LAP2:エンジン・レディ
『自分にシートを与えてくれたチームと育成の皆さんに感謝したいです。』
三浦晃の紹介記事はこうして始まっていた。見出しは『今季のF3選手権も開幕』、紹介の内容もごく普通のものである。晃自身、普通となるように努めた。
『今年度の意気込みは?タイトルは狙いますか?』
そのような質問には、
『F3の挑戦で自分のできること、自分への可能性に集中したいです。』
とのみ答えた。頑張ります、程の意味しか持たない内容だった。取材に答える内容にチームからのチェックが入るが、これで良いようだったから安心してプレシーズンを乗り切ったと言えた。
モータースポーツ誌でF3関連の記事は、国内レース項目の最後方に位置するものである。F1や世界耐久選手権、世界ラリー選手権、国内ならスーパーGT選手権やスーパーフォーミュラが3分の2を占め、残りでF3のようなカテゴリーの記事が詰め込まれ、その中でたった1,2ページが基本的な構成だった。
3月。埼玉のスポーツ高に2月に復学した晃は、トレーニングよりハードな進級試験をなんとかクリアした。春休みまでは消化試合、学校中の生徒もすっかり休み気分が流れている。
騒がしい昼休みの中でアイスを食べていたが、どこで調べて来たのか『雑誌にお前が載っている』とクラスメイトに話しかけられ、晃の昼休みはそこで終了した。
「晃、なんとかってレースのチャンピオン取ったのに全然載ってないじゃん」
「そりゃそうだよ。だって、ヨーロッパって一言で言っても地方大会みたいなものだし」
「じゃあこのF3ってレースに出る記事だって、こんなちょっとだぜ?」
話しかけてきたクラスメイトは大袈裟に”ちょっと”のジェスチャーをした。
「良いんだよ、それで。F1じゃないし」
「あのなあ、インターハイの特集だってもう少しあるぞ。優勝候補とかの見てみろよ」
「そういうもんなの。モータースポーツって」
晃は面倒くさくなった。
「世知辛いなあ。あ、そう言えば今日空いてる?久しぶりにカラオケどうよ。忙しかっただろ」
「あー、悪い。今日寄るとこあるんだわ。また今度で良いか」
マジか。と落胆されるのを「スマン」と連呼してなだめる。
「三浦君、今年はF3っていうのに出るの?」
水泳部の椎葉海美が割り込む。次のエース候補らしいとのことだ。ジャンルは問わずレースが好きで知られている。そして背が高い。
「そう、フォーミュラ3。F1じゃないよ」
「分かるよ。その雑誌、見せて」
側にいるクラスメイトから雑誌をもらい晃のページを見ると案の定、「これだけ?」という顔をした。
「言いたいことは分かる」
晃は先読みしながら残りのアイスを頬張った。晃にそう言われ、話題を変えるように雑誌を畳んだ。
「日本でレースするんだ。あのまま帰ってこないかと思っちゃった」
「俺だってそうしたかった。でも、帰ってきた」
「こっちでレースしたくないの?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
複雑な気持ちをどう伝えて良いのか、正直なところ思いつかない。
「でも凄いんでしょ?F1みたいでさ、速いじゃん?」
「大げさだよ。300キロとか出ないし」
「噓だー」
話しながら晃は椎葉と最後に話したのはいつだろうと思い返していた。去年は話す余裕など無く、ならば日本に帰ってきて復学してからしか思い当たらない。1ヶ月程の出会いだ。
「レースする時見に行くから言ってよ」
「来るつもりなの?良いよ別に」
「楽しみにしてるから」
そう言われると同時に、昼休み終了のチャイムが鳴った。
授業を受けるからには勉学に集中しなければならない。晃は学生であり、その使命からは逃れることはできない。しかし頭の中にはサーキットのことで埋め尽くされていた。
第1戦、2戦の舞台は富士スピードウェイ、静岡県は小山町に構えるサーキットである。晃はここを冬の合同テストで散々と走った。
全日本F3は1大会につき、2レースから3レースが開催される。このフォーマットを8回繰り返す。この間、日本中を転戦し全20戦を戦う。
この日も晃は授業中にも関わらずイメージトレーニングで何周も周回した。休み時間中に眺めていた走行データを基にして、試行錯誤を繰り返す。どのコーナーでどのようにして走れば速いのか。自分が遅い区間はどこか。時にはコースをオーバーランすることも、クラッシュするギリギリまで走った。
すっかり頭の世界に浸かっていれば、いつの間にか授業も終わっているものである。書き写してもらう必要のある科目は多いが今更気にしない。それで良いのかと罪悪感を思いつつも、晃は開き直って頭の中で再び走り始めた。
『次は御殿場、御殿場です』
片道2時間半以上、在来線を乗り継ぎ御殿場駅に降りた晃は、更にタクシーに乗り、国道を挟んで両側に田で囲まれた田舎風景に辿り着いた。
ここまで来たのは、所属チーム『RTスピリット』の工場がある為だ。開幕戦まで残り3週間程であり、最終調整を行う。
事務所のエントランスに入り1人の大人が出迎えた。
「晃君、良く来たね。作業なら先に進めているよ。学校はもう大丈夫?」
「やることなくて暇ですよ、来馬さん」
「そう言ってサボっているんじゃあないだろうね?」
豪快に笑って晃の肩を叩くのは、チーフメカニックの来馬だ。競輪選手のように太い脚が特徴であった。
「本当ですよ。ちゃんと進級もできるんですから」
「それはなりより」
奥へ進み事務所を抜けると、巨大な倉庫のような空間に入った。真っ白な壁と床が眩しい。中二階もあり、そこにはミーティングルームがある。
中でも外装を剥がされ、ジャッキアップされたレーシングカーが数台目に留まった。国内のモータースポーツ最高峰のスーパーフォーミュラに参戦するマシン達だ。最高速度は300キロ、コーナリングはF1に迫るという。歩きながら目線が移る晃に来馬も気付いて足を止めた。
「やっぱり気になるかい。これ」
「もちろんです」
「もしかしたら、ウチのマシンに乗る時がいつか来るかもしれないよ」
「乗ってみせますよ。きっと」
「言うねえ」
しばらくしてから、タイヤを外された状態でジャッキアップされた1台のマシンが見えた。晃の、これから1年の相棒となるF3のマシンである。カーナンバーの『19』は既に車体に貼られていた。冬のテストではまだ仮のナンバーであったため、ようやく愛車と呼ぶことができるのだ。
簡単なミーティングを済ませレーシングスーツに着替えた晃は、大きいスクリーンとステアリング、レーシングカーと同様のシートが一体になったシミュレーターに案内された。
「この間のテスト結果から、基本的なセッティングを割り出しておいた。数値は入れてあるから、とりあえず何周か走ってみてくれ」
「分かりました。やってみます」
晃は実際にマシンに乗り込む時と同じようにしてシミュレーターのシートに座った。本物でなくとも、一挙手一投足同じにするのが晃のルールだ。こうして初めてマインドが完成する。
開幕戦と同じコースを走らせる。目の前には再現された富士スピードウェイが広がり、スピーカーから野太いエンジン音が流れていく。タイヤを温めてウォーミングアップを終えると、忽ち全開走行に移った。
ブレーキは悪くない。しかしもう少しコーナー奥で踏みたい。あと数メートル。コーナリングはオーバーステア気味の調整を感じる。リアが機敏に動いてマシンから曲がろうとするのが分かった。まだ予測できる。
高速コーナーはどうだ。体感で分かる以上に曲がる。タイヤの設置感が高い。特にリアタイヤだ。ストレートが遅いかもしれないが、許容範囲か。
富士スピードウェイの高速コーナーは空力特性で、テクニカルコーナーが連続する後半はマシン特性そのもので曲げるというのがよく言われるが、チームは忠実に従って仕上げているに違いなかった。
冬のテストではチームが予め決めたプリセットをベースに走りながら試すことを繰り返していた。その時から晃はチームに「曲がる」マシンが好みと伝えている。あとはブレーキだ。
「どうだ?走ってみて」
来馬が顔を覗かせて尋ねる。晃はシートに座ったままだ。
「進入でもうちょっと安定したいです。他は良いので」
「ブレーキ?」
「そうです。もっとコーナーの奥で踏めます」
「分かった」
見守るエンジニア達に来馬が声をかけて、シミュレーターの数値を変更し始める。
「フロントの減衰、柔で」「マイナス1くらい?」「1で」「リアはどうします?」「リアも同じ」「了解」「OKです」
晃は再び走り始める。
シミュレーターは数値の世界だ。天候も路面もマシンも全て数値でできている。現実とはもちろん違う。例えば、リアルタイムで変化する風向き、コーナーごとに違う路温と凹凸、砂やタイヤカスの汚れ、全てを再現しきれない。
それでもやるのは、最も現実に近しい手段だからに他ならない。ミリ単位の世界をぶっつけ本番で行う方が、最悪のリスクとなる。シミュレーターは、数値と現実の差を無くしていく作業だ。
しばらくして、タイムが上がった頃には外は暗くなっていた。
「これなら去年でもフロントローは狙えますよ」
メカニックの1人が頷きながら言う。
「そうだな。晃君、最後のどうだった?」
「一番良かったです。本番もこれで行きたいです。安心して突っ込められました」
「それ、予選と勝負どころ以外使うなよ。一瞬遅れたらタイヤ壊れるぞ」
「本物ならもっと行けます。絶対」
「晃、お前な…」
晃はシミュレーターから離れて、水を一度に半分ほど飲んだ。
「行けるんです。なんというか、”ここ”っていう所があるんです。そこでブレーキング出来れば、どんなに奥でも止まれます」
「分かってる。だが何度も言うがタイヤが」
「面白いじゃねえか」
「監督!帰ってたんじゃなかったんですか」
チーム監督、舘谷が事務所の方からやってきていた。
「まだ灯りが点いてたもんだから来てみたんだよ。全く、ぼちぼち帰れと言っただろうが。で、晃は絶対止まれないようなブレーキングゾーンで攻めるって?」
「まだシミュレーターの段階で、ですけど…。行けるみたいです」
晃は頷いて応える。
「どうやら本気みたいだぜ。そんな目をしてやがる」
舘谷はマシンの傍に歩いてメカニックを呼んだ。
「カウル開けてくれ」
「今からですか?」
「良いから」
数人が工具を取り出してエンジンを覆うカウルに手を掛ける。あっという間に眠っていたエンジンが姿を現した。照明に照らされ、空間から浮き出たように輝いている。
「これから話すことは、まあ1人の老人の臭い言葉だと思って聞いてくれ」
舘谷は続けた。
「目の前にあるこいつは、俺たちの魂だ。見えてないところのボルト1本だってそうだ。それを乗せてお前は走るんだぜ。良いか、勝つ時も負ける時も1人でやろうとするんじゃねえぞ。それだけ忘れないで走れ」
晃は周りを見渡す。全員同じ目をしていた。舘谷のように、マシンの一部となったかのように。エンジン音が聞こえてくる。頭の中で響き渡り、身体を震わせてみせた。
「俺もトシだ。柄にも無いのは分かってる。だから頼むぜ。晃」
「はい!」
「よし。本当は本番前に話したかったんだけどな。今で良かったかもしれん。じゃ、俺は帰るからな」
右手を挙げて挨拶し帰る背中を晃たちは無言で見送った。
「あの、ステアリング触っても良いですか」
「良いけど、どうしたの」
「なんだか無性に握りたくなってしまって」
近くのメカニックに声をかけて、程なくして取り外されたステアリングが手渡された。両手で握る。確かに、静かに力強く握った。
『サーキットにお越しのみなさん!おはようございます!全日本F3選手権、第1、2戦富士スピードウェイにようこそ!会場内の実況解説は私―――』
サーキットに熱が入る。エンジンに火を入れる時がやってきた。
明日のレーサーを占う若人の戦争が、開幕する。
これにてRound0、プロローグが終了です。
次話からRound1が始まります。




