河田公平による「ある冬の休日2」
見上げた空にはほとんど雲がなく、澄んだ青空が広がっていた。気温は低いが、太陽の日差しのおかげでそれほど寒さは感じない。こういう日を遠足びよりだとかお出かけびよりだとかいうのだろう。たしかに、小高い丘の上などで横になって昼寝をすれば気持ちが良さそうだ。
とはいえ、日向ぼっこをする気はさらさらない。そんな丁度いいスポットも知らないし、知っていたとしても、昼寝などしてしまえば夜まで眠ってしまい風邪をひいてしまうオチが見えている。とりあえず、家からほど近い音尾川まで歩いて行くことにした。
音尾川は、この町を北西と南東に分断する大きく長い川で、その昔この川の氾濫による災害はそれはそれはひどかったそうだ。もともとは北から南へと今よりも縦に近い形で流れていたらしいが、なんやかんやで今の向きに変わったらしい(小学生の頃地理で習ったのだが忘れてしまった)。
川の周りには桜並木の名所がいくつもあって満開の季節には大勢の地元民から非地元民が花見へとやってくる。それ以外の季節にも、川沿いの歩行者・自転車専用道路にはランニングやサイクリング、犬の散歩などで人通りが絶えることはない。
とはいえこの冬の季節にはそういった人たちも格段と減る。ランニングをしている人影はまばらで、あとはトイプードルと散歩をするおじいちゃんを一組見かけるだけだ。
周りに風を遮るような建物もない川沿いは風が吹きすさび、太陽の光があったかいと言ってもさすがに寒かった。丸裸になって寒くないのか、と見上げた桜の木も、風に揺れて頷いているようだった。
手袋をつけてくればよかったと思いながらポケットに手を突っ込み、十五分ほど歩くと、向かいの方からジャージ姿の集団が走ってきた。見た感じ高校生くらいの男子四人組で、談笑しながら脇を通り過ぎていく。
その中に、見覚えのある顔を見た気がしたが、向こうは気づかなかったのか人違いだったのか、特に俺に対して反応を見せることなくそのまま走り去っていった。
べつに意識して耳をそばだてていたわけではないのだが、彼らが横を走って行くときに、初詣、というキーワードが耳に入った。どうやら、同じ陸上部の女の子たちと初詣へ行ったらしく、その中に好きな子がいるだのなんだのと楽しげに話していた。その高校生特有のノリはなんだか懐かしく、自然と口元が緩んだ。
話し声はすぐに聞こえなくなってしまったのだが、彼らのおかげで今日の予定が決まった。
初詣だ。
話を聞いて思い出したのだが、俺はまだ初詣に行っていなかったのだ。もう今年に入って半月以上過ぎたというのにである。
いや、正月に行くつもりだったのだが、友人と行くつもりだったのだが、これには訳がある。単純明快な訳がある。
インフルエンザに罹ったのだ。
昨年末、祖父母の家に親戚が集まった際、インフルエンザに罹っているにも関わらず、酒を飲むのだと言って、ゴホゴホと死にかけの従兄が宴席へと躍り出た。彼はあっという間に倒れ、奥の座敷へと隔離されたのだが、それまでの間、酔っぱらって頭のおかしくなっていたおじさんたちは、従兄に酒を注ぐわ注がせるわで馬鹿騒ぎし、インフルエンザに感染する心配を気にも留めなかった。結果、おじさんたちはほぼ全員インフルエンザに罹った。そして、なぜか、宴席には参加せず、別室で従兄弟の子供たちと遊んでいた俺にまでうつった。マスクもつけて予防はしっかりしていたはずなのに、だ。
冬休みを終えるまでのあいだにはなんとか完治したのだが、当然初詣には行けず、休み中ずっと自室のベッドで横になっていた。その間、ものすごく怖い夢や奇妙な夢を何度も見た。それらはすべて同じ内容だったような気もするし、そうでなかったような気もする。だが、夢は夢、起きたら記憶は曖昧になり、今ではどんな夢だったのかも覚えていない。ただ、それらから得た印象、感覚のみが残っている。
まあ、病気らしい病気にかかるのも小学生以来で、母や妹に看病されるのはなんだかくすぐったく、それなりに心が休まる時間ではあった。母と妹にはうつらなかったのは不幸中の幸い、親戚のなかには従兄からおじさんたちへ、そのおじさんから家族へとうつってしまうという事例もあったようで、ウイルスはわしゃわしゃと増殖した。
問題の根源である従兄は親戚中から叩かれ(酒を勧めていたおじさんたちまでもが従兄に小言を言っている姿は見苦しかった)、彼はとても反省していた。普段はおとなしく礼儀正しい彼も、正月休みで浮かれていたのだろう。とはいえ、もう三十にもなるのだから。まったく酒好きも困ったものだ。
俺は方向転換し、一番近いバス停へと向かう。ここからすぐ近くにも神社はあるが、せっかくなのでそれなりに有名で大きい神社へ行くことにした。これだけ日も経っていれば、参拝客の人数も減っているだろう。
別に毎年必ず行ってるわけでもないのだが、思い立ったが吉日。
一人で初詣、いいじゃないか。