幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(3)
其 三
新三が泣いて、待ってと言うのを誰も聞き入れない雰囲気であったが、お小夜というのが立ち戻って、
「私は待つから一同もお待ちよ」と優しい声で言い出した。すると、
「お師匠さんのところの小夜ちゃんが待てと言うから待ってやろう」と、各自、岸の小草の上に立ってそのまましばらく休んでいたが、その間に、新三郎は引き返して例の藪の中から葉を取ろうとするのを、お小夜は親切にも懐の中から、前もって自分のこの次の勝負のために採っておいた幅の広い色美しい葉を探し出して、
「さあ、新ちゃん、これをあげよう、これでお制作え」と、渡してやった。傍で見る眼にも嬉しく優しく映ったので、悦んでその笹の葉を取るのかと思ったが、そうではなく、狐が魚を食らうようにお小夜の手から引き奪って、憎らしくも人が好意で折角くれた物を地面に投げつけそのまま駆け出す。その素振りはいかにも不思議で、僧が気をつけて見ていると、泣き声を立てたさっきよりももっと苦り切った顔つきで、眼尻を釣り上げ、唇をしっかり閉じたその相形は、あたかも大人が怒ったようで、ほんの少しも幼児らしい様子はない。不思議な幼児もいるものだ。たとえばどんな性格であるにせよ、幼児の面というのは何処かしら穏やかなところがあるが普通なのに、この児のように惨たらしく、凄まじいだけで、少しも和やかな雰囲気のない面相をするものを未だ見たことはない、となおもよく覗ってみると、児童はさすが児童だけあって、雨雲が去ってしまえば山はさらに青く明るくなっていくように、笹の葉舟を作り終えると、
「さあ、もう出来た、誰にも負けぬ」と岸辺に向かって駈けながら呼ぶ時には、赤い花のような唇の端や、秋の水が清く澄んだような眼の中に、言葉では言い表せないような愛嬌が動いて、これまでの諸菩薩の童形もこれを超えることもないと思われるばかりで、旅僧も自分の顔に浮かぶ自分の微笑に、先ほどの自分が感じていた思いを消して、我を忘れて眺め入った。
柴橋から上流にあたる一枚橋の上に列んだ児等は皆、和やかで、あの乱髪のガキ大将もその横の黄色い顔をした八つばかりの女の児も、その次の児も、次の次に控えた耳朶の極めて大きいのが親の自慢のしどころとでも言うべき児や、狭い額に眉の素晴らしく太く濃い児も、各自が手に手に舟を持ってメジロのように身体を押し合わせ、お互いに肩を揺り動かしながら、合図があれば巧く舟を水に放して走らせようと、争いではあるけれど無心の戯れ、しかし、無心であるけれどもこの競争の遊びに勝とう、自分が勝ちたいということから、身のこなしも上手に水近くに腰を低めて腕を垂れている中に、一番末尾にいる新三郎がお小夜の肩に身を寄せかければ、お小夜は左手を伸ばして新三郎を掻き抱く。これは優しいお小夜には、他の身ぎれいにしている女の児も男の児も泥と見做せば、新三郎は玉とでも言うべきものであり、顔を近々と併せた風情は二つの蓮の華がこの流れにパッと咲いたような趣があった。
しばらくして、例の年長のが、
「皆、いいか、さあ、合図をするぞ。一、二、三」と言い終わるか終わらないかの境に、一同手の中の舟を放てば、舟は自然に任せて悠然と流れに従って漂って行く。それをばらばらと立ち上がった児童等が岸伝いに歩きながら、
「それ、我が先になった」
「それ、我のが追い越した」と、無心にわやわやと言い合っている。
それには構わず、水面にそれぞれに浮かんだ舟が微風にあおられて、後になったり先になったりするのを見て、何かと思ったのか、黄金色の小さな蝶の雌雄と見えるのが、乱れるように舞って、一羽がお小夜の舟に停まれば、柳が揺れるので分かるほどの風が蝶の翅に当たるものだから、軽い小笹の舟は、どんどん進んでいって、もう勝負という頃には三尺ほども先に例の柴橋の下に着いた。勝ったお小夜はものは言わないが、目許に笑みを含み、最も負けたガキ大将は、ただでさえ少し間が抜けた顔に元気をなくして頬を膨らまし、もう一度やろうと、又の勝負を望むのもおかしく、二番の勝ちとなった新三郎がお小夜の手を取って、
「小夜ちゃんが一番なら、俺は二番でもいいや」と、さっき心狭い素振りをしていたにも似ず、寛容な言葉を出して、笑みを湛え、共に悦び、二人顔を見合わせているのには、確かに日頃睦まじくしている交情であるのがうかがえた。
つづく