幸田露伴「さゝ舟」現代語勝手訳(10)
其 十
「さて、その約束を結びました私の考えはこうでござります。玉之助ももう十二でござりますれば、親の傍に置かなくてもよく、また家の中、店の中、四方八方面倒ある中に置きたくも無いというのが友雪の思いでありますので、詰まり、我の僧籍のある豊前小倉の金仙寺に引き取って、一年なり二年なり読み書きと画の道とを我が手許で教え、知らない人ばかりの中へ放りだしても大丈夫という歳になった頃、東京へ修行に出し、名高い家に就かせ、頼んだ甲斐があったと言われるほどに育て上げて、友雪の頼みを無にせぬ一方、内田の家のまつりごとも絶やさぬようにしようとの思惑。しかし、もし幸いにも我が家出の後、何とかなっていて、内田の家が途絶えていなければ、出家の身として児を預かることは要らぬこと。好んで余計な煩いを持ち込むことも無いので、折角見込まれたことではあるけれども、断りを言ってしまおうと思っておりました。しかし、丁度常陸真壁の大雲寺、下総千葉の安養院、この二つの寺にいつか訪れてみたかった大徳…徳の高い僧…のいらっしゃるのを訪ねたついでに、久留里へ廻り、内田の家がどうなっているか探してみれば、やはり悲しくも断絶していたことから、青柳村の叔母様叔父様にもお目に掛かってこの話を申し上げ、ご承知いただければ、眞里谷の叔母様にもお話し申して、こういうことは手堅いものにしておく方が好いからと、両家から一応博多の友雪の所へ『この方、縁者もちろん異議無く、東海、西海、幾百里隔てた中、縁とは言え不思議にも玉之助殿に内田の家を興してもらう以上は、この度、きっと力の及ぶ限り後見いたしましょう』と、一札を入れていただこうと思っておりました。なお又、出家の私は金銭等を手にするのも厭であります故、この辺の土地を千両で内田玉之助名義で購って、叔母上なり、叔父上なりに玉之助が一人前となるまでお預かりいただき、当人が東京で修行する間、万事お取り賄い下さるよう、しっかりとお願い申して、その後は私は金仙寺に立ち帰り、博多へも参って友雪にその委細を知らせた上、彼の頼みの通り玉之助を引き取ろうと考えておりました。しかし、伺ってみれば、ことごとく思惑とは違って、叔父上は亡くなられ、叔母様もお元気では居られるけれど、立ち居もご不自由なご様子。お作殿を、実は心あてにしておりましたが、はや先立たれておられる。今の新右衛門殿には今日初めてお目に掛かったばかり、眞里谷の叔母様、叔父様もお歳から考えれば当然ではありますがとっくに亡くなられたのに加えて、甚之丞殿までも黄泉の方になられたと承り、故郷に帰った浦島太郎の昔話を思い起こさせるような気持ちで、どうしていいのか分からず茫然となるばかりでござりまする」と、長々しく語る甥であった。
聞くのは叔母である。叔母と甥が絶えて久しい対面なので、お互いに飽きずに語り、又聞きいたりしていたが、元々他人の新右衛門は退屈を紛らわせる煙草にも飽き飽きして、いつの間にか茶の間にさがって、お力を相手に、客が呑まないので無駄になった酒を火鉢の際で飲んでいるのは、日頃のだらしなさが推し量られて、とても律儀な百姓気質とは誰の眼にも見えない様子である。
老婆は首を縦に振り振り、甥の話を聞き終えて、
「そなたの話はよく分かったけれど、明日の命も知れぬ妾故、本来ならば、今の新右衛門にその児の将来の道筋をつけてくれるように頼むのが筋ではあるが、実は……」と、言いかけて声を低くし、
「お作のいた頃はああでもない、正直一遍の人であったが、お作の亡くなった後、あのお力という元々木更津の丸久の下女をしていた素性の知れないのを家に入れてからは、何をしてもあれ奴の言葉通りになって、仕事は怠ける、酒は飲む、奢りはする、小博奕は打つ、良からぬものとの付き合いをするなど、根性も貧するにつけ、昔とは違ってきてしもうた。さしたる理由も無く、お力には継子に当たるからと、自分の実の子の、しかも家付きの娘の腹から出た大事にしなければらなない新三郎を、お力と一緒になって、憎んでは叱りつけ、打ち据える。私が口惜しさにツイ口を出せば、『そうやって新三郎の肩をお持ちになるから増長してなりませぬ』と、一言に私をやり込める。歯茎を咬むほどに怒ることも日に一、二度必ずあるが、老人の悲しさで、理があっても言い負かされ、言い勝ったとしても意地を張られてしまう。村の名前を苗字にしているほどの青柳の家がこんなにも落ちぶれたのもあのお力のせい。新右衛門の考え方が段々と間違って行ったのもお力のせいだと、食い付いてやりたいようなあの悪魔めが、容貌でもいいのかと見れば、あの通りの化物顔、あれに迷うような愚痴ではなかったがと、時には憎いよりも憐れに見える時もあるほどの新右衛門。そんな状態であるので、そなたが玉之助とやらの話をする時、傍にいなかっただけ好かったものの、もしも千両という声が耳に入ったなら、どんなさもしい心を出して、『我が確かに後見をいたしましょう。ご心配なされますな』などと、親切ごかしに言い出そうとも限らぬ。ああ、厭、厭、間違っても頼みにするな、口に出すな。悪魔が憑いているものの耳に聞かせるな。面倒じゃ。そのような話なら、内田の家を立てたいのは私も同じ思い故、今では子よりも頼もしく思うている優しいあの眞里谷のお静殿を後から呼んで、密と頼むのが何よりも確か。女であっても普通の人ではないと思われるまで正しく賢い人である。すでにお静殿の実家も今は兵太夫殿の一人子である雪丸殿というのが今年雪丸殿は二十歳にもなられるか二十一でもあるか、東京の何とか言う学校におられるそうだが、その児の家の財産も皆お静殿が預かっておられる由。ただ一人の兄の子であり、実家の跡目でもあるので、是非とも立派なものに育てなくては兄にも嫂にも生き残った私が済みませぬと、噂が出る度に言われるが、その気持ちの持ち方のしっかりとして情けの篤く分別の能く廻るのは大の男も到底及ばぬ。あのお静殿に頼むに限る。あれの娘のお小夜という児と、我家の新とは大の仲好し。先刻も遊びに出ていったが、一寸戻って来れば、お静殿に来てもらうよう、呼びにやらせよう」と、頻りに婿を罵って、お静を賞賛するのを聞き入る僧は、頭を垂れて、眼を瞑ぎ、死んだようにジッとしている。
つづく




