前編:賀古正樹(1)
「賀古さん。あなたにはレッスンを受けてもらって、アイドルユニットとして彼と一緒にデビューしてもらおうと考えています」
マネージャーは、まだ状況を理解していない俺に、そう告げた。
星風シュンと初めて会ったのは、芸能プロダクション、ブルーウインドエンタテインメントの東京本社ビル。その中の会議室の一室だった。
13歳の少年という設定のコンピュータ・プログラムがチューリングテストに初めて合格したのは何十年前だっただろうか。
その100年もない短期間のあいだで人口知能やロボットに関する技術はかなり進歩し、教育や福祉、ビジネスの分野に活用され、人々の生活はかなり大きく変化した。
といっても、18年しか生きていない俺にとって技術の革新というものは、大人たちが言うほどには実感のない存在だった。 ただ、そんな俺でも人間型ロボットを見るのは初めてのことだ。
そいつは、俺と同じくらいの背丈で柔らかそうなこげ茶の髪、それから愛嬌のある人懐っこそうな顔立ちをしていた。
見たところ、俺と同じ10代後半くらいの年齢か。というか、機械なんだから年齢も何もないのか。それにしても、どこもロボットらしさはなく、俺たち人間とまったく同じで見分けがつかない。
まじまじと目の前に立つ彼を観察していると、そいつは俺に向かってにこりと屈託のない、子どものような笑みを見せた。
「はじめまして。JP38型アイドル用アンドロイド〈I-droid〉、星風シュンです」
爽やかで明るい声だった。
マネージャーである速水杏子さんの説明は、こういうことだった。
現在、人間型ロボットは人間との円滑な共生にはいくつもの困難が予想されるため、日本ではそれを作るための技術はあるものの製造が原則禁止されていて、国から認可を得た少数のロボットがいくつかの業界で労働力として試験的に活動している。
そして今回、政府や国立の研究機関主導で試験的に芸能界向けアンドロイドが一体製造されることになった。それが彼、星風シュンである。
彼はアイドルとして活動するためのアンドロイドであり、そのマネジメントは業界大手のブルーウインドエンタテインメントが引き受けることになった。
そしてさらに、人間の新人とユニットを組んでアイドルデビューさせることが決定した。その人間の新人というのが、俺。
俳優になりたくてブルーエンタの門戸を叩いた俺は、オーディションでも自分の夢を伝えたし、合格したという連絡を受けて大喜びでこの場所にやって来たのだが。
用意されていたのは、俳優としての未来ではなくアイドルとしての道。
別に歌ったり踊ったりしたいわけではない。よほど不満そうな表情をしているように見えたのか、速水さんは困ったように俺を見つめた。
「もちろん演技のレッスンもありますし、ドラマや映画といったお仕事も挑戦してください。ただ、アイドルとしても活動していただきたいんです。……これも一つの経験と思ってもらえませんか?」
おずおずと俺を見上げてそう言う彼女の詳しい年齢は知らないが、まだ20代半ばといった見た目でマネージャーとしての業務経験も浅そうだ。アンドロイドと新人を組ませるというイレギュラーな状況を任されてびびっているのが初対面の俺にもわかる。この人はこの人で苦労しているということか。
ほんの少し同情心が芽生えたものの、アイドルになるということに乗り気にはなれない。
ただ、これが芸能界デビューできる最大のチャンスであることもわかっている。ここでこの話を断ったとして、それでも俺はブルーエンタで俳優になるために育ててもらえるのだろうか。いや、きっと所属の話は白紙に戻る。そして、他の事務所に再挑戦したところで同じように拾ってもらえるとは限らない。
こうして、しぶしぶではあるものの俺は速水さんの話に首を縦に振り、星風シュンという相棒を得た。
それから、デビューまでのレッスンの道のりは俺にとって最悪のものだった。
演技レッスンは楽しかったが、問題は歌とダンス。
どちらも俺はへっぽこで、先生が何度もため息をつくほどひどかった。
それでも、俺は俺なりにゆっくりではあるがレベルアップしている、はず。
「よかった~。正樹くん、前に注意したステップばっちり良くなってるよ。どうなるかと思ったけど、デビューには間に合いそうだな!」
ダンス指導の先生が、デビュー曲の通し練習を終えた俺を、ほっとしたように笑って褒めてくれる。
俺も緊張していた体の力を抜き、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。……でも、サビの最後のところがまだときどき間違えそうになるんです……」
「あー、あそこね。じゃあ、今日はそこの練習を集中的にやってみようか」
「はい、お願いします」
先生がちらりと俺の隣に立っているシュンを見た。
「シュンくんは……相変わらず完ぺきで何も言うことなし! 正樹くんの練習に合わせてくれるかな?」
「はい」
「あ、歌いながらでお願いね。本番は声出しながら踊ることになるし、今からやっておこう。それから、笑顔で」
「わかりました!」
気持ちの良い返事に先生は笑みを深めるが、俺は反対にもやもやとした気分になる。
先生が流してくれる音源に合わせてサビの部分を踊り始めると、俺の隣で一緒にシュンも踊り始めるのが視界の端に写った。
足や手を動かしながら、不安に思っている振りつけの部分に差し掛かる。なんとか間違えることはなかったが、少しふらついてしまった。
先生が音を止める。
「なるほど。ゆっくりカウント取るから体に覚え込ませて無意識でも踊れるようになっちゃおうか」
「……はい」
ふと横を見ると、シュンが俺に向かって小さくガッツポーズをしてみせた。
「正樹くん、ファイト」
「……」
なんだかむかついて、俺は無視する形で目をそらしてしまった。
こういうところが、腹が立つ。
いつも元気で明るくて。ダンスも歌も絶対にミスしない。俺ばかりが間違える。
これから自分はずっと、こいつの隣に立って比べられなきゃいけないのか。最悪だ。
うつむいて無地のグレーの自分の練習着を見つめていると、「さあやるよ!」と先生の声がかかった。
「正樹くん」
一日のレッスンを終えて、ブルーエンタの事務所ビルの中の開いているレッスン室に一人で座り込んでいると、ドアが開いてシュンが入ってきた。
俺はタブレットで見ていた今日の自分のダンスの録画を止めて、ちらりと彼に目線を向ける。
「……なに」
「僕からの連絡、見た? 明日のボイトレ、時間変更だって」
「見たよ」
見ていたけれど、返信しなかった。面倒だったのもあるし、シュンと関わりたくもなかったから。人工的に作られたロボットらしく整った美しい顔が、俺を真っ直ぐに見つめている。これも俺の劣等感につながっていた。学校ではそこそこイケメンだと言われてモテていた俺のプライドを斬り裂いてしまうような、本当のイケメン。
もやもやとした気分が最高点に達して、タブレットを無雑作にリュックにつっこみ立ち上がった。
「なあ、シュン。お前、別にボイトレなんか行かなくてもいいだろ」
「え、どうして? 行くようにスケジュールが組まれてるんだから行かないといけないよ」
「そういう意味じゃなくて。アンドロイドがボイトレしたって何も変わんねえだろ。歌やダンスのレッスンだってそうだ。最初っから普通に上手いし、そういうふうにプログラムされてんだろ。練習したって意味ねえじゃんかよ」
「うん。確かに僕は、アイドル用アンドロイドとして、一度見たダンスは完璧にコピーできるし、音程も絶対に狂わないように設定されているからレッスンに参加しても人間みたいに上達はしないよ。でも、僕と君はコンビだから一緒にいてチームワークを高める必要があるんだ。僕はなるべく君と接する時間を増やすことで賀古正樹という人間がどういう人物なのか情報を集めて君に最適なパートナーになれるよう調整できるし、君はもちろん人間だから、僕とたくさん接することで僕とパフォーマンスが合わせやすくなって……」
「うっせえんだよ!」
シュンが目を丸くして言葉を止めた。まばたきすらせず、驚いたように俺を見るその顔は、まさにフリーズした機械だった。
怒鳴ってしまったものの、次の言葉が出てこない俺は、なんとなく気まずさを感じながら、うつむき彼の横をすり抜けてドアへ足を向けた。要するに、自分で作ってしまった嫌な空気から逃げることにした。
部屋を出るときにもう一度シュンを見ると、彼はわけがわからないといった表情で俺を見ていた。
「そういう理屈の問題じゃなくて……どうせ、お前にはわかんねえよ。なんでもできる完ぺきな機械なんだから」
シュンの表情は変わることなく、返事もなかった。俺はドアを乱暴に閉めると廊下を早歩きでエレベーターへと向かった。
ビルの出口まで速水さんやレッスンの先生、先輩タレントの誰にも会わなかったのは幸いだったと思う。涙がにじんだみっともない顔で挨拶できる自信などなかったから。
次の日からもシュンは何事もなかったかのようにレッスンに参加し続けた。俺も特に何も言わずにそのままレッスンを受け続けた。
そうこうしているうちに準備は進み、俺とシュンは二人組ユニット「LUCK」としてデビューした。
初顔出しは、デビュー曲発売の数日前。朝のワイドショー番組の短い音楽コーナー。
キャスターはI-droidについて紹介し、生放送のスタジオに呼ばれた俺たちは、そのキャスターやコメンテーターたちにシュンについてばかり質問された。アイドルロボットにだけ興味があるらしい彼らは俺個人についての話題にはほとんど触れず、自分たちの興味があることだけ聞くと満足して、俺たちにデビュー曲をその場で歌わせてコーナーを終わらせた。
「賀古さん、かっこよかったですよ」
俺の失望を感じ取ったのだろうか、スタジオから捌けて戻ってきた俺に、速水さんが小さく耳打ちした。気を遣われていることがみじめに思えて、俺は引きつった笑みをかろうじて返せただけだった。
しかし、番組に呼ばれたり取材を受けたりする度にそんなことが続いた。
業界大手のブルーエンタのプロモーションやシュンというアンドロイドへの興味のおかげか、デビュー曲はオリコンでランキング上位を取った。
ライブも客席はいつも満席。けれどファンたちの黄色い声は、俺よりもシュンの名前を叫ぶ言葉のほうが大きく聞こえた。
LUCKは着実に売れる道を進んでいたが、賀古正樹の知名度はあまり伸びない。常に話題のアンドロイドアイドル星風シュンのバーター扱い。組む相手がアンドロイドなのがいけなかったのだろうか。いや、彼がアンドロイドでなければLUCKはこんなに注目すらされなかったともいえる。俺はシュンという相棒をあてがわれて運が良かったのか悪かったのか、どっちなんだろう。
シュンの隣に影薄く立ちながら歌って踊ってパフォーマンスをして。そんな日々を必死にこなしていたある日。
俺が事務所の空き部屋で英語の勉強をしていると、後ろからひょいと参考書を取り上げられた。驚いて振り向くと、ブルーエンタに所属しているベテランの人気俳優、桜木康広が俺の参考書をまじまじと観察していた。俺が憧れている俳優の一人だけれど、大きな事務所だから今までほとんど顔を合わせたことはない。
「あっ、お、おはようございますっ」
慌てて立ち上がる俺に対して桜木さんは「いいから座りな」と俺の肩を押し戻した。
「ごめんごめん、邪魔したな。学校の宿題? 君、高校生だっけ? 難しいことやってんね。全然何書いてるのかわからないや」
俺の向かいのソファに座り直した桜木さんは苦笑とともに参考書を返してきた。ばくばくとうるさい心臓を抱えたまま、それをうやうやしく受け取る。
「ええっと、大学生です。宿題じゃないですけど英検受けようと思って勉強してるんです。あの……いつかハリウッド映画に出るのが夢で」
おずおずと自分の夢を口にすると、桜木さんはおや、というふうに目を見開いた。
それだけの表情の変化がめちゃくちゃ格好いい。やべえ。
「賀古くん、俳優になりたいの? 知らなかったよ。ドラマや映画に出てる気配もないから歌一本でいきたいのかなとてっきり思ってた。これから何か役をもらってる作品はあるの? 配役オーディションには挑戦してる?」
「いえ……今は特には」
「へえ、なるほど」
桜木さんは顎に手を当ててにやりと笑った。
「LUCKの活動が忙しくてそこまで余裕がない?」
「……そうですね」
次々と組まれるLUCK関連の予定をこなすので正直精一杯だ。もう次の新曲のレコーディングが始まっているし、半年後には全国ツアーをやるという発表もされたばかり。きっとこれからもっと忙しくなるだろう。
けれど、桜木さんはすっと目を細めて厳しい表情になった。
「賀古くん」
「は、はい」
「与えられた仕事をやるだけじゃ、夢は叶わないよ」
「あ……」
言葉がぐさりと胸に刺さる。返事ができないまま固まっていると、彼はほろりと相好を崩した。
「まあ、おれがそのことに気づいたのは20代後半だったからな。賀古くんは今ある仕事を頑張ってるだけで十分偉いよ。だから大丈夫。おれも最初はバンドでアーティストとしてデビューしたんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
全然知らなかった。そんなバンド、あっただろうか。記憶を探るけれど、頭の中に浮かんでくるのはドラマや映画、舞台で活躍する桜木さんばかりだ。
「知らなくてもしょうがないよ。君が生まれる前の話だ。ドラムをやってたんだけど、29歳のときに解散になってね。一気に仕事がなくなった。有名だったのは作詞作曲も担っていたリーダーのボーカルだけでね。おれ自身の知名度はほとんどなかったんだ。バンドで活動しているときから俳優になりたいなと思っていたから解散をきっかけに芝居に挑戦してみることにしたんだけど、無名の状態からのスタートで苦労した。貯金も底をついたりしてね。もっと前から将来のことを考えて芝居の仕事に挑戦していればよかったと後悔したよ。忙しさを理由に逃げずに、上手く音楽と両立しながらね。LUCKはまだ始まったばかりだから、解散なんて未来は考える必要はない。むしろ長く続けていくためにできることをやっていくべきだとは思うよ。でもね、賀古くん」
「……はい」
「いつまでも星風シュンの相棒というポジションだけじゃ、嫌だろう?」
「……」
この人は知っている。LUCKの二人の注目度に差があることを。俺がシュンのついでのように扱われていることを。
桜木さんの大きな手が、俺の肩を強く二度叩いた。
「やりたいことを後回しにしなくてもいい。マネージャーさんに俳優の仕事もしたいと相談しなさい。演技のレッスンも人一倍頑張りなさい。それが君の強みになるかもしれない。LUCKの賀古正樹はただのついでじゃなくなるだろうし、俳優としての賀古正樹をLUCKという肩書きが助けてくれることもあるだろう。アイドルも俳優も頑張ってオリジナルの賀古正樹を作るんだ」
意味がわかるようなわからないような。俺は曖昧にうなずく。
「……は、はい」
「よし。勉強の邪魔して悪かったね」
立ち上がって部屋を出て行こうとする桜木さんをぼんやりと見送りそうになって、はっと我に返った俺は慌てて呼び止めた。
「あっ、あの、貴重なお話ありがとうございました!」
ドアノブに手を掛けたまま振り向いた桜木さんが、にこりと微笑む。
「いつか共演できるといいな」
ドアが静かに閉まった。その瞬間、俺はわああああと小さく叫びながら椅子の上に倒れ込んだ。
「緊張した~」
顔を両手で覆いながら足をバタバタと動かす。やばい、超かっこよかった。
そして考える。俺の夢について。
そうだ、俳優になりたいんだよな、俺。そうだった。忘れそうになっていた。
速水さんは、俺の相談を親身になって聞いてくれた。それからほどなくして俺は、いくつかの役のオーディションを受けた。
学園ドラマの主役。時代劇ドラマの脇役。少女漫画が原作の映画の主演。ゲームが原作の2.5次元ミュージカル。
自分に何が向いているのかまだわからないから、とにかく色々なジャンルの作品に挑戦した。その結果、俺はほとんどのオーディションに落ち、いくつかの作品でエキストラ並みの小さな役を得た。
速水さんはそれでも喜んでくれたけれど、正直俺は焦っていた。この小さな役で、何がなんでも監督や制作陣の印象に残るような演技をしなければ。もっと大きな役をもらうために、オーディションをさらに受けなければ。
もちろん、LUCKの活動も手を抜かなかった。
俳優としての賀古正樹をLUCKという肩書きが助けてくれる。
桜木さんがそう言った意図は、あのときはわからなかったけれど、今は少しわかるようになった気もする。オーディション会場で面接官に「ああ、あのLUCKの」と言われることもしばしばあるのだ。アイドルも俳優も、同じ芸能界だ。LUCKの俺の評判が良ければ俳優の俺の印象を良くしてくれる。そういうことだとなんとなくわかってきた。
ただ、シュンとの関係は相変わらずそんなに良くなかった。
俺ももうシュンにつっかかったりはしない。けれど、仲良くなる努力をするほど余裕もない。もともとそこそこ忙しかったところに演技レッスンを増やしたりオーディションの予定を入れたり、合格した作品には端役とはいえ撮影に参加する。もちろん、そのための自主練の時間も。
いつの間にか、シュンとは必要最低限しか顔を合わせないようになっていた。彼は相変わらず歌も踊りも間違えない、誰に対しても明るく爽やかで完ぺきなアイドルだった。その隣で、俺はたまに、少しだけ音程を外してしまったりした。こればっかりはプログラムで動いているアンドロイドには勝てない。速水さんや周囲のスタッフもそれはわかってくれていて、何も言われはしなかった。だけど、相変わらず俺はそれが悔しくて仕方がない。それも俺の性格だからもう、どうしようもない。
焦燥感を抱えながら事務所の廊下を歩いていると、ふと壁に貼られているポスターが目に入って俺は足を止めた。
日米共同企画製作映画のオーディションの告知だ。
ハリウッドで活躍しているアメリカ人監督の指揮のもとの撮影みたいだ。作品の舞台が日本で、撮影もほとんどが日本で行われる。俳優は英語圏の俳優と日本人の俳優の両方を起用する予定らしいが、これはその日本人俳優を募集する旨のポスターだった。
内容をじっくりと確認しながら、俺の胸は高鳴っていく。
「賀古さん?」
名前を呼ばれてポスターから顔をそらすと、速水さんが立っていた。
「おはようございます。どうかされました?」
「お、おはようございます。あの! 俺、これ出たいです」
とっさにポスターを指差す。速水さんが俺の隣に立ってそのポスターを見た。
「あのう、賀古さん……」
「はい!」
俺の勢いが良い返事とは裏腹に、彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「このオーディションの日は、生放送の音楽番組のお仕事が入っています……」