幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(4)
其 四
一勝負終わったので、今が良い頃合いだと旅僧は近づいて行き、軽く新三の肩を叩いてニッコリしながら、
「新坊、我はお前の家を訪ねて遠くの方から来たものだが、家まで案内してくれぬか」と言えば、新三は又例の児童らしからぬ顔をして僧の面を覗っていたが、返事もせず横を向いて、お小夜の手を取ったまま、
「あっちへ行って遊ぼう」と、二足、三足歩き出す。その手に引かれて一緒に歩きはするが、こっちを見たお小夜は新三に、
「お前のところへお客さまが……」と、さも案内せよとばかりに囁く。しかし、首を打ち振って、
「なあに、父さん、母さんの所へ来たお客には我は構わない。お祖母さんのところへ来た人だったら連れて行ってやるけれど」と、答える言葉を耳にした僧は、不思議に思いながら、
「我はお前のお祖母様をわざわざ訪ねてきたのだから、連れて行ってくれてもよかろう」と話せば、これは不思議、新三郎は忽ちこっちに駆け寄って、その顔は又例の滴るばかりの愛嬌を浮かべて、早くも法衣の袂を取ったが、お互い二人が言葉を発しない間に、袂を突き放して、
「嘘だ、嘘だ、人を欺すな、乞食坊主め、お祖母さんを我が好きだと言ったので、そんな嘘をつくのだろう」と、児童に似合わぬ疑いの色をいとも憎げに顔に表して言うので、ますますおかしいと思ったけれど、一段と表情を和らげて、
「いやいや、嘘は我は嫌い。嘘などつかぬ証拠には、お前のお祖母さんの名前がおとわというのを知っているし、又お祖母さんにこの我の権七郎という名を言って会わせてくれれば直ぐに分かることだ。遊びたいならそれでいいが、人を無暗に嘘つきなどと言ってはよくない、宜しくない。好い児は人を疑わぬものだ」と、口調もなだらかに話してやれば、悔しそうな顔をしていたが、無言で僧の袂の端を捉えて、家の方へ頻りに曳いて行けば、僧は嫌がらずに曳かれるままに歩いて行く。しばらくして屋の前後に古い樹など、眼に入るものは何も無く、馬屋も見えず、庫も見えないが、材質は悪い代わりに、少しばかり新しそうな家の前に来ると、すぐに僧を放して駈け入った。建物は藁葺きであるけれども『ノゾキ』という葺き方でもなく、一見すると福運も細そうな屋根と、さぞ薄いだろうと思える上、素人細工と思われる外壁が所々凹み落ちて、ひび割れを繋ぐ莎が一面に見えたままになっているなど、見栄えも良くないところへ、竹骨さえ彼方此方に出ているといった哀れな有り様であった。
待つほども無く下男らしいのが洗足の湯を持って来たのと一緒に現れた女、歳は三十七、八くらいだろうか、額に小皺が少し見えるが、襦袢の襟の色は派手で、膝の抜けた藍縞のぺらぺらしたものを、農家の女には似つかわしくなく裾長に着こなした様子が嫌らしく思える。それが慇懃さも嘘っぽく手を揃えて、薄皺の寄ったような声のくせに、悪い油気がついたようなべたべたした調子で、
「さあまあ、ご挨拶はお後に願いしましょ。お洗足をなさって下さりませ」と、一寸会釈して、怜悧くさく物を言う。下げた首を上げる時、耳の後ろの髪が薄く、地の色が仄白く透いて見えた。
つづく