幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(13)
其 十三
栽松は直ぐに橋を渡って眞里谷の家に入るのかと思えば、そうではなく、暫くの間魂の抜けた人のように佇んだまま、身動きもしなかった。思い切って四、五間進み近づくけれど、一歩の歩みが普通の一歩よりも遅くなって、今にも橋を渡ろうとする時、遂に踏み止まり、劫って後へと二、三歩後退りする。霧が立ち籠めた深い渓に架かるぬるぬるした苔の石橋でもなく、大河に架かるすでに朽ちた老橋でもなく、渡るのに危険なこともないのに、それを越えることが出来ず悩む栽松は、未だ『六賊の欺きに勝ち得ぬ』…煩悩を起こし、迷いを起こさせる六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を乗り越えられず…すなわち、行く手に荒波激しく流れている河を見て恐がっているような未熟な男と見えて、前へも三足、後ろへも三足、ようようにして五歩六歩進めば、忽ち六歩七歩退き、三、四退いて四、五歩進み、行きもできず、戻りも出来ず、小橋のあちこちをうろうろと行き戻りしている有り様。眼に見えないけれど、どこかにある糸に操られて眠りながら動いているようである。何とか橋の半ばまでやって来て、建物の中を覗うと、米をつく男の後ろ影は物置らしい小屋の門から少し見えて、その音は耳の近くに聞こえるけれど、そのずっと向こうに引き入れられた母屋はこっちを向いている小窓が一つあるだけなので、話し声は洩れて来ず、ただ山吹が溢れるように咲き、蔀板の裾を隠すまで弛み乱れて、媚びるように美しいのと、家の南の林檎の花の淡紅にしおらしいのが、風のせいではなく、ほろりほろりと散り落ちるのが眼につくばかりである。
「ああ、ゆかしい住まいだなあ」と、門の内に入ろうともせずに見ていると、赤い首輪をした愛らしい白い犬の子が転がるように走り出て来て、今落ちた林檎の花にじゃれかかっている。そして、その後ろから、新三郎が現れて、続いてお小夜も出て来た。
僧は橋を急いで渡り、門の柱の袖に身を張り付けるようにして、あちらから知られないようにと笠の下から盗み見ている。
と、神ではないのでそれとも知らず、二人の児童が睦まじく遊ぶ姿を微笑ましげに見ながら悠然と現れたのは、昔、久留里の藩中に才色では他に並ぶ者もなく、多くの士民を悩ませた、その頃の容姿は今は無くなっているものの、顔だちは未だ痩せもせず、黒ずみもせず、広い額に若い時から特に目立っていた眼はパッチリとして、鬢は霜に冒されているけれども、朱唇の珊瑚の色はなお褪せていない。紬の衣服に幅の狭い帯、装飾にはちょっと艶っぽさはないけれど、身のこなしからそう見えるのか、姿勢優しくすらりとして、四十一とは言えないほどの余香がある名花の末路がこの家の主人、お静と分かると、それを見るなり僧は何故か涙を催した。この時夕風が颯と吹いて来て、法衣の袖を翻したので、自分がいることを悟られる、と思う間もなく、早くも衣影を見つけて新三が、
「あれ、おじさま」と叫ぶ声がして、こっちに走ってくる足音を聞きつけるなり、何を思ったのか、僧は早足で駈け出して、どこへともなく走り去っていった。
(了)
「風流微塵蔵」の「さゝ舟」の章はこれで終了しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
話としてはまだ序の部分です。以後も様々な登場人物が現れて、人間模様が描き出されます。
(参考)
この「風流微塵蔵」は当時「國會」という新聞に掲載されていました。
第一篇としての「さヽ舟」の終わり方が何ともいえない中途半端な形でしたので、読者が不審におもったのではないかと、露伴も考えたのでしょう。
掲載が終了した翌日の新聞に次の文章が載せられました。
「さヽ舟、うすらひをかねて微塵蔵について」
昨日掲載せし分にて小説さヽ舟は終りなるを、其十三の章尾にをはりの三字を附せざりしは我が過失なりし。読者諸君或は其突如として煙の如く消え失せたるを驚き疑ひ給はむかなれども、さヽ舟はもとこれ微塵蔵の序とも発端ともして出せるなれば勢い然らざるを得ず、而してさヽ舟篇中の事は皆明治七年に属せるものとして記憶せられむことを望む。
うすらひは我が微塵蔵より第二に拮出するものにして、さヽ舟とは自ら別物なること勿論なれどもまた相関すること無きにあらず。彼も此も共に同じく微塵蔵中のものなれば、強いて云はば微塵蔵といへる一部小説の第一篇はさヽ舟にして薄氷は其第二篇、また此後國會紙上に我が載するは如何なる題目をもてあらはすにせよ其の第三篇第四篇第五篇をつゞけ行く筈にて、苟くも微塵蔵の終りを明らかに告げざる以上は、微塵蔵中の一篇一篇として高覧あらむことを請ひ、兼ねて全部結尾の上高評を賜はらむことを請う。……以下略 (新聞國會 明治二十六年二月十七日號)
この「風流微塵蔵」の中は色んな話が詰まっているのですが、それは一つ一つ独立した話になっていながらも、他の話とも繋がっており、この「さヽ舟」に出てくる様々な登場人物は後の話にも出てくるのです。
ですので、中途半端な形に見えるかも知れませんが、最後まで読んで、全体として評価して欲しいと露伴は言っているのです。
この辺りの事情に関しては、この「さヽ舟」の前に序として書かれている「引」をお読みいただければ、多少のことは理解していただけるのではと考えます。(2020.6.5 「参考」追記)
次回は「うすらひ」の章になります。
露伴の文章は、大波、小波、白波、さざ波……と、うねるように、さざめくように、次から次へと文字が続いて行き、句点「。」が一向に出て来ないことが多いので、現代語にするときは、できる限り読みやすさを重視して、途中で何度も区切っていますが、文の流れも大事にしたいという思いもあります。
読み返しながら手入れをしていますが、思うような文にできていないのが実情です。
「だらだらとして読みにくい」という声も聞こえてきますが、今後少しでも、読みやすい訳になるよう、心掛けていきたいと考えています。




