幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(9)
これまでの主な登場人物と、今回出てくる人物のファミリーツリーを掲げて、読者の参考とします。(私が理解している範囲で図にしてみました)
其 九
眞里谷の嫁のお静の噂を老婆が話し出した途端に、僧は少し顔の色を変えたが、やがて落ち着いて静かに話を聞き終わり、
「眞里谷の家に嫁がれた叔母様には早くに母を亡くした我が身の世話を色々していただいたので、懐かしさもひとしおで、今度も久留里で父上のお墓の塵を払った後、まず第一に訪ねましたが、益齋殿も叔母上も、そして思いも寄らぬ甚之丞殿も皆すでにお亡くなりになったとは、世捨て人の我でさえ、今更ながらこの世の儚さに打ち驚きました。今のお話しを伺えば、仲の良かった甚之丞殿が亡くなられたのには口惜しく痛ましい思いがいたしましたけれども、お静殿とやらの男勝りのご尽力により家がしっかり守られていると聞いて、我が絶やした内田の家に引き較べてその家が幸福というのは、益齋を襲がれた甚之丞殿も墓場の蔭で頼もしく悦んでおられることでござりましょう。仰る通り、たとえ悟りが開けたとしても手柄にもならぬことなのに、むざむざ何年もの年月を費やして、紫衣も着ぬとは、家が断絶しても構わぬと発心…出家して仏門に入ること…したのに、何という愚かさ。真にお恥ずかしいことながら、ただ、それには少し別に考えもござりますので、墨染めの木綿衣を纏っておりますが、口惜しくもござりませぬ。しかし、叔母様、お聞き下されませ。内田の家が後に残れば良いのでありましょう。もし、我のために断絶などしているならば、家名は必ず立てようと考えて心構えもいたしてござりまする。四恩の中でも大変重い父母の恩をなおざりにして済まそうなどと言う考えはなく、勿体なさ過ぎる喩えではありますが、釈迦文仏も晩年には父母の許しの無いものが僧になるのを可とはされなかったほどでありますから、改めてここに申し上げまするが、内田の家が絶えたのを必ず興しまする覚悟。実はそれをも極々心の底に持ってお訪ね申しましたが、申しにくいことではありますが、お宅の状況が思っていたのとは違っておりましたので、心づもりも変えなければならないと申し遅れておりました。ご承知の通り、私は幼い時から画の道と詩文の道とを好みましたが、出家の後は謹んで、余計なことはせずにおりました。けれども、好きなもの故、自然と筆の先にあらわれて、望まれれば断りも出来ず、一枚描き二枚描きしておりましたが、世間の勘違いなのか、珍重され、そのため思わぬ知り合いも出来る内に、筑前博多の絞り問屋の隠居で友雪という風雅人と取り分け親しくなり、今ではその子の玉之助という今年十二の美しい子を、寺中に引き取りこそしませぬが、弟子にするか俗人に育てるか、何にせよ『進ぜましょう』『もらいましょう』と約束いたしました。仔細はややこしいことながら、その友雪というのが隠居の後、妾のお半という女に生ませたのがすなわち玉之助で、勝手な考えから、お半が四年ほど前にその家と児と共に捨てて行方をくらましてからは、友雪ももはや老年なので、再び妾を置くでもなく、ただ風雅三昧に日を送り、玉之助を当主である宗之助の方に遣って商売の道を習わせて、行く末は隠居所にあるだけの財産を譲り、相応の商人にしようとしたけれど、末の子だけに心遣いも細かく、親が思っているようには行かず、児は生まれつきかどうかは分からないけれども、不思議な性分で、算盤を教えれば、二一天作の五とも六ともできないのに、算盤の顆子を外して捻り独楽を作り、手習いをさせれば字は書かず、店の番頭の似顔絵を描く。使いに遣れば口上を忘れる代わりに、道端の犬を引き連れて帰って来るという始末に負えぬ児童。しかしながら、取り柄はあるもので、放って置いて画を描かしたままにして置けば、半日でも一日でも、音も立てずに息を凝らして様々なものを巧みに写し、これが十一、十二の児の筆によるものかと怪しまれるまでに能く描く。それ故、この子は商人にするよりも絵師にした方が良いのではないかと言わない者がないくらい。しかも、松原屋の店には、宗之助夫婦、友雪の本妻、本妻が大事にしている宗之助の児、長太郎、おせい、榮二郎という三人、番頭頭、若い者、丁稚、下女、乳母、裁縫女と、全部で三十余りの人数がいたから、主人夫婦も召使い共も、玉之助に対して各々の気遣いをする。中には矢鱈と彼に媚び、へつらって何やかやしたりする。母が自分から榮二郎を庇って玉之助を叱れば、主人が隠居への義理で玉之助を庇って我が子を叱る。嫁は困る。番頭は面倒がる。丁稚共は謗るというような具合になれば、酸いも甘いも呑み込んだ友雪は、いっそ玉之助を画描きとか僧とかという変わり者に仕立ててしまって、全然本家とは別物にして退けた方がよかろうと、今では自分の手許に引き取り、本人の好きにさせて、画を描こうと、遊ぼうと好き勝手にさせておいたのですが、ある時私に向かって、
『この児をもらって大人にしては下さるまいか。少ないけれども大きくなるまでの費用として千円を添えるつもりだ』との話。成程、それも親御の慈悲であろう、愚僧を見込んでのお頼みは嬉しいけれど、未だ分別も無い者を僧にするのは賛成出来ぬ、ついては愚僧の生家の状況はこれこれしかじかとなっていて、叔母かその他、しっかりとした縁者が存命して居れば、生長した後はどうなられるかは分からないが、内田の姓を名乗らせたい。それでご不足がないと言うなら愚僧ができる限り良いように育てましょうと固い約束を結びました」
つづく