コンスース
題名「お花畑」
第一章「根拠の塔編」
第六話「コンスース」
ヤキャユクの市場。
実際には商品の受取所だ。
俺達の仮想世界は、エントリーポイントを経由しなければ、その世界を移動できない。
ポイント・トゥー・ポイントで早く正確に納品する手段がなく皆困っていた。
そこでヤキャユクという女が売り手の品物を一手に預かるサービスを始めたのだ。
ヤキャユクの世界はその面積の半分が、巨大な自動化倉庫になっている。
誰かがオンラインで買い物をしたとしよう。
例えばそうだなAの世界で売っているシャツと、Bの世界で売っている靴にしよう。
売り手Aはシャツを、売り手Bは靴をあらかじめヤキャユクの倉庫に一定数…十着とか百着とか預けてある。
商品の購入が成立すると代金はAとB両方に支払われる。
しかし、品物はシャツと靴をまとめて梱包し、買い手に”受け渡し可能”と通知をするのだ。
買い手は通知を受け取った後なら何時でも、ヤキャユクの市場=倉庫で品物を受け取れる。
倉庫ではロボットが働き、完全に無人、完全に自動化されている。
さて、ブラックリストシステムは地球で運用されていたそのままの仕組みを、仮想世界でエミュレートして運用している。GPS情報もしかりだ。
地球で利用されていたGPS情報に”世界”なんて情報はない。3次元の位置情報だけだ。
本当にマオカルが”間抜けにも”この有名な世界にチャンネルを切り替えてくれてよかった。
ジェジーはマオカルの視覚情報から即時に「ヤキャユクの市場」だと判断できた。
そのヤキャユクの市場のエントリーポイントに俺は到着した。
他にも何もの客が続々と世界にエントリーしてきて、自分が買った商品を受け取るために倉庫へと向かう。
忙しく働く50tロボットクレーンのアームの先端に立ち、高笑いをしている褐色の女性がヤキャユク。あんな所に立って怖くないのか?噂通りの女傑だ。
客の流れがから横に逃げて、俺はジェジーに連絡をした。
「マオカルの現在位置を教えてくれ。」
GPS情報を頼りにまっすぐ向かってやる。コンスースもそこに居る筈だ。
ここでふと顔をあげる俺。
「いや、いい。判った。」
俺は回線を切って走る。遠くの方に人だかりができている。レールガンの轟音がする。
野次馬に囲まれて、コンスースがマオカルを追いつめている。
時折野次馬の誰かさんが流れ弾に当たって吹っ飛んでいるが、この世界ではどうせ誰も死にはしない。お構いなしの様だ。
コンスースはレールガンの銃口をマオカルの額にピタリと当てた。
「お前のハンドガンは精度が高いだけだ。今回は地雷対策にリキッドアーマー素材も仕込んできた。」
「くそっ!」舌打ちするマオカルの右足は吹き飛ばされており、しばらくの間は走って逃げることは出来ない。
「今度は僕が君を椅子に縛り付ける番だ。そうだろう?」
コンスースがマオカルの胸ぐらをつかんだ。
「この平和な世界に警察はいない。必要ないからだ。ではマオカル、誰がお前を尋問する?僕だ。僕がお前からチャケンダに関することを全て聞き出す。そのためにはどんなに残酷なことでも、僕はやる。」
「コの字ぃー!」
腕を振りながら駆け寄ってくる俺の姿を見て、マオカルは目をつむり、コンスースを引き連れてチャンネルを切り替えた。
コンスースの注意は俺に向いており、マオカルがチャンネルを切り替えていることに全く気付かなかった。
もし気が付いていたら、コの字は奴の頭を吹き飛ばしていただろう。
俺も野次馬のせいでコンスースの頭のあたりしか見えず、胸ぐらをつかまれてうなだれているマオカルの様子までは見えなかった。
やられた。
俺は焦ってジェジーに連絡をした。
「ジェジー!マオカルがチャンネルを変えた。行き先を。」
『ちょっと待ってくれ。今度は視覚情報が無い。コンスースに聞いた方が早いかな?』
「急いでくれ!」
『…………コンスースから物理アドレスが来た。グワハの雪原だ。』
「分かった!」
『いや、まて。』
「なんだ!?」
『また、チャンネルを切り替えているようだ。ニカイー、焦るなよ……………………………着いた、今度は視覚情報がある。ジャングルだな。』
「何処の?」
『ヌフシグのジャングルの筈だ。奴のトトクーリエにそこの物理アドレスがある。』
「コの字は?」
『応答待ち!』
ジェジーはマオカルのデータから物理アドレスを取得して俺に送った。
それを用いてヌフシグのジャングルにチャンネルを切り替えた。
「ジェジー、ジャングルに着いた。奴はどこだ。GPS情報をくれ。」
『GPS情報は必要ない。目の前の川を上れ。50mと離れていない。』
その50mが大変そうだ。
何しろ相手は軍人。ジャングルの移動などお手の物。
『ニカイー、十分に気をつけろ。』
「分かっている。」
『違うんだ。』
「何が?」
『奴はまた目を閉じている。それに…』
「それに?」
『コンスースの様子がわからない。応答がないんだ。』
「ジェジーよ…」
『ん?』
「ちょっとは明るい話はないのか?」
『お前が急げば、いいことがあるかも。』
「今日はブラックフライデーだったか?」
木々がうっそうと生い茂り、足元は石やら枝やら堆積した落ち葉やらで走るのに適さない。
『マオカルの動きが止まった。』ジェジーがそう教えてくれた。
コンスースが追いつめたのか?それにしてはあの派手なレールガンの音が聞こえない。奴の足はとっくに復旧しているだろうに、なぜ止まる。目を閉じている理由は?何かがおかしい。腑に落ちない。
それにつけても「パン屋にジャングルは似合わないな。」
足を速めたのだが、やはり足場の悪さに苦戦して息が上がるばかり。
『大丈夫だ、近付いている。もうすぐ見えるぞ。』
左右から行く手を阻む木の枝をかき分けて前に進むと、突然、マオカルの姿が見えた。
それほど高くはない崖の前で立ち往生している。
「ジャングルが似合うな、軍人サン。」
奴は俺の声を聴くと瞑って居た目を開き、銃を捨てて両手を挙げた。
コンスースの姿が見えない。マオカル一人だけだ。
その理由と、コの字の居場所を、この軍人さんが二つ返事で教えてくれる確率は恐らくゼロだ。
俺はやつの太ももに袖搦を突き立てた。
野太い悲鳴がジャングルを駆け抜け、驚いた鳥が飛び立つ。
「コンスースは何処だ?」
「ああ、奴なら今、ションベンに行っている。」
「何処だ?」
俺は袖搦の先端をウニ状に変形させ、やつの太ももを攻めたてた。
「ぐあああっ!!あの野郎は!今、そこら辺の木の陰だ!があああっ!!」
「さっさと吐いて楽になれ。」
「あの弱虫が!ぐっ!ぬあああっ!蛇が怖いからついて来いって!うがっ!があっ!あああっ!笑うぜ!きっと今!蛇にビビッてションベンが出なくて困ってる!!うああああっ!!」
どうやらこの男の強がりは本物だ。
袖搦を引っこ抜き、先端をハンマー状に変形させ、奴の側頭部を殴って気絶させた。
「ジェジー聞こえるか。」
『ああ。』
「グワハの雪原に移動する。何か情報は?」
『無い。マオカルはその時目を瞑っていた。音も吹雪の音がひどくて他の音は聞き取れない。雪原に滞在した時間は28秒、これは参考になるか?』
「解らんが兎に角移動する。追加の情報が出たら連絡を。」
チャンネルを切り替えて雪原に到着すると、猛吹雪で視界は何メートルもない。
少し歩いてみたがコンスースの姿どころか人影が無い。
チャケンダがコンスースに何かをするとしたら、ここはもってこいだ。
それが第一印象。いや、むしろ確信する。ここで何かされたに違いない。
例え2人がかり、3人がかりでも軍人マオカルすら圧倒したコの字を、たった28秒で正面からねじ伏せるだなんて、チャケンダがやったにしたって考えにくい。
つまり、待ち伏せされたってことだ。
ガーウィスの店の時もそうだった。きっとチャケンダは、この世界の情報を違法に取得する方法を何か知って居る。
それが出来なければ、ブラックリストでマオカルの通信が盗聴されているのに、奴の動きを知って待ち伏せなんてできない。
マオカルもチャケンダならばこの雪原に立ち寄った意味を分かってくれると信じて、ここに来たに相違ない。
嫌な予感が吹雪の轟音をかき消し、瞬間、俺の頭の中が無音になる。コンスースが心配だ。彼の名を繰り返し呼ぶが返事がない。
最早俺一人ではどうにもできない。マァクに連絡をした。
「コンスースが行方不明だ。捜索に人手が居る。今すぐ何人か都合つかないか?」
マァクは回帰派の10名を連れて、吹雪の雪原に来てくれた。
「マァク。ありがとう。」
「彼に何かあったら私の責任よ。」
猛吹雪の中にあっても彼女の美しさが損なわれることはない。吹雪は雪の結晶は彼女を避ける様に吹雪く。彼女の身体に雪は積もらない。
やはり、彼女は自信の肉体に美の呪いをかけたに違いない。
彼女は呪われていて、だから常に完璧に美しいのだ。
1時間たった。予想はしていたがこの400m四方ばっかりの世界にコンスースの痕跡は見つからなかった。
次から次へと雪が降り積もるので足跡すらかき消されてしまう。
「ニカイー。あなたは店に戻って。」
「しかし。」
俺の頬を彼女の滑らかな指がなでる。
「自覚して。あなたは切り札。後は私に任せて、ね?」
彼女の有無を言わせぬ美しさに負けて、俺は店に戻った。
椅子に座ったジェジーが頭を抱えてうなだれている。
「僕が、君を引きとめなければ。1秒でも早く、応援に行かせていれば。」
「いや。俺たちがどうあがいても、最終的に同じ結果になったと思う。」
俺は慰めではなく、それが事実だと信じて、そう言った。
そう言った正論を吐くのは、本来ジェジーの役目だ。
ジェジーは自分を責めている。それは俺も同じだ。俺は後先を考えず安易にマオカルに近付いた。あの時もっと慎重に、例えば奴の後ろから音もなく忍び寄って居れば、俺が羽交い絞めにしていれば、結果は違っていたはずだ。
俺とジェジーはついに言葉を失って、ただうつむいた。
コンスースはヨワキの有限幻界に居た。ヨワキは30年前にROM化されたお花畑の化け物。彼女の世界は一面、ホウセンカの花が咲き乱れている。遠くにROM化された化け物の姿がちらりと見えている。
そして、コンスースの前にはチャケンダ。
コンスースがリサイデュアルモデムを使ってトトクーリエの機能を使おうとすると…具体的には俺にメッセージを送ろうとすると、通信エラーになる。
フルフェイスヘルメットを着けているので表情は解らないが不思議そうな、そしてやや焦ったそぶりを見せる。そんなコンスースを見てチャケンダは笑い声を鼻から漏らしてしまった。
「いや、失敬。すまないがこの世界は僕が手を加えていてね、君たち一般ユーザーは論理的にオフラインなんだ。」
「へぇ、ならこの世界じゃなければ、オンラインなんだね?」
そう言ってチャンネルを切り替えようとしたコンスースを、チャケンダは人差し指で触れるだけで阻止した。
あり得ない!
コンスースが攻撃されダメージを受けたのならわかる。
肉体の復旧プロセスが優先的に実行されて、チャンネルを切り替える処理はキャンセルされる。
そうではなくこういう結果になった理由は一つ。チャケンダが移動先に間違った物理アドレスを指定して、チャンネルを切り替える処理を異常終了させた。
まて。それでもまだおかしい。チャンネル切り替えの仕様は”先勝ち”。つまりこの場合、行き先を既に決めていたコンスースの決定が優先され、後で彼に触れたチャケンダが道連れになってコンスースが決めた世界に移動する筈だ。
チャケンダがコンスースの動きを先読みして、わずかに先にチャンネルを切り替える手続きを始めていたのだろうか?しかしコンスースのその予想は間違っていた。
「君は有限実装の仕様を十分には理解していないようだ。チャンネル切り替え機能のキューは優先順位付きなのだ。そしてエージェントはより優先度の高い要求を受け取ったとき、処理の途中でもロールバックし、要求をキューに戻すのだ。しかし今回の場合、僕の要求とコンフリクトするため、君の要求は破棄された。」
「ご高説どうも。」
コンスースはジャンプしてレールガンをカウンターファイヤ無しで撃ち後方に移動、チャケンダとの距離を作る。
これだけ距離があれば奴の指は容易には自分に届かない。チャンネルの切り替えは成功すると期待した。しかし、奴は追ってこない。奴が血相を変えて追ってきたら、コンスースは成功を確信してチャンネルを切り替えただろう。
何故、奴は追ってこない?
チャケンダはまだ妨害する手段を隠し持っている。奴はまだ化け物の姿にすら変身していないではないか。コンスースは彼の余裕の態度に、そう怪しんだ。
コンスースは両腕のレールガンをチャケンダに撃った。
チャケンダは体の3分の1以上を失ったがみるみる復旧してゆく。
「化け物め!醜く臭い本来の姿に変身したらどうだ。」
「化け物だって?」
チャケンダは首を傾げた。
「僕に言わせればこの世界で化け物と呼べるのはニカイーただ一人だ。」
「ニカイーはちょっと頭が悪いだけの気のいいパン屋だ。」
コンスースはレールガンを撃ち続ける。肘辺りから噴き出すカウンターファイヤがホウセンカを焼く。
「あの男はどれだけ侵食されてもお花畑化しなかった。」
「化け物じみて丈夫かも知れないが、化け物ではない。」
「彼は僕が目指す新しい世界にとって、最大の脅威だ。そして、この世界にとって最悪の異物だ。僕もはじめは彼のことを勘違いしていた。保全機能が何故、あの男の存在を許しているのか、僕には理解できない。」
コンスースの周囲が火の海になっている。紅蓮の炎の中、仁王立ちでレールガンを撃ち続ける。
「君は…さっきから何をしているんだい?」
「お前を行動不能にする。そして、この世界を脱出してニカイーを呼ぶ。」
「あーぁ…なるほど。すまない、君たちの考え方とは遠くなってしまってね。君たちがお花畑化と呼ぶ現象について、君たちは何も知らないに等しい。今まで僕の本体だったもの、つまりこの人間の体は…」
チャケンダは自分の胸に手を置く。
「…既に僕と言う存在のシミに過ぎないのだ。」
「おおおっ!!!!」
チャケンダとの距離を詰めて、ゼロ距離でレールガンを連射する。
身体を削り取られつつ、ため息をつくチャケンダ。
「君、人の話をよく聞きたまえ。僕と言う存在にとって、君が今見ている僕はシミ程度の重要性しかないのだ。氷山の一角ですらない。君たちが有する攻撃手段の中で、僕と言う存在に届くのは、今のところあの忌々しい袖搦だけだ。」
「その袖搦の前にお前を突き出す!」
「僕は知っている、君は頭がいい。純粋な人類と言う枠の中では。」
コンスースの容赦ない攻撃で粗微塵の焼け焦げた肉片になったチャケンダの体。
実のところ最大出力で2、3発も撃てば人間の体など肉片一つ残さず吹き飛ばせた。
だが、コンスースは優しい男だ。最強の敵であるチャケンダにさえ気を遣う。肉体が完全に失われた場合の復旧処理は前例がない。敵とはいえチャケンダに万が一のことがあってはいけないと考え、慎重に出力を調整して、ひとかけらだけ彼の体を残したのだ。
それに彼には聞きたいことがある。イェトを化け物にしないで済む方法だ。今はまだチャケンダに万が一のことがあっては絶対に困るのだ。
フルフェイスヘルメットの顔の部分を上に跳ね上げ、せき込みながら必死に呼吸をする。
一方的に攻撃していたとはいえ、コンスースにも余裕はなかった。
何をしてくるかわからない、存在そのものが未知数Xのチャケンダ。
コンスースは、例えるならチャケンダの気分次第で起爆可能な爆弾を、心臓に仕掛けられたような気持で戦っていたのだ。
その心配も今や無用。
ここまでダメージを与えれば、放置された焼き肉のような、小さな炭の塊にしてしまえば、俺と接点を呼びに行く時間は稼げたはずだ。
今にも張り裂けそうだった心臓も落ち着き、ぼたぼたと落ちる汗をぬぐい、俺のパン屋に向けてチャンネルを切り替えようとした。
その時、チャケンダの人差し指がコンスースの額にそっと置かれた。
ぞっとした。
唖然として半開きになった口。
小刻みに震える顎をあげて前を見ると完全に復旧したチャケンダが居る。
静かなる、余裕の表情。
こいつには勝てない。わずかな時間行動不能にすることもできない。
きっと言葉に偽りなく、こいつの人間の姿は奴にとってとるに足らないモノなのだ。どのような状態になっても、いつでも、どうとでもできるのだ。
奴の存在とは何だ?
自分に何ができる?
コンスースは自分自身に考えろと命じた。
今一度チャケンダと距離を開け、出力を抑えてレールガンを撃った。
ジュラルミン製の弾は奴の体を爆裂させず、後方に吹き飛ばした。
やつが立ち上がったところでまた、後方に吹き飛ばす。
そうやって、奴が近づいてこれないようにして、チャンネルを切り替える手続きを始めた。
「君は本当に頭がいい。」
チャケンダは化け物の姿に変身した。
線虫が絡み合ってできた醜悪で巨大な塊。
その線虫が10m以上の距離を一瞬で伸びてきて、コンスースの額に触れた。
しまった。ヘルメットの顔の部分を跳ね上げたままだ。
露出した肌に、線虫がぬめりと触る。
彼は「侵食されるのか?僕も化け物になってしまうのか?」と恐怖に凍り付き、全身の血液の流れが止まるような感覚を覚えた。
しかし、チャケンダは再び人間の姿に戻っている。
「君を僕たちの仲間にするつもりはないよ。」
「勿論だ、僕達は敵同士だ。」
コンスースは思わずこぼれる笑みを隠さず、再びレールガンを撃つ。
首尾よく奴を化け物の姿にできた。監視に引っかかり、間もなく俺と接点が来るはず。
それまでの足止めができればいい。
それはきっとわずか数秒の筈だ。
そう、たったの数秒。
勝った!!
チャケンダは化け物に変身して、塊からばらばらの線虫になりながらレールガンのジュラルミン塊を交わし、一気にコンスースとの距離を詰め、また、人間の姿に戻った。
「僕は誰にも迷惑をかけるつもりはない。しかし、君には、最低限の措置が必要だ。」
チャケンダがコンスースに触れると、単分子繊維製のスーツを着た技術屋は石像のように動かなくなってしまった。
「ふぅ。本当は何もせずに帰してあげるつもりだったのに。」
チャケンダはコンスースを連れてホウセンカで覆われた世界をあとにした。
入れ替わりに袖がらみを持った俺とプライマリが到着。
メラメラと燃えるお花畑を見て、コンスースがここに居たのだと確信した。
荒らされた花園はコンスースが激しく戦った後。その相手はチャケンダで間違いない。
俺はまた、大事な者をお花畑の化け物にされてしまうのか?
たまらない。
俺は馬鹿だから、そういうの、本当に耐えられないんだ。
苦しいんだ。
俺は内臓が飛び出すほどの勢いで、必死に、彼に対するあらゆる思いを込めて、コンスースの名を叫んだ。
声はかれ、前のめりに倒れる。
プライマリには”目の前で絶望している人を慰める”という感情が実装されていない。
彼女は俺が何らかの精神的なダメージを受けていることは理解した。
しかし彼女は俺が自力で回復するのを待った。
俺の精神力ならば、勝手に回復するだろうと、そう推し量った。
チャケンダとコンスースは椿の花で埋め尽くされた世界に居た。
花は虚無の地平線に咲いているだけではない、空中にも手折られた花や瑞々しい花びらが漂っている。美しい花柄の漆器のような幻想的な空間だ。
メガネが知的な美人OLのニューオンが近づいてくる。
彼女が通った後ろに椿の花びらが渦巻いている。
「連れてきたのね。」
「やむを得なかった。彼は頭が切れるばかりでなく骨のある男だよ。それより、早く措置をしないと。」
チャケンダはコンスースの顔に手を置いた。
「今、彼の本体と有限実装との通信を破棄しているんだ。長時間放っておくと、彼の本体が危機的な状態にあるとウォッチドッグに判断される。」
石像のようになっていたコンスースはまた動き出したが、次の瞬間、パーミッションを書き換えられてROM化されてしまった。
コンスースは外部の様子を認知できるが、チャケンダに対してレールガンを撃つことも、この仕打ちに対して抗議することもできない。勿論、俺に連絡することもできない。
「このままでは接点に助け出される可能性がある。悪いが暗号化させてもらうよ。」
チャケンダが念じると、コンスースの姿は小さなブロックに分割、それぞれがアルファベットやハングル文字等のレターに変換され、また人の形に集まった。
「僕との回線だけは開けておく。」
チャケンダからテキストデータが飛んできた。
俺のパン屋。
チョリソーとオウフが2階で、イェトの抜け殻の世話をしてくれている。
体を拭き、新しい服を着せ、髪をとかす。
そして、コンスースが作った専用の端末を使ってイェトと話をしてくれる。
「イェト、聞いて。私たち、根拠の塔の14人に選ばれたの。」
「しかもセンターよ。私たち計画のイメージキャラよ。」
『やったじゃない。流石、センシェン ガベジ。』
「ところで、具合はどう?」
『元気よ。あの酷かった心の痛みが急におさまって。もう逆に怖いくらいよ。』
「バックグラウンドに居るからではなくて?そっちに居ると楽なのでしょう?」
『確かに、こっちに来てすぐにぐっと楽にはなったけど、今は完全に痛みが消滅したの。たぶんフォアグラウンドに戻っても痛みを感じないと思うわ。』
「それは…良いことなのかしら?不思議ね。」
「ちょっと接点ちゃんに聞いてみた方がいいかも。あ!もちろん念のためよ。」
オウフはイェトを不安がらせない様、気を使った。
『実はわたし、接点ちゃんにお願いしようと思っていることがあるの。相談に乗ってくれる?』
「ニカイーに頼めば、何でも聞いてくれるじゃない。」
「ひょっとして、言い難いことなの?」
『そうなの。二人だから言えることなの。』
「分かったわ。女の子同士、気兼ねは無用よ。」
『わたし、このバックグラウンドから出て、フォアグラウンドに戻ろうと思っているの。』
チョリソーとオウフは顔を見合わせて、ポカンと口を開ける。
「何を言っているの!?お花畑化が進んでしまうわよ。」
「化け物になってしまうのよ!?ニカイーが許さないわ…あ。」
オウフは彼女がなぜ俺に頼まないのか、理解した。
『そう、ニカイーの石頭を説得する必要があるの。』
「でもなぜ?危険だわ。」
『だって全然わたしらしく無いんだもの。自分の運命を誰かに任せっきりだなんて。今なら痛みも収まって自由に動けるわ。自分の運命と戦えるわ!』
チョリソーとオウフは再び顔を見合わせてクスクスと笑った。
「そうね、イェトはその方が良いと思うわ。」
「ニカイーのことは私に任せて。ちょっとこの体を借りるわね。」チョリソーが飴玉を口に放り込んだ。
『どうするの?』
「ああいう頑固で鈍い男はドカンと一発プレッシャーをかけるに限るわ。」
ウィンクをしてチョリソーがイェトの抜け殻を背負い、オウフが専用端末を抱きかかえた。
1階に降り、しれっと俺の前を通って、店を出ていこうとする。
「おい!ちょっと待て!」
俺は血相を変えて走り、二人の前に立ちふさがった。
「イェトを何処に連れていく!?」
「甲斐性無しの居ない何処かよ。」
「甲斐性無しって、俺のことか?」
「他に誰が居るのよ。」
「イェトが大変だって言うのに、ニカイーときたら1ヶ月以上もよ?来る日も来る日も、動画を見るばかり。愛想を尽かされても当然でしょう?」口の中の飴玉が見える。そんな勢いでチョリソーにどやしつけられた。
「な!なんだと?イェトがそう言ったのか?」
イェトに嫌われた?俺は内心焦っていた。そしてその心の内は無様にも、態度と表情に誤魔化しようもなくあらわれていた。
「本人に直接聞いてみなさいよ。」
オウフが専用端末を差し出す。その勢いにつられて、俺も手を差し出し始めてしまった。
しまったと思った。今、手を引っ込めるのは最悪に格好がつかない。
しかしなぜだ?専用端末に近づくにつれて、俺の右腕の震えが激しくなる。
イェトに『サヨナラ』と言われるのが怖い。
額に脂汗を浮かべ、それでも意地を張ってやっと手が届きそう、そのとき。
「全くだらしがない。」
オウフは専用端末を引っ込めてしまった。
俺は両手を膝に置いて、「ハァ~」などと大きく息を吐く。
いや、吐き出したものは本当に単なる二酸化炭素であったろうか?
喉のあたりで抑え込んでいた、不安やら意地やらの葛藤を吐き出したのではなかろうか?
「ニカイー。あなた本当に何もイェトを助ける手はないの?」
と、言われてもなぁ。俺頭悪いから、作戦立案は人任せなんだよね。
何か考えて居る様な、何も考えていないような、漠然とした俺の間抜け面。
それを見たチョリソーが業を煮やして俺に詰め寄る。
「イェトが”心の痛みが完全に納まった”と言っていたわ。これって、何か悪い兆候なのではないの?」
痛みが消えるとは通常良いことなのだが、悪い兆候などと示唆されると、全くぞっとする。
俺の妄想の中でイェトが化け物に変化していく。そんな未来を許してたまるか。
心の痛みが完全に納まったその理由を今すぐに接点に確認したい。本当にお花畑化が進んだ証ならただ事ではない。
しかし、俺から接点に連絡を取る方法は実のところ何も無いのだ。
彼女たちの有限幻界は俺達一般ユーザーには隠ぺいされていて、もちろん物理アドレスも公開されていないから、root権限を持つ接点が同伴してくれない限り、俺単独ではたどり着けない。
トトクーリエのアカウントは彼女たちも持っている筈なのだが、俺はそれを知らない。彼女たちは俺にアカウントを知られないように、いつも俺を標準出力にして一方的にデータを送ってくるのだ。
この小説で”プライマリが俺にデータを送った”などと書くが、もれなく”俺を標準出力にして”という修飾が省かれている。
俺と接点たちとは長い付き合いだが、永遠に縮まらない距離が厳然と存在するのだ。
プライマリは依然、俺のことが大嫌いだ。
オロオロとするばかりの俺にチョリソーはいら立っている。
ジェジーが俺たちの会話を聞いて席を立ち、近寄って来た。
「ニカイー。僕の予想だと恐らく、悪い兆候だよ。」
俺だけではなく、チョリソーとオウフの表情も曇った。
「きっとイェトは化け物になる何らかの手続きを拒絶し続けて来たんだ。しかし恐らく、その手続きは行われてしまった。その結果として彼女の痛みはなくなったのさ。彼女のお花畑化は次の段階に進んでいると思う。」
場が静まり返る。
ジェジーの意見に反論をしたいのだが、彼の意見は説得力がありすぎて、駄々をこねる子供が発するようなセリフしか思いつかない。
そんなセリフを口から出してしまったら、返す刀でジェジーに切り伏せられてしまうだろう。
ジェジーはいいやつだが、良くも悪くも正しいことを言う。
彼の言葉がまっすぐに正しいが故、俺は絶望の淵をより一層奥へと落ち込んでしまうのだ。
頭の中は真っ白。
その真っ白な中で「あ、」っと、馬鹿の俺が何か閃いた。
ふと、チョリソーが「1ヶ月以上もよ?」と言っていたシーンだけが頭に浮かんだのだ。
そうだ、1ヶ月経ったんだ。
「ガーウィス!!」
チョリソーとオウフは「「ガーウィス?」」と首をかしげている。
「ガーウィスがどうしたんだ?」ヘンテコ発明家ガーウィスのことを知って居るジェジーが俺に尋ねて来た。
「チャケンダの居所を突き止める方法があるんだ。」
早速ガーウィスの有限幻界にチャンネルを切り替えようとする俺の腕を、オウフが握りしめ「まった!」と叫んだ。
「腕を離せ。俺は急いでいるんだ。」
「焦っているの間違いでしょう?話を聞いて。」
「手短にしてくれ。」
「イェトをバックグラウンドからフォアグラウンドに戻して。」
何を言うかと思えば、なんということを。
俺は頭に完全に血がのぼってしまった。
それを察してオウフが身をすくめ、チョリソーが彼女を守るように一歩前に出る。
「馬鹿を言うな!!」
俺は唾液を飛び散らせて激昂した。
ただでさえ、イェトにはお花畑化が進行しているらしき兆候があるのだ。これ以上それを進めるようなまね、出来るわけがない。
「イェトがそれを望んでいるの。」チョリソーは激怒する俺を前にしても退かない。彼女はいかれる俺にひるんでいる。だが退かない。
「だめだ!」
「コンスースは行方不明。チャケンダが見つかったとして、あなた一人でどう戦うの?」
「32年前はイェトなしでやっつけた。」
ジェジーが2、3歩離れた位置から口を挟む。
「僕も彼女たちの意見に賛成だ。僕は知っているぞ、チャケンダが32年前とは違うって。加えて敵にはもう一体の化け物と、戦闘のプロ、マオカルが居る。君一人では無理だ。」
「マァクに頼んで腕に覚えのあるやつを貸してもらう。兎に角、イェトはだめだ。」俺は持ち前の頑固さを発揮させて、ジェジーの理屈さえ突っぱねた。
「この石頭っ!イェトの気持ち、全然わかってない。」オウフが今にも泣きだしそうな顔で訴える。
「ニカイー、冷静になれ。マオカルの相手は他の誰かができるかもしれない。しかし、化け物の相手ができるのはイェトだけだ。」
ああ、そうだな。理屈ではジェジーの言う通りだ。しかしな、理屈じゃないんだわ。
「俺の答えはノー。話は以上。」
俺が逃げる様にチャンネルを切り替えようとすると、チョリソーとオウフが俺の腕に絡みついてきた。
「うんて言うまで、地獄の底にだってついて行ってやるんだからっ。」
「イェトの強さを信じてあげてっ。」
イェトの願いをかなえてあげたい。そういう二人の気持ちが、優しさが伝わってくる。
俺に、この友達思いの銀髪の美少女を突き飛ばすことができるだろうか?
ふと、俺の強情に隙が生じた。
ここで、ジェジーの奴が俺の目の前にツカツカと自身の知性を前面に押し出す風体で迫って来た。やばい、今、こいつに理屈をぶつけられたら、俺は頭を縦にふらざるを得ないだろう。そうしたくない。逃げないと。しかしセンシェン ガベジの二人を突き飛ばすなんて、やはり出来ない。俺はジェジーから目を背けた。
ジェジーは俺をまっすぐと見ている。
「僕はイェトのことばかりではなく、コンスースのことも考えて、彼女の力が必要だと言っているんだ。僕だって男だ、彼女の代りに僕が戦うって言いたいよ。技術屋のコンスースにはそれができた。うらやましいよ。僕には知識しかない。安全な場所でブラックリストの管理をしている。ひ弱な存在だ。僕は最前線で戦える君が妬ましいし、嫉妬している。君とイェトがイェトとコンスースを助けるんだ。」
なんてぇ口がうまい。
わずかな瞬間に、どうやったらそれほど長く、説得力のある言葉を紡ぎだせるんだ?
「俺はいい友人を持った。そう言ってくれる人間が俺には必要だ。つまり…」
馬鹿の俺が、いかなる方法で喧嘩をしても、最終的に言葉には勝てない。
人間は思いを実現する完璧な武器を既に、太古の昔から手に入れていたのではなかろうか?
「…わかった。」俺は、そう、言わされていた。
”話は聞いた。”
いつの間にか標準出力にされている。頭の中にテキストデータが流れ込んできた。
いつの間にかチョリソーと俺の間に割り込む形で、プライマリが俺の体側にしがみつき、頭を脇の下にぐりぐりと押し当てている。
”ボディーを残しておいたのが功を奏したな。フォアグラウンドへのポップアップは一瞬で終わるぞ。”
「本当か?」
”バックグラウンドへプッシュした時のチェックポイントが残っている。これをロールバックするだけだ。”
そのテキストデータを読み終わった数秒後、「人類の言葉で頼む。」と言う暇さえなく、イェトの抜け殻がピクリと動いた。
「え?え?」
イェトを背負っていたチョリソーが右に左に後ろを確認しようと無駄に振り返って驚いている。
オウフが専用端末を放り投げてイェトに抱き着いた。
ジェジーが俺の背中をバンと叩く。
お前にせかされなくても…
チョリソーがまるで国宝の陶磁器でも取り扱うように大事に、背中からイェトを下ろした。
知らぬ間にお互いの足は前へと動いており、目と鼻の先にイェトの顔がある。
「もっと寝ていたかったのに、アンタがあんまりだらしないから、布団から出てきてやったわ。」
間違いなく、イェトが言う台詞だ。
「フン。病み上がりが、戦えるのか?」
「当たり前じゃない。」
間違いなく、イェトが返すこたえだ。
「きっと、調子に乗って躓いてすっころぶ。なぁ?へっぽこバレリーナ。」
「アンタなんかあほ面さらして、あっという間にぼろ雑巾。そうでしょう?間抜けなパン屋さん。」
ああ、イェトだ。これは間違いなくイェトだ。
俺は彼女に抱き付き、力強く抱きしめた。
しかし、彼女はこうしている間にもお花畑の化け物になってしまうし、コンスースもチャケンダに何をされているかわからない。
そう考えると全身の力は抜けて、彼女の身体に沿ってずり落ちる。
イェトに抱きとめられて、彼女の腕の中で目を腫らして泣いた。
「ニカイー、しっかりして。私には時間が無いの。」
「ああ、判っているさ。俺は大事な者ができて泣き虫になった。しかし、弱くなったつもりはない。」
イェトはプライマリから札の束を受け取り、何時もの様にパンツの背中側に挟み込んだ。
俺とイェトとプライマリ。ガーウィスの店にチャンネルを切り替えた。
「ガーーーウィーース!」
「なんじゃい?」
彼は例によって発明品の山の奥にいる。
「あの機械は完成しているか?」
「あの機械?」
「1か月前にチャケンダに壊された、人を探す機械だ。」
「それなら、今完成したところだ。」
ガーウィスの作業台に、あの顕微鏡を二つ並べた様な機械が置いてあった。
俺は発明品の山を飛び越えて、彼の処に行き「借りるぞ」と言ってその機械を手にした。
「出来たばかりだ。テストをしていない。危険だ。」
「お前の発明品は、テストをしていても危険だ。」
テーブルの上の仕掛中の発明品の山を蹴り飛ばして場所を作り機械を設置。
俺はその機械のスコープに目を当てた。
俺のパン屋。
ジェジーはコンスース捜索の打ち合わせのため、マァクの教会へと向かった。
残っているのはセンシェン ガベジの二人だけ。
イェトの復帰を喜ぶチョリソーとオウフ。
可愛らしくハイタッチをした後、二人はスパイタの世界へ向かわんとしていた。
根拠の塔のリハーサルに参加するためだ。
二人で手をつなぎ、チャンネルを切り替える手続きを始めたその瞬間。
仮面の男が店に入ってきて後ろから二人に抱き付いた。
その男はチャンネルを切り替える手続きの最終段階にあった。
従って、3人の行き先は仮面の男の決定が採用された。
到着した世界はお花畑。俺とイェトが倒した化け物のうちの一体の世界だ。
小さなウツボカズラの花が虚無の地平線に整然と並び、遠くにROM化された化け物の姿が見える。
二人はお面で顔を隠した怪しい男3人に取り囲まれた。
「嫌な雰囲気ね。」
「おめでとう、大正解。その通りだ。」怪しい男の中の最も背が低い少年が手を叩く。
「あなたたち、誰?」
「チャケンダの信者さ。」
「つまり…化け物の宗教的詐欺の被害者?」
「うまいことを言う。」怪しい男たちは二人を小ばかにして笑う。
「私たちに何の御用事かしら?」
「なぁに、しばらく人目につかないどこかに、閉じ込められていて欲しいだけさ。」
「しばらくって、いつまで?」
「ふむ。根拠の塔はいつだったかな?」
「一週間後よ。」
「では一週間と一日後に解放しよう。」
「最悪。私たち、つまらない連中にからまれてる。」
「つまらない連中じゃないっ!」
少年が突然怒り出した。
「それが証拠に、我々のプランは今、順調に進んでいる。我々は有能だ。」
「いやだわオウフ。こいつらつまらないうえに、もてなさそうよ。」
「ガキ臭い雰囲気が気持ち悪くて、触られたくないんデスケドー~。」
「その生意気を言う口をふさいで、泣きっ面に変えてやる。行けっ!!」
3人の男のうち体格の良い2人が、チョリソーとオウフに襲い掛かった。




