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幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(7)

 其 七


 手に(いのしし)の頭を引っ提げて、口で仏の戒めを唱える昔の快活漢、ざんばら髪でゆるい衣を着て、大通りを千鳥足でふらつく婆須(ばしゅ)(みつ)尊者(そんじゃ)ならばそうであるかもしれないが、自家の家風は自家で保つもの。自分のことしか考えないと、笑えば笑え、我はあくまでも仏の禁戒を正しく守って、針の(さき)ほども()()()…僧侶の絶対に行ってはならない極重罪…や偸蘭遮(ちゅうらんじゃ)()()()等の未遂罪…の罪を犯すことは無いのだと、(さい)(しょう)法師は主人(あるじ)(こころ)(あつ)いもてなしての、あるいは、お力が口上手に勧める酒を(ひと)(しずく)も受けず、ひたすら辞して、叔母だけの話に耳を傾ければ、新右衛門もお力も少し手持ちぶさたになって、何となく萎れてしまったように見え、お力はその雰囲気に堪えられず、座を外したが、老婆はそれを内心悦んでいるように思えた。


 僧は少し座を近寄せ、

「叔母様、何もかも皆夢と仰りましたお言葉通り、真実(まこと)に浮き世は夢のようではござりまするが、夢ばかりとは言い切れません。消えてなくならないものも随分あるのでござります。二十歳の時に家出いたしました不孝の罪は未だに消えず、若気の過ちとは言え、何の覚悟さえも無かった行いの恥も消えず、父上のご臨終にも駆けつけなかった言いようのない(わたくし)の罪は中々拭っても消えがたい大々罪。何とも申し上げようもござりませぬ。思い起こせば二十五年前の昔は気でも違ってか、狐にでも()かれてか、浅ましい念慮(おもい)()えられずこの身を動かし、前後(あとさき)の分別も無く、よくもまあ、勿体ない父上の御厚意、叔母上達の御愛情、五助爺等の迷惑を軽んじて、家出なんかをして退()けたことよ。その時は、この権七が修羅であったか鬼畜生であったか、と常々懺悔いたしておりまする。今度も久留里で我が家の菩提寺は確か高雲寺(こううんじ)と覚えていたのを幸いに、家を尋ねても分からなかったので、其寺(そこ)へ行き、出家後、我が家はどうなったのか住職に訊こうと、先ず、母様の御墓の前に参ってみれば、それに並んで立っているのは父上の御墓(おしるし)。それと知った時のその悲しさ、ある程度予想はしていたとは言え、又今更のように口惜しく、僧の身で恥ずかしいことながら、読経申し上げることもできない程胸が塞がって、唯々泣いて倒れました。それから住職に詳細を聞けば、『内田の家は早くに断絶、青柳、眞里谷の両家から付け届けがありましたので、無縁仏にはいたしませぬが』との返辞に、我の不心得によって先祖代々連綿と続いてきた家を絶えさせてしまうまでになってしまったか、ああ、申し訳ないことと、つくづく後悔いたしましたが、家出の訳はお尋ね下さりまするな。お話し申すまでもなく、いずれにせよ若い頃のひょろついた考えで行った下らぬこととだと、お思い捨てて下さいまし。久留里を出ましてからは、勝手に自分で(もとどり)…髪を頭上に集め束ねた男性の髪型…を切り、当時京都妙心寺に鬼頑(おにがん)(てつ)と言われた臨済宗の大禅師が居られる所へ一目散に尋ね行きまして、散々に(けい)(さく)…坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒…を食らい、(かつ)を浴びせられましたが、一寸(いっすん)たりとも動き、退(しりぞ)くことはすまいと、歯を咬んで、禅堂に岩のように坐る時の早朝の寒さ、眼を輝かして経堂(きょうどう)で心を励ます時の夜更けの(むご)さをも忍び忍んで苦学しておれば、時には禅師も大変優しく、『殊勝なり』と褒めていただくこともありましたが、根気が下劣であったためか二年、三年、四年、五年、七、八、九年と年数は経つけれど、それでも道に到達出来ていないと、印可(いんか)…師がその道に熟達した弟子に与える証明…をいただけず、よくよく我を宿業(しゅくごう)…過去世において自分が行った行為…が本当に悪かったのだろうかと我が身ながら(うと)ましく思うにつけ、この世で修行し、成就しなければ、何時(いつ)の世で成就することが出来ようかと、自ら憤り、自ら励まし、余念なく(つと)めておりましたが、そのうち禅師が亡くなってしまわれ、頼りにしていた舟が壊れてしまったような気持ちになって、茫然となり、(いち)()…僧が修行する陰暦4月16日から7月15日までの90日間…を空しく費やしましたけれど、頑鉄門下の一番弟子であった(てつ)(がい)法師(ほうし)と言う人が、我を先師の遺命によって極めて厳しく罵り懲らされたことによって、再び勇気を起こし立て、諸国の耆徳(きとく)…徳の高い老人…や、尊宿(そんしゅく)…徳の高い僧…を訪ね、山陰、北陸から信濃、尾勢(びせい)、大和、紀伊、南海、山陽を経て、巡り歩いて豊前(ぶぜん)小倉(こくら)の金仙寺に隠遁されておられた海音(かいおん)禅師(ぜんし)と言われる方に思いがけず出会い、前世に縁でもあったのか、十有余年付き従い、今もまだお許しはいただけておりませんが、しかし叔母さま、お悦び下され、たとえ一山一寺は得ておりませぬものの、やがて正式な印可もいただける望みも無きにしも(あら)ずの身の上でござりまする。


つづく


「さゝ舟」は、『其 十三』までありますので、現在、約半分を越えたところになります。

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