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幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(8)

 其 八


 往時(むかし)の権七郎である(さい)(しょう)の話には分からないことは無くもなかったが、おおよその事情が分かった老婆のおとわは、二十五年のその昔から剃髪、墨染めの僧衣の身となりながら、未だに一寺の住職にもなっていないと聞いて、少しがっかりしたのか、苦笑いして甥の顔をじっと見詰めつつ、

「悟りとやらが開けたならば、そなたの身体から金色(こんじき)の光でも出るかは知らぬが、そんなに歳を無駄にしてまで欲しがるほど尊いものか。ここらの小児(こども)は江戸に出ても十年の年期奉公、三年の礼奉公、合わせて十三年も()てばまあひとかどの男になって親兄弟を喜ばせるが、そなたは若い頃からして学問もよく出来たと噂に聞いていたので、行く末は頼もしい者、見上げた者と兄様はもとより、私たちまで望みを懸けて悦んでいたのに、その後は阿呆にでもなったか。そのざまで自分は満足しているらしい様子だが、印可證(いんかしょう)(めい)とかいうものも取りもせぬとは。印可が鳥の名やら、證明が南無阿弥陀仏ということやら一向に分からぬ私にも、僧侶(ぼうさま)の方の学問がきちんと出来きらぬようだの。二十年余りも経ちながら紫色の袈裟も()ず、()(ころも)()けぬとは、何も分からぬこの私には有り難みがなさ過ぎる。極楽へ往生するだけのことなら仏の御名(みな)さえ唱えれば、浄土へ参るということをお説教で聞いて、私でも知っているのに、そんなに残念なほど修行に月日を要する訳でもあるまいに。そなたはそのような阿呆ではなかったのに、やはり家出の時から痴愚(たわけ)になったと思われる。家出の仔細も()くなというなら訊かぬが、我が家の断絶のことを聞いて涙をこぼすほどの根性が本当にあるのなら、たとえ下らぬ迷いから親を棄て縁者を棄て、出家になったにせよ、もう今頃は僧都(そうず)とか僧正(そうじょう)とかになって私等の眼にも尊く拝まれるようになっているはずなのに、ただの修行僧とは何事ぞ。それに引き換え、そなたも知っている同じ藩中の遠藤兵(えんどうひょう)太夫(だゆう)殿(どの)の妹御のあのお(しず)殿はの、そなたが家出をすると間もなく眞里谷の家へ姉のおかよが是非にと望んで、甚之丞(じんのじょう)と言うていた、ほらそなたも知っていよう、あの顔色の真っ赤な男らしい好い男の嫁にもらい受けられたが、やがて初産の世話も焼かずに姉は死ぬ。益齋(えきさい)殿も引き続いて亡くなられる。後は甚之丞が益齋の名を継いで二十九で御手(おて)医師(いし)…おかかえ医者、侍医…を勤められるという始末。お静殿の苦労も大抵ではなかったけれど、可哀想に六年ばかり前、今のお小夜を腹に持っている中に連れ合いに先立たれて、眞里谷の家でたった一人となってしまわれた。しかも、男でさえも身の振り方に迷うことの多かったあのご維新の騒ぎの頃であったが、感心だというのはそこじゃ、お小夜を産み落として身が二つになると、直ぐに面倒の多い久留里を引き払い、手にしたあるたけの物でこの村の土地を買い、私を頼ってこの村に引き移り、極々質素に、五人いた使用人の男女も二人にするというような暮らしぶり。ただただお小夜を守り育て、好い婿を取る将来の倖せを心に描いて日を送って今もおる。私と(しょう)が合うのか、はたまた、お静殿が怜悧(りこう)だから偏屈のこの婆ともつきおうておられるのかは知らぬが、お静殿の連れ合いが存命中から何時となく青柳、久留里と隔てていながら、年に三度、四度は往き来するほど懇意になった。また一つには益齋殿が亡くなられるや否や、元のご家老の榊原(さかきばら)大蔵(おおくら)と言われる方が丁度後妻を探しておられる矢先に、チラと色香がなお残っているお静殿を見られてから、無理にも、という横恋慕を、素気なくするのは簡単だけれども、板で鉄砲玉を受けるよりは幕で受けた方がよいという理屈で、優しゅうあしらって、いきなりこの村に来てしまわれたのだが、その後、前に言うた通りの女だから、しゃんと一家の主人となって、多くの小作人を使い使うて、馴れないことであっても抜かりなく、青柳の家は仔細あって、こう衰えたけれど、眞里谷の家は一年増しに栄えてきた。この村一帯ばかりか近村、近郷からも『凄い人じゃ、女にしては恐ろしい』と褒めて噂をせぬ者はない」と話す。


つづく


段々と登場人物が増えてきて、読んでいても頭の整理がつきにくくなるが、ファミリーツリーを作ってお示しできればと考えている。

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