幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(2)
其 二
「おお、あの児でござりまするか。成程、面差しも上品で、怜悧気な好い児でござりますな。その傍に立っている年下の女の児は妹でもござりまするか、あれも眼に立つほどの容貌好しですが、何にせよ大層ご苦労をかけました。もう、彼児に案内させようと思いますので、お送りには及びませぬ。まことにどうも有り難うござりました」と、僧が慇懃に一礼すれば、
「無暗に褒めなさるな。随分意地っ張りで困らせる児だ。名は新三郎と言いますが、それは先祖代々、あの家の長男に生まれたものが付ける幼名だそうで、傍の女の児はお小夜と言って、あれは新三郎の妹ではないが、あの二人がこの村中での好い男、好い女ということになっておって、誰も彼も娘を産むのだったらお小夜のようなのを、男を産むのだったら新三郎のようなのを欲しい欲しいと噂します。この爺の娘なんぞも去年大きな腹をしていた間は、口癖のようにお小夜坊なのを、お小夜坊なのをと願を掛けて産みたがっておりましたが、産まれてみると、ハヤ、田地が悪いのか種が悪いのか、つくね芋のようにがっしりとした赤っ面のでっかいガキでござりました。ハハハハ、それならここでお暇申します。早く叔母御にお会いなされませ」と、がやがや喋った末、児童等に向かって、
「オーイ、新坊ヤーイ、おまいのところへお客が来ただア」と、大きな声で呼びかけたが、新三郎がこっちを一寸見ただけで返辞もしないので、
「ほれ、あれだもの困った児だ」と、独り言を言いながら、僧が頻りに礼を言うのもそのままにして、元来た方へと帰って行った。
流水に向かって児童等は小鮒あるいは泥鰌などを釣っているのかと見ればそうではなく、頻りに岸辺を行き戻りして、『勝った、勝った』と手を打って喜び跳ねる者もいれば、奮然と早足で駈けて行き、一叢茂った女竹の藪蔭に走り着いてその葉を急いで採る者もあり、旅僧は里の児童等が夢中で面白そうに遊んでいるのを邪魔するのも可哀想だと、渡りかけた柴橋の手前の麓に立ち止まって、笠の中からその様子を伺っていた。
折しもそよ吹く風に連れられて飛んで来た蝶が袂近くでひらひらと舞い、晴れの天気に浮かれて元気よく鳴く雲雀の声が聞こえるなど、どこを見ても趣があって、色褪せて黒くなった丹塗りの小さい祠の傍らの藪さえも、柔らかに射し込む日の光に透けて、翆色が一層麗しく思える。少し遠い丘々の間に見える雪鞠花が一塊の白雲となって地面を覆うかと疑われるまでに真っ白に咲き、火のような躑躅の花は、誰も手を入れないのに真紅に燃え立ち、見る眼も覚める心持ちがする。このようにすべて、自然の素晴らしい趣のある長閑な光景の中で無心になって遊ぶ児等は、幅の広い笹の葉を採ってきては、小舟の形に作ろうと、器用な者は器用に、不器用な者は不器用なりに幼い心をそれぞれ費やして、言葉もなく指先でいずれも笹を捻っていたが、やがて一人の年長で乱杭歯に歯滓を溜めた大口厚唇の髪の乱れた顔の黒い醜い児が、
「さあさあ、我の舟は出来た。今度は小夜ちゃんにも負けない」と言うと、次から次へと
「我もできた」、「我もできた」と、菅秀才の身代わり…歌舞伎の菅原伝授手習鑑に拠る…には未来永劫とてもなれそうもない首の児童等の八歳、七歳くらいのが三人まで言えば、それに遅れまいと気持ちが焦って、
「我のも出来た」と言いながら、例の新三郎は、笹の葉を折り返して、左と右とに中程まで割いたのを、今入れ交えて完成させようとした途端、思わず指が滑って笹の葉を裂き過ぎてしまい、舟の形ができず壊れてしまった。
「ヤア、どうせ新ちゃんは負けるのだから、この一番は仲間にしないでもいい。小夜ちゃんのが出来たら直ぐに勝負しよう」と、年長が憎まれ口を叩けば、皆、
「それが好い」と、口々に答えていたが、そうしている最中にも、お小夜の舟が出来上がり、
「さあ、勝負だ」と一斉に一枚板の橋の上に並んで同時に放ち流そうとする時、急に後から追ってきた新三郎は泣き声になって、
「少しみんな待ってくれ、よー、小夜ちゃんも待ってくれ、待ってくれねば我はいやだ」と、頬に涙を伝わせ、涙声になりながら大声で言った。
つづく