後編:星風シュン(1)
人は、どうして死ぬのだろう。
親族や芸能関係者が集まり賑やかで、けれどしんみりとした静けさの中行われる告別式のあいだ、僕はずっとそんなことを考えていた。
どうしてなんて、人間の肉体に限界があり、寿命があることは十分に理解してはいる。でもそれだけじゃなくて、なぜ死ぬ運命になっているのだろうとか、そういうことを思うのだ。
機械でできたアンドロイドが理論以外のことを考えるのはおかしいのかもしれないと思ってメンテナンスを担当してくれているエンジニアに相談したら、「シュンはそれでいいんだよ」と肩を叩かれた。
人は、理論だけじゃない感情的な面がある。そこも含めて開発者は星風シュンというアンドロイドを人間らしく設計したんだから、と。
ぼんやりとしているうちに、告別式は終わりを迎えた。
喪服に身を包んだ人たちが少しずつ席を立ち始める。
目の前には、華やかな色合いの供花と、その真ん中で柔らかく微笑んでいる、僕の最初のマネージャー、速水杏子……今は賀古杏子の遺影がいた。病気でしばらくは闘病していたが、数か月前にこれ以上の治療は望まないと周囲に告げ、終末医療に切り替えた。医療技術が進歩した現代日本においては、70代でこの世を去るのはあまりにも早い死だったと周囲の人たちはみんなささやき合っていた。どんなに技術が発達しても、人は病気になるし、治らない病気もあるし、いつかは死ぬ。
研究機関で製造され、今からお前はアイドルになるんだと言われ、突然連れて行かれた芸能事務所で初めて顔を合わせたとき、彼女はまだ20代の若手社員で、アンドロイドをマネージメントしろと上司に指示されて明らかに戸惑っていた。
そりゃあ、そうだろうなとは思う。法律による規制で日本国内におけるヒューマノイドの数は非常に少ない。きっと初めて見るアンドロイドだったに違いない。
そんな始まりだったけれど、杏子さんはなんだかんだで僕のデビューから20年以上もマネージャーでいてくれた。人間の相棒と組んだユニットLUCKが解散して僕一人になってからも。
「シュン、」
声をかけられて振り向くと、かつて数年間だけ一緒に活動していた相棒本人、正樹くんが立っていた。
賀古正樹。杏子さんの夫で、今日の喪主だ。
「今日、来てくれてありがとな」
「ううん。杏子さんのお別れ会だもん。行くに決まってるよ。お世話になったし」
「……だな。俺もすっげーお世話になったわ。仕事も、私生活も」
そう言って寂しそうに笑う正樹くんは、今や還暦も超えたベテランの大俳優だ。何十年もまったく変わらない10代の外見をしている僕とかつて同じユニットだったなんて、今の若い世代は知らないかもしれない。
だけど、白髪もしわも増えた正樹くんだけど。
雰囲気や喋り方や、そういった細かな部分は変わらない、僕の大切な友人。
彼もいつか杏子さんのように、この世からいなくなってしまうのだろうか。
正樹くんは、この世を去るよりも前にまずは芸能界を去ることにしたらしい。
告別式を終えてそう日が経たない中、事務所の一室で正樹くんがそう言ったとき、僕はほんの少し、「またか」と思い、胸の奥が痛んだ気がした。
売れないから辞めた人。他にやりたいことができた人。亡くなった人。今まで、何人の知り合いが僕の前から姿を消しただろうか。僕は彼らを淡々と、でもどこか引き留めたいような気持ちで黙って見送ってきた。彼もその一人になるのか。
「うちの事務所のアクターズスクールで講師をしないかって声がかかってるんだ。幸いお金には困ってないし、老後の楽しみだと思ってのんびり若い子の育成でもしようかなあと思う」
「いいですね。賀古さんみたいな大俳優に指導してもらえるんなら生徒さんもたくさん集まってきそうです」
一緒に話を聞いていた僕の今のマネージャー、山口さんが嬉しそうに目をきらきらさせてうなずいた。
「いい俳優育てて事務所に入ってもらえるように頑張るから、よろしく」
「いえいえ、こちらこそプロダクションの社員としてよろしくお願いします。楽しみだなあ、賀古さんの教え子のマネージメント!」
楽しそうな二人を黙ってにこにこと眺めていると、目が合った正樹くんがなぜか不安そうに眉を下げた。
「シュン、どうした?」
「え?」
「いやなんか、元気なさそうっていうか。内臓部品の不具合? それか俺が俳優やめて先生になるの、なんかまずい?」
「あ、いや……」
顔に出ていたのだろうか。本当の気持ちが。僕はしっかりと笑顔を作り直して、首を横に振った。
「そんなことないよ。俳優やめても僕と友だちでいてくれるんでしょ?」
「そりゃ、もちろん。いなくなるわけじゃないしな」
当たり前のような緊張感のない口調で返されて、僕は無理やり納得することにした。
「つまり、寂しいってわけ?」
僕の話を黙って聞いていた猪狩さんが、無表情で問い返してきた。
今日は月に一度の定期メンテナンスの日だ。僕の開発元である国立研究所で、老朽化した部品がないか、プログラミングに不具合がないか、すべて丁寧に検査される。
猪狩さんは、プログラミングのチェックをしてくれているエンジニアの女性だ。もうかれこれ10年ほど面倒を見てくれている。
僕の背中に差し込まれていたプラグを抜き、僕の脳と無線通信でつながっていた検査用のPCを切断し、手際よく結果をモニタに打ち込んでいく彼女を見つめながら、僕はうーんと曖昧にうなずいた。
「たぶん、そう。今までにも一緒に仕事していった人、どんどんやめていったりしてるし、亡くなって会えなくなっちゃった人もいるし。正樹くんもやめちゃうんだって思ったら、うん。寂しい。僕だけずっと、何十年も同じ姿で同じように歌って踊って、同じように仕事してる」
「そりゃあ、あなたの開発コンセプトはそれだからね。永遠に変わらない、完璧なアイドル」
「……わかってる」
僕は変わってはいけない。完璧でいなければいけない。不具合が見つかれば即座にプログラムを修正され、新品の部品に取り替えられる。杏子さんのように死ぬことも、正樹くんのように辞めることも、全ての人のように老いることも、許されない。
いつまでも若者の姿で笑っていなければいけない。それが僕。
「でも、僕だけ取り残されたような気分になるんだ」
僕がぽつんと放ったつぶやきに、猪狩さんはキーボードを打つ手を止めて僕を一瞥した。
「わかるよ。私もシュンくんの立場だったら気が狂うくらい苦しいと思う」
「こんなの変かな。機械なのに苦しいなんてさ」
「いいえ。アンドロイドだって苦しいことはあるわよ。ちゃんと感情を持つようにプログラムされているもの。今まで嫌なこと、いろいろあったでしょう。もちろん嬉しいことや楽しいことも。私たちと同じようにね。だから本当は、こんな仕事をあなたにさせるのは人権侵害にも等しいと思う。政府やうちのボスはそういうことわかってないから」
眉をひそめて表情を険しくする猪狩さんの肩に手を置く。
「僕たち芸能用アンドロイドはちゃんと、どうしても嫌になったら辞めていいって言われてるし、実際に辞めたアンドロイドもいるから。僕の意志で仕事してるんだよ。ありがとう、猪狩さん」
「……どうしてもつらかったら、ネガティブな感情を制御するプログラミングもできるけど」
僕は静かに首を振る。
「今は、いいや。本当にどうしても、と思うときになったらお願いします」
だけど僕は、そんなプログラミングをしてもらうくらいなら、アイドルを辞めると思う。スキャンダルを起こさないよう、恋愛感情が組み込まれていないだけで、ものすごく悩まされた。特に正樹くんと杏子さんが恋人になった頃。
僕には絶対に経験できない感情を目の当たりにして。
せめて今備わっている感情はどんなものでも大事にしたいと思うのも、変だろうか。
メンテナンスを終えて部屋を出ると、廊下には僕と同じく猪狩さんに体をチェックしてもらうのを順番に待っていた労働用アンドロイドが数体いた。扉に一番近い位置に立っていたごつい体型の男性アンドロイドが僕を一瞥してから部屋の中に入っていった。
「星風さん」
「シュンさん、こんにちは」
そのすぐそばにいた二体の女性アンドロイドたちに名前を呼ばれて彼女たちを見ると、僕と同じ事務所に所属しているI-droidが2人、僕に向かって片手を挙げていた。
確か、人間が10人、アンドロイドが10人の20人で活動しているアイドルグループのメンバーのうちの2人だ。僕がデビューした数年後に結成されたはずだから、もうデビューしてからかなり長いが、人間のメンバーが卒業と加入を繰り返して変化を取り入れつつアンドロイドのメンバーが変わらないまま活動し続けて安定の人気を保っている、今も昔も有名なグループ。
2人のうちショートカットのクールな雰囲気の子が、にこりと微笑む。
「メンテナンス、どうでしたか?」
「ああ、うん。異常は特にないみたい」
「そうですか。良かったです。私たちも製造されてからかなり経つのでいろいろとガタが来るでしょうし念入りに見てもらわなければと今話していたところなんです」
「そうだね。あ……あのさ」
「はい?」
ふと、尋ねてみたくなった。彼女たちはどう思っているのか。ずっと変わらず美しく、可憐な少女の姿で歌い続けていること。
「グループの人間メンバーが抜けたり新しく入ったりして、抜けた人は少しずつ年を取っていく中、自分たちには変化がないことについて悩んだり、する? 例えば……寂しくなる、とか」
彼女は少し首を傾げて僕を見つめた。
「私はー……ないですね。アンドロイドってそういうものだと思ってるので。ベテランのメンバーが卒業して新しいメンバーが加入したときって歌唱力とか売り上げとかいろいろと不安定なので、私たちアンドロイドメンバーがグループを支えているんだという実感があって、こういうときのために私たちは存在するんだと使命感のようなものは感じますが」
「……そっか」
そんな話をしているうちに、奥のドアが開いてショートカットの彼女が呼ばれた。
「じゃあ私、もう行きますね。お疲れさまでした」
「うん。じゃあまた」
僕も帰ろうか。といっても僕の家は、この研究所の敷地内にあるアンドロイド用居住棟で、ここから歩いて数分なんだけど。
「じゃあ、僕もう戻るね」
ずっと黙って話を聞いていたもう一人の赤褐色の髪の子にそう言い、階段へと体の向きを変えたとき、彼女が遠慮がちに「あの、」と僕を呼び止めた。
「私は……少しシュンさんの言っていること、わかる気がします。ずっと昔……仲が良かった人間のメンバーがグループを卒業したとき、自分も一緒にグループをやめてしまいたいって思ったのを覚えています。私だけを置いていかないでって……」
そう話す彼女の薄茶色の瞳はゆらゆらと揺れているように見える。
「その……仲が良かった子は……?」
「一度は結婚と出産で芸能界を休みましたけど、今は復帰して歌手や女優として活動しています。……もう、私なんかよりもすっかり大人になっちゃって隣に並ぶと親子みたいです」
あの頃は姉妹みたいだったのに、という小さなつぶやきは空中に儚く消えた。
「そっか。近くて遠い。僕と同じだね」
同じくらい小さな声でつぶやくと、彼女は寂しそうに微笑んだ。
それからの正樹くんは、なんだかとても忙しそうだった。
仕事の予定を詰め込めるだけ詰め込んだのか、ひっきりなしにテレビやラジオやとメディアに出るわ、舞台の出演が決まったとかで台本片手に事務所をうろうろしているわ、とにかくいつも慌ただしく動いていた。引退するまでにやれることはすべてやる、という勢いが本人にも周囲のスタッフたちにも感じられた。
僕は自分の仕事で出向いているときに何度かすれ違ったけれど、一言挨拶するのが精いっぱいというくらい、時間がなさそうだった。
だけど、それでよかったとも思う。彼とすれ違うたびに、僕は彼に言わないと決めている言葉を言ってしまうそうになっていたから。
やめないで、と。