なためだ。
「やっぱ近いとすげーくせ~」などと言って棒を振りかぶる。が、ピタリと止まって、横の少し離れたところにいる神官長の顔を見る。
「これって、叩いたら変な液体が飛び散ったりします?」
「はて、どうなんでしょう?」先ほどの小隊長の方を見る
「いままでそういったことはありませんでした。心配ないと思われます」
「そんじゃ遠慮無く」
青年はしゃがんだままおおきく振りかぶって腐った肉塊へ木の棒を叩きつけた。
奇妙な音がした。叩いた音やダメージ表示の音はしたが、それとは別な音だ。今も腐った肉の塊から弱々しく発せられ続けている。
悲鳴だ。
これは暴力に怯えるうめき声だ。凄まじく暗い気分にさせるような響きを含んだ、悲しい鳴き声。
この場にいるほとんどの人間が嫌な気分になっただろう。兵士達は普段からこの物体を痛めつけて楽しんでいるのか、気分を害しているような感じはしない。
以外にも、分泌青年は困惑したような顔で棒を殴る手を止めている。
「うへぇ~なんだこれ気持ちわりい~」
青年は殴るのをやめて棒でつつくようにして肉塊の反応を確かめている。
そのたびに肉塊からはなんとも言えぬ苦悶の音が漏れでている。先程の悲鳴よりは小さいが、不満気な声を発しているのは変わらない。不気味な魔物だとはわかっているが、どうにも気分が悪い。
彼も同じように嫌な感じがしたのか、飽きたように魔物から離れ「お兄さんどうぞ」と譲ってくれた。
「お、おう」
「叩いた感じ、ダメの表示とかはさっきの木人とおんなじっすね。なんか悲鳴みたいなのが気持ち悪いのが嫌っすけど」
軽く説明しながら棒を渡してくれた。
彼は『ヒャッハー!』しそうなチャラい見た目に反して、意外と常識的な倫理観の持ち主なのかもしれない。ゲームの中の魔物に対して何か思う所があったのだろう。かくいう俺も、さっきの魔物の声のせいで攻撃する意志はほとんど無くなってしまったのだが。
「それなら同じように叩くだけってのも意味が無い気がするな」
そう言って青年と同じようにしゃがんで肉塊と対峙する。
俺にはこの異臭を放つ腐って爛れた肉塊のような魔物が、普通の魔物ではないんじゃないかと疑い始めた。
(実は元人間で、なにか強大な呪いか魔術によってこんな姿に変えられてしまったのではないか?この肉塊を助けるとフラグが立って、あとで助けてもらえるとか……)
〈パァ~~~!!〉
またか!さっきの二人の反応を確かめたいが、今は我慢だ。それよりもどうする?この流れで何もしないってのも怪しまれそうだし……。
「そんじゃとりあえず」
棒を地面において、肉の塊を触ってみる。手袋をしているからなんともないが、素手で直に触れたらどうなるだろう。さすがに触ったら手が腐るなんてことは無いよな?
「なにしてるんですかぁ…!?」
メガネの女の声だ。本気で驚いているからか普段の間延びした感じではない。
「いや~。叩く以外のことをしたらどうなるか気になるじゃないですか?」
他の人にも見えるように身体の位置を変え、わざとらしくこねくり回すような手の動きを見せる。
「触っても大丈夫なんですか!?」メガネ女とは別の女性が驚きを隠せないように尋ねてくる。
「一応手袋してるんで、今のところはなんとも……。いやぁそれにしても臭いな~」
再び身体の位置を変え、周りから見えづらいように肉の塊を触る。触るというよりは撫でているというのが正しい。
ふと、魔物の所持品から何かわからないかと思いつき。盗みのスキルを使ってみる。
アイテム欄が表示され、いくつか所持品があるのがわかる。そこまではよかったが、すべて???となっていて、しかも盗める確率が0%だった。
「これは……」
人間かどうかは判別できそうになかった。が、別の確信を得た。
こいつは後でかなり重要なイベントに関わってくるに違いないと。
(今は無理だが、後で助けてやるか)
そう決心したあと俺は魔物から離れた。
「いや~。じっくり観察したけどなんにもわからなかった。臭かっただけだな」
他の10人だけでなく神官長達も奇異の目で俺を見ていた。特に女性陣は「あの人ヤバイ」という顔をしている。
コホンと咳をした神官長が「お二人共、その『グミ』を攻撃したり触れたりした後で、何か能力に変化はありましたか?」と聞いてきた。
俺と青年は顔を見合わせる。
「特に何も無かったっす。経験値とか入った感じもないっすね」
「同じく」
スキルでアイテム欄を確認したことは当然言えない。
「……そうですか。それではその『グミ』を相手にして皆さんの力を成長させるというのはできないのですね。しかたがありません。それでは当初の予定通り、王都の外へ赴くといたしますか」
いよいよ、か。
これから俺達11人は異世界の空の下へと踏み出すことになるのか。少し不安はあるが、楽しみだ。
▽
王都の外へ出てからの11人の異界人達は、至って順調に『ゲーム』を楽しんでいた。
城へ戻って来てからの異界人同士の交流も、晩餐のパーティも、壮大な冒険の始まりを彩る素晴らしいひとときだった。
その夜、あの出来事が起こるまでは。
異界の11人の服装について全然言及していなかったことに気づく。