幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(11)
其 十一
女今川…女性の教訓、教養書…になぞらえて、自らを戒める詞の一つ一つ。
一、 普段の心掛けが邪で、女の道をしっかりと歩まないこと
一、 若い女が無用の神社仏閣に参詣して楽しむこと
一、 小さな過ちを改めず、失敗した時に他人を恨むこと
一、 大事なことを弁えもせず、軽々しく他人に喋ること
と、清らかな声ですらすらと淀みなく女今川を読み続けるお小夜が、小さい机にちんまりとかしこまって向かっている様子は、どんなに心がひねくれた男が見ても悪くは言えそうもなく、まして母親として見る眼には、天女とも菩薩とも映っていることだろう。いつものことながら、我が児が大人しく悧巧そうに厭な顔一つ見せず、物事を学び怠らないことに、自然と気持ちも嬉しくなって、何となく顔も和やかになる母のお静は、
一、 正直で貧しくなった人を軽んじること
一、 遊びにふけり、あるいは座頭…盲人で琵琶・三味線を弾いたりする者…を集め、あるいは物見遊山を好むこと
などとお小夜が読んでいく本文に聞き入りながらも、これも我が児のためである裁縫をしている。その傍らでは、お小夜の机を横から覗いて、両手を膝に置く新三郎、心の中では『お復習いが早く終わればいいのに』と思っているだろうけれども、いかにもお客さまらしく行儀作法を心得たように坐っているのも可笑しい。台所で何かしら立ち働いている下女がコトコトとさせる物音や、背戸の方で男が米をつく臼の響きは聞こえるけれど、無駄口を叩く者もいないので、非常に静かである。そんな小座敷の床の間に、流行こそ遅れているが面白い出来の狩野何某が描いた牧童の小さい軸を掛けているのは、田舎には似合わず、由緒ありげで、『善に遷り過ちを改む』…他人に自分よりも優る善さがあれば、それに従い、自分に過ちがあれば憚ること無くそれを改める…という易の『益の卦』…風雷益…の大象伝の言葉を書き記した大変古い額が部屋の片隅に掲げてあるのは、訊かれなくても普通の農家ではないと分かるというもの。ここは、青柳の婆おとわが褒めて褒めて褒めちぎった眞里谷のお静の住まいで、額はこの眞里谷の祖先が自ら筆を揮い、その時から自らを益齋と呼び、代々の通号として定めたほどの謂われ、由緒あるものである。
段々と読み進めていくお小夜は、母を憚って、早くこの女今川のお復習いを終えて、新三郎と遊びたいとは思うけれど、急いで物を読むことは悪いことだと日頃戒められているので、殊更に心を静めて読もうとするが、
決してみだりに悪い友達に近づいてはならない。水はその入れ物の形に従うようになるのと同じで、悪い友達を持てば悪く、良い友達を持てば良くなる。
のあたりに読み至れば、もうこの後は四、五枚で終わりだと思って、気は焦り、追いつこうとする紅唇の動きは忙しくなり、舌は軽くなり、片言交じりに一枚済まし、二枚撥ね退け、三枚四枚と翻し、
……その人たちに従って召し使うことである。めでたくかしく。今川状終わり
と、言い切るや否や、書を閉じ、机の上で一礼して上げた顔は紅さして、美しい眼は水に映った光のよう。息さえ少し弾んで、六歳で女今川を暗記するまで賢くはあるが、流石に幼児のあどけなさ、可愛さは言うまでもない。お静は針を持った手を止めてそちらを振り返り、その様子を見て微笑みを浮かべ、
「おお、よくお小夜もお復習いが出来ました。新ちゃんもよく待っていました。さあ、これからは何なりとして、二人仲良くお遊びなさい。どれどれ、お菓子をあげましょう」と立って何やら取り出し、二人に同じくらい分け与えれば、共に恭しく礼をして、言葉幼く、
「ありがとう」をお小夜、新三郎の二人が同時に言うのも睦まじいものであった。
つづく




