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お花畑  作者: イカニスト
3/11

接点

題名「お花畑」

第一章「根拠の塔編」

第三話「接点」


人類が上部マントルの資源利用に成功した。

マントルの熱を利用した発電、マグネシウムや鉄などの抽出により、エネルギー問題や資源問題の多くを解決できた。

世界中の海溝に各国が競うように採掘基地を建造した。

上部マントルは事実上半永久的に枯渇することのない、理想的な資源だった。

人類の栄華が約束されたまま、長い年月が経った。

そして遂にそれまでのツケを支払う時がやってきた。

無尽蔵の資源は無料の奉仕品ではなかったのである。

その対価はあろうことか地球の寿命。

大規模な地震に悩まされ、最終的に地球は徐々に太陽に引き寄せられていく。

最早地球に人類が住むことは不可能。

火星への脱出を試みるがあえなく失敗。

人類は滅亡までの日数を数えるだけの哀れな存在となった。

最後の日。人類には理解不能な高度な存在が地球にやってきて2310名だけを救済した。

その存在は2310名の人体の全機能を非活性化し、静的に保存した。

75年後、残された2310名を人類が居住可能な惑星に搬送する計画が、その「人類には理解できない存在」によって実行に移された。

511年かかる、人類にとっては途方もなく長い旅。

宇宙船とは異なる、瞬間移動とも異なる、宇宙のネックレスでもましてやUFOでもない未知の移動手段。

それは”オミタバ”と呼ばれていた。

旅に出た当初は、残された人類の全てが「非活性」と言う時間を止められたような状態にあったため、最後の日以降の記憶はない。

そのまま98年が経過する。

非活性状態にあった2310名は脳を含む一部の機能のみ活性化され、あるシステムに接続された。

”新しい惑星に到着したのち、残された2310名の人類はどう生きるべきか。”

人類を救済した存在は、それを人類自信に決めさせたかった。

そう、我々が今生活をしている仮想空間は、実のところ手の込んだ集団会議システムなのだ。

必要な知識は俺たちが活性化される前に与えられていた。

俺達は人類が2310名を残して絶滅したことを知っていた。

地球は熱地獄となり、もう生まれ故郷には戻れないことも知っていた。

我々が宇宙空間を移動し、他の惑星に向かっていることも知っていた。

活性化され目覚めた自分が居る場所が、仮想世界だという事も知っていた。

だからおのおの自分の世界を想像出来たし、この世界での自分の姿も想像できた。

その手続きを知っていた。

仮想空間で何を成すべきかも知っていた。

しかし、解らない事も多々ある。

先ずは最後の日に我々2310名を救った存在のこと。俺に言わせればむしろこの2310という数字が判らない。救い出せたのがたまたま2310名だけだったのか、何らかの理由があって2310なのか。

次に今向かっている惑星の名前。どのような惑星なのか?その概要は知らされているのだが、なぜか名前は伏せられている。その後、誰が言い出したのか”惑星トクァ”という呼称が定着した。

後は…そう、どうやって宇宙空間を移動しているのか?これも解らない。

まだある。人類の想像でできたこの小さな世界と、それを実現させたシステム。

そして、俺的に一番理解不能なのが、ピンクのパンジャビドレスを着た小柄な少女。接点だ。

仮想世界が生まれて7~8年が経過し、皆がこの特殊な空間での生活に慣れてきたころ、彼女はひょっこりと現れた。

初めて彼女が俺の店に来た時は、変わった娘だと取扱いに困った。

何しろ店に入るなりパンが並んでいる棚ではなく、カウンターに来てこの俺の顔をじいっと眺め続けるのだ。

見られる方はたまったものではない。

俺も気にしてチラチラ彼女の方を見るのだが、顔全体をベールで覆っているため表情が読めない。

すると実は俺の方を見ているのかさえ怪しいわけだが、レーザービームの様な熱い視線は疑い無く感じる。どうにもいたたまれない訳である。

俺は何時もの様に椅子に深く沈んで動画を阿呆のような顔で眺めていた。

動画はセンシェン ガベジの二人が登場し丁度面白くなってきたところなのだが、彼女の視線が気になって集中できない。

この地味にプレッシャーを感じる膠着状態を打破するために、いい加減にこっちから声をかけようかと思ったその時、彼女はその小さな手で俺の襟首を掴んで、店の奥の部屋に連行して行く。

動画はセンシェン ガベジの歌が終わり、いよいよトークを始めようというところ。動画は後からでも見れるわけだが、カウチポテト族も俺くらいの本格派となると本命の番組は最速で視聴したいわけである。

「何のまねだ。」

彼女からの返事はない。

「お前、誰だ。」

彼女からの返事はない。

「俺は動画が見たいんだ。」

彼女からの返事はない。

「センシェン ガベジが出ているんだ。見たいんだよ。おい、聞いているか?」

彼女からの返事はない。

一階の奥の材料庫に入り、やっと俺の襟首を彼女の小さな手から解放し、俺の方へ向き直るなり、顔を覆っていたベールを脱いだ。

歳は14、15といった処の少女だった。

「この顔をよく覚えておけ。」

それが彼女の第一声だった。

彼女がプライマリなのかセカンダリなのかは分からない。

この時はまだ二人を見分けるための顎のほくろがなかったし、何よりも、見た目も声も性格まで全く同一のもう一人がいるなんて事実は、俺の考えの端っこにだって有りはしなかった。

「ニカイー。お前は保全機能との仲介役に選ばれた。」

「保全機能ぉ?」

「お前たち2310名を助けた存在だ。その存在の全てをお前たちが理解するのは不可能。だからお前たちが理解可能な特徴の中から、特にお前たちにかかわり深い言葉を選んだ。解り難かったか?」

有限実装、有限幻界、移動手段、ROM化、CHMODあたりの用語はみな、彼女の言葉がそのまま事実上の標準になったものだ。

彼女たちは、俺の脇の下に執着するという特殊な性癖を除けば極めて合理的に思考し、そのネーミングセンスには洒落っ気や愛が全く感じられない。

分かりやすい、分かり難い以前に、固有名詞という気がしない。

「いや、耳慣れなかっただけで、説明されれば、そうかもなって思う。」

少女はつむじが見えそうになるほど項垂れて、がっかりしたため息をつき、「途方にくれるほど曖昧で、呆れるほどいいかげん。これが人類の言葉だ。」と、小さく吐き捨てた。

な、なんだ?いましがたの俺の言動に不満があるっていうのか?

「俺に不満があるなら、仲介役とやらは他をあたれ。俺もその方が願ったりかなったりだ。如何にも面倒そうではないか。」

少女はかぶりを振った。

「そうしたいのはやまやまだが、お前に96.7%という適応率が出てしまった。95%を超える適合者が現れた時点で、私の仲介役探しは終了だ。そういう要件なのだ。」

「適応率?」

「我々が想定した理想の仲介役の人物像とどれだけ合致するかを評価しているのだ。」

「因みにどんな人物像を想定した?言ってみろよ、間違っているかも。」

「8千項目を超えるが?」

そんな量を評価していたのか。それであんな長時間、俺に熱い視線を送っていたのか。

「かいつまんでは説明できないのか?」

「そうだな、かいつまんで言うなら…他人に無関心で、」

「おう。」あっている。他人のことなんて知ったことではないわ。

「頑固で、」

「まぁな。」正しい。俺は頑固者だ。

「偏屈で、」

「はいはい。」否定はしない。少なくとも俺は素直ではない。

「そして…人を魅了しない。」

「じゃあ、俺、選ばれるわ。何故そんなバカげた条件にした。異議を唱える。」

「我々は人類という種に、可能な限り影響を与えず、そのままの状態で保全したいのだ。」

その一言であらかた察してしまったわい。俺の深いため息。

「要約すると、俺なら余計なことはしないし、」

「ああ。」

「誰かが余計なことを企んでも受け付けないし、」

「うむ、」

「特権を与えても、大衆に祭り上げられることがない。」

「その通りだ。」

俺は毒にも薬にもならないのパーフェクトバージョンなのか?

よく考えなくても何一つ褒められていないではないかい。

そんなものが理想の仲介役の人物像であっていいものか。

再び、俺の深いため息。

すげーぜ。1ミリもやる気が起こらない。

「まいったな、完全にお断りだ。動画見たいから戻るぞ。」

「会ってみて初めて分かったが、実のところ、私もお前が嫌いだ。」

なかなかどうして言ってくれる。プログラムで動く機械人形の類ではないらしい。

俺はたっぷりと皮肉を込めて手をたたいた。

「ブラボー。意見があったな。では問題なしだ。サヨナラ。」

「ああ、問題はない。お前を仲介役に任命する。私たちの仲が悪くても仕事の成果に影響はない。何故ならそこには何の因果関係もないからだ。もし、その因果関係に言及した人類の論文が存在するなら提出を。」

俺はこうして、半ば強制的に保全機能との仲介役に任命された。

「そうそう、蛇足だがお前がどちらの派閥にも所属していないことも都合がいいのだ。早速、仲介役としての最初の任務だが──」

残された2310名の人類は今、ホトプテンをリーダーとする回帰派とツワルジニをリーダーとする進化派に分かれている。

実のところ他にも別な理想を唱える者はいるのだが、無視できるほどの規模なので、このお話でも後に現れる楽園派を除き、基本バッサリ無視する。

俺の最初の仕事は両派閥に”接点という存在について説明する”ことと”俺が仲介役に選ばれたことを伝える”こと、らしい。

取り敢えず、両派閥の公式トトクーリエアカウントにライブ映像を送ることにした。

トトクーリエとは電子メールの後継機能だ。

テキストだろうが静止画だろうが音声だろうが動画だろうが、兎に角なんでもそのまま送れる。

送られたデータは受信者が設定したルールに従い分類され、優先度が付けられる。いや、何も設定していなくても勝手に学習しながら分類とかする。いやいや、今やデフォルトでかなりのルールが初めから設定されている。そのルールが強力でボットやスパムの類にはすべからく最低の優先度が与えられ、切り捨ててしまえる。

ちょっと俺では専門的なところが説明しきれないが、そこはご容赦願いたい。

トトクーリエは優先度の高さによっては受信者に通知がいく。

ルールもどんなデータでもよく、それがテキストからEUカムデータまでシームレスに適応される。例えば動画を検索キーワードの代りにしてテキストの全文検索ができる。言葉にできない曖昧な感情や五感の情報もデータとして通用する。

EUカムデータははるか昔、EU各国が監視カメラを設置するときに決めた、位置情報と日時データが付随した3D動画形式で、音声も2つのマイクで拾っている。

法的に証拠能力があるとされる、当時としては破格に高解像度の動画で、モニタの隅に米粒ほどの大きさでも映っていれば延々と拡大して証拠に使える。

画面で100倍くらい拡大しても解像度が落ちないほど高精細で、真っ暗闇の映像も明るさを補正すれば十分判別できるほど1ピクセルあたりのデータ量も多い。

データフォーマットがオープンだったため、後年一般的に広く利用されるようになった。

トトクーリエはストレージ容量に限りがあったり、ネットワークの速度が致命的に遅かった情報インフラの原始時代には成立しえなかった仕様だ。

ネットワークのパフォーマンスが全人類を許容するようになって、例えばニュースなどで太古の昔に聞かれたDoS攻撃あたりが無意味になった。

おお、話がだいぶそれてしまった。では、俺が回帰派と進化派にライブ映像を送るところから。

自分の視覚情報を左右反転して用いるので鏡の前に立つ。

「あー。俺はパン屋のニカイーだ…誰も知らないとは思うが。その…なんだ?全く急がないが、話がしたい。俺は保全機能ってやつの仲介者にされてしまったんだ。保全機能。まだ言っている俺自身が慣れないな。俺たち2310名を助けてくれた存在のことらしい。接点がそう言っていた。ああ…接点というのは…うむ、何かもどかしいな。その辺をまるっきり説明してしまいたいんだ。話はそれだけだ。本当に急がない。接点は俺に説明しろとは言ったが、期限については何も言っていない。だから、いいんだ何時でも。じゃあな。」

俺は録画を終了した後、本当にこれで伝わったのだろうかと、しばし口を半開きにした状態でぼーっとしていた。

ライブで送ったので、もう、今やどうしようもなくて、考えるのは無駄なのだが。

トトクーリエは電子メールと異なり誤送信対策のため、送信及びコピーされた全データを後から追っかけてすべからく誤送信のお詫び通知に置き換える機能がある。だが、もうすでに動画を見られてしまった場合、人の記憶までは消せない。

俺のトトクーリエアカウントから通知が来た──”ツワルジニからの返信、ビデオ通話です。”

トトクーリエはどんなデータでも送信できる。それが音声電話でも、ビデオ通話でもだ。

「後でいいって言ったのに。」

ツワルジニって進化派の代表じゃぁないか。

俺はまだ、各派閥の代表と話をする覚悟なんて出来てはいないぞ。

それでも、出ないわけにはいかない。

『貴様がパン屋のニカイーか?』

「ああ。」

『動画を見た。もし嘘ならただでは済まさんぞ。』

「本当に、嘘ならいいのに。」

『いいだろう。実のところ私が設定したルールを通過してきた時点で、貴様の動画の信ぴょう性は高い。』

ツワルジニの面倒くさい口上はこれが延々と続くのだが、書くのがめんどくさい以前に忘れてしまったので省かせて頂く。本当にめんどくさい男だ。

俺が接点の説明をやっとはじめられたところから。

「接点と言う奴が居て、それが保全機能の代理人らしい。代行者かな?」

『”らしい”とはどういう言い草だ。全くはっきりとしない。』

「俺にも良く判っていないんだ。」

『男なのか?女なのか?』

「女。」

『接点と言ったがそれが本名なのか?』

「んー?そうなんじゃないかな。」

『接点の役目はなんだ?』

「俺に罰ゲームをさせることだ。たぶん。」

『接点と直接話がしたい。』

「それが出来ないから仲介者である俺が居る。」

『お前では話にならないではないか。』

「その通り。やった!話が通じた。」

『お前は何を説明できるのだ?何のため私に話を持ちかけた?』

「俺は最低限の情報しか持っていない。例え拷問にあったって、何も出てこない。そういう役割なんだ。判ってくれよ。」

『もういい、十分だ。保全機能との窓口としての貴様の重要性は理解した。しかし今後、私が貴様ごとき雑魚と直接話をすることはないだろう。』

「ああ、そうかい。是非そうしてくれ。疲れる。」

通話はツワルジニの方から何の前触れもなく切断された。

待ってくれよ。まだ言わなければいけないことが残っているんだ。

切断された直後、奴のアカウントに「接点はこの世界でも特別、アンタッチャブルな存在だ。むしろこの世界に存在しないものとして取り扱ってくれ。それだけは頼んだぜ。」という音声データを送った。

俺は失礼な男で、それは俺が学の無いろくでなしだからだと思っていた。

だが違うな。派閥の代表を務める様な立派な男でも、たいがいに失礼だ。

また通知が来ている。今度は回帰派のホトプテンからだ。こちらは音声データだった。

多分俺がツワルジニと長々と話し込んでいたので留守電の要領でメッセージを残したのだろう。

先にツワルジニにやっつけられていたので、どうしても音声データを聞く前に構えてしまう。

『やあ。俺は回帰派のホトプテンだ。動画を見たよ。無視できない内容だね、話をしたいのだがいつ頃が都合いいだろうか?できれば明日の午前中が有難いのだが。場所はすまないがマァクの教会を指定させてくれ。あと、君が仲介役に選ばれたことは、出来れば秘密にしておいた方がいい。以上だ。連絡を待っているよ。』

なんたる好印象。声色も実に紳士的で、棘のある声で喧嘩を売るように話すツワルジニとは全く違う。

こちらは話がしやすそうだ。早速翌朝10時で会う約束をした。

傘を持ってくるようにと言われたが、俺は少々雨にぬれても気にしないので何も持たずに出かけた。

マァクの有限幻界。俺は、落ち葉を踏みしめて霧のような雨の中を教会へと走る。

この頃の彼女の教会はまだ背後の二つの塔の頂上は双方とも釣り鐘がぶら下がっていた。

中に入ると数名が祈りを捧げている。

さて、誰がホトプテンだろうか?

昨日ホトプテンとは音声データだけでやり取りをしたので顔が解らない。そのことに今更気が付いた。

取り敢えずホトプテンに「今、教会に入った」旨伝えるか。

その時、背後から「やぁ、ニカイー君。時間通りだね。」と声をかけられた。

振り返ると、修道服姿の男女が立っていた。ホトプテンとマァクだ。この時はまだ二人は恋人どうしで四六時中一緒にいた。

二人を見た俺は「えー、その。今日はよろしくお願いします。」思わずお辞儀をしてしまった。

ホトプテンは自然体というか、体のどこにも力が入っていないのに、雰囲気が堂々としているのだ。男の俺が惚れてしまいそうな、あふれ出るカリスマ性。

その存在の前に、矮小な一人の凡人であるこの俺の魂は、彼の素晴らしきを称え敬服してしまわざるを得なかったのだ。

「ハハハ。堅苦しいことは抜きにしようよ。動画を見たときは、君はもっとざっくばらんなタイプだと思ったが、違ったかい?」

くそう。この男、笑顔がいかすタイプか。

その時点で俺は、いっそホトプテンを兄貴と呼んでしまおうかと考えていた。

マァクは一人、俺の気持ちを察してくすくすと笑っている。

俺は馬鹿だから何でもすぐに顔に出る。

この時のマァクはまだ、ホトプテンの一歩後ろに引いた立ち位置で、何においても彼をたて、彼女が前面に出ることはまずなかった。

それにつけてもマァクは美しい。誰もが彼女の美しさに見とれて、視線はくぎ付けになってしまう。

俺は大きな暖炉が印象的な部屋に通された。壁の煉瓦が珍しくて、つい手で触って感触を確かめてしまった。

「この部屋は気に入ったかい?」

「ああ、趣味のいい部屋だ。」

「うふふ、ありがとう。」

マァクが紅茶を持って来てくれた。これがまた旨い。

「この紅茶、どこで手に入れたんですか?うちの店でも出したいな。」

「気に入ってくれてうれしいわ。後でお店の物理アドレスを送っておくわ。」


「ちょっとまった。」

俺としてはいい感じに昔話を語っていたのだが、聞き手であるコンスースの物言いがついた。

「チャケンダの話はどうしたんだ?話し始めてから延々と脱線しっぱなしで、チャケンダのチの字も出てこない。」

「この流れで奴が一回登場するんだよ。」

「じゃあ、そこだけ切り出して話してくれないかな?」

「分かったよ。」


保全機能の仲介者として初めての仕事をやり遂げた俺は、今か今かと接点が来るのを待っていた。

そして、接点が店のドアをくぐるやいなや、俺は彼女の手を引いて材料庫へと向かった。

「おい接点。俺は回帰派に入ったぞ。」

ホトプテンに惚れ込んだ俺は、別な思惑もあって登録手続きを済ませたのだ。

この世界は人類の今後について人類自信が決断をするためにある。現在、それについて具体的な案を提示し、なおかつ多数の支持を集めているのはホトプテン派とツワルジニ派だけだ。

始めは雨後の筍の様に様々な派閥が乱立したが、結局大多数に支持されたのはこの二つの派閥で、他の多くは自主的に消えていった。それでも細々と活動を続けている根性の者も無論存在する。

そして、ホトプテン派は回帰派、ツワルジニ派は進化派とそれぞれ呼ばれるようになり、組織だった活動を行うため、そして具体的な支持率を把握するため、両者合意の上で登録制度ができた。

俺は接点が以前、俺が無所属なのをもって都合がいいといった。だから俺は仲介役の選定条件に”無所属であること”というのがきっとあって、回帰派に所属をすればお役御免になれるだろうと考えたのだ。それがつまり、先に述べた別な思惑だ。

「そうか。」

接点の返事はたった一言だった。それで終わりで、それ以上は何もなかった。

「おい。”無所属の方が都合がいい”って言ったよな?」

「ああ、親切心でな。今後は進化派との仲介で神経を使うことになる。だが、うまくやってくれ。」

接点は俺の肩にぽんと手を置いてそう言うと、その場でチャンネルを変えて俺の世界から消えてしまった。

呆然と立ち尽くす俺。

ここで有限幻界のチャンネルを切り替える仕組みについて説明をしたい。

例えば俺が世界Aから世界Bへチャンネルを切り替えるとする。この時俺はAからいなくなりBに現れる。Aからはどの場所からでもいなくなれるが、Bは現れる場所を選べない。Bに既にあるモノやヒトと競合しない様、Bは俺からのエントリー要求を受けた後、俺にエントリーポイントを払い出し、俺は世界Bの適切な場所、つまりはエントリーポイントに現れるのだ。

実は直接AからBに直接行けずCを経由しなければならない場合があるとか、物理アドレスの使用等、細かいルールやtipsがあるのだが、それはまた今度説明したい。何故チャンネルなどと言うのかも含めて。

兎に角チャンネルの切り替えにはその様な仕様があるため、奴も俺の店にはごく普通に店のドアをくぐって表れた。

奴を始めて見たとき、特別な印象は受けなかった。しかし、奴の話は特別だった。

「君は我々を救った存在と対話ができるようだが、事実かい?」

その情報は慎重に管理されている筈だった。それはホトプテンがツワルジニと話をつけると言っていた。ホトプテンは信用できる男だ。

だから俺はホトプテンやツワルジニから情報が漏れたとは考えにくい。

それに、もしそうなら、その青髪の男は保全機能という単語を知って居ていい筈だ。だが彼は”我々を救った存在”と言った。

その男は特別で謎を有している。

「何者だ?」

「僕の名はチャケンダ。システムエンジニアだ。」

「そうか。ではお前の質問の答えはノーだ。」

チャケンダは失笑をした後、俺はそれを何とも思っていなかったのだが、まるで俺が怒り出すのを先んじて制するように両手を上げて、軽く頭を下げた。

「笑ったことは謝る。だが、君は嘘が下手だね。正しい答えはYESだ。」

「知ったことか。俺の返事はノーだ。」

「僕は第3勢力になりえる派閥を立ち上げるかもしれない。その時はYESと言ってくれるか?ホトプテンとツワルジニにはYESと言った筈だ。」


「その話は本当かい?」

コンスースが両目を見開いて俺の話を止めた。

「チャケンダは、回帰派や進化派とは異なる別な人類の未来を頭に描いていたって言うのかい?」

俺はうーんと唸ってしまう。

「そういうことに…なるのかなぁ?いや、考えたこともなかった。」

「そんな男がなんでお花畑の化け物なんかになってしまうんだい?」

「知らないよ。」

「ああ、そうだな…そうだった…君はそれでいいよ。悪かった。話を続けてくれ。」


俺はそのときチャケンダに「さぁな。」と言ってしらを切った。

「僕がどうやって君のことを知ったか、興味はないかい。」

「全然。」本当に興味がなかった。ただ、俺のこういういい加減な性格も含めて、仲介役に選ばれてしまったんだろうなとぼんやり考えた。

「僕はこの世界で目覚めて以来ずっと、この世界を実現している高度なシステムの脆弱性を調べている。」

「脆弱性を調べているだって?なにがシステムエンジニアだ。このハッカーめが。どんな悪さをするつもりだ?通報するぞ。」

「君は通報しないよ。まだね。僕の世界の物理アドレスを置いていく。もし僕に協力する気になったら、いつでも来てくれ。」

「俺はお前が何をしたいのか何も聞いていない。どうやって協力する気になれというんだ?」

「先ずは僕を信じるんだ。僕の考えは、僕を信じたもの以外には受け入れることができない。」

「難解なのか?」

「いや、びっくりするほど単純だ。十秒で説明できるよ。」

その言葉を最後に、青髪の青年チャケンダはチャンネルを切り替えて俺の世界からいなくなった。

それから何十年もたって、俺はチャケンダのことなんてすっかり忘れて、毎日動画を見て楽しんでいた。その間奴は一回も俺の店に来なかった。


「君を必要としなくなったという解釈は?」コンスースが人差し指を立てて俺に尋ねて来た。

「ああ、かもな。」

「奴が有限実装の脆弱性を調べていたというのは重要な情報だね。」

「そうなのか?」

「奴は君に何をさせようとしていたのだろう?」

「解らん。」

「すまない。ああ分かってる。独り言だよ。自分で考えている。」

そんな風に言われると、ちょっと腹が立つな。俺だってごくまれにだが、深く考え事をするんだぜ。

「ニカイー、続きを聞かせてくれるかな?」


では32年前のあの事件のはなしだ。

この先はコンスースも知って居る情報が多いと思う。

保全機能によって管理された、人類にとってこれ以上なく安全で、何事も起こりえないこのかりそめの世界に、突然、一体の化け物が現れた。

何千匹もの線虫が塊になり、蠢いて、共食いしあっている。世にも醜いその姿。

始めは俺も接点さえも、そんな化け物が現れたなんて知りはしなかった。

その時は接点プライマリが俺の店にやってきていた。この頃は俺も接点が実は二人いると知っていたし、二人を見分けるためのほくろも付けてもらっていた。

彼女は「有限実装のシステムに不正行為が行われている。」と、ハッカーの存在には勘付いていたが、化け物の存在には気付いていなかったのだ。

そのとき、回帰派副代表のマァクと進化派副代表のトポルコフからほぼ同時に動画が送られてきた。

両方の動画には同じ化け物の映像が記録されていた。動画はEUカムデータで物理アドレスも添付されていたので、日時も場所も完全に特定できる。

その動画の時刻からまだ10分もたっていない。行くなら今すぐだ。

不思議と化け物に対する恐怖はなかった。むしろ何とかしなければいけないという使命感が強かった。俺のような甲斐性無しが全くどういった風の吹き回しか。

俺はマァクとトポルコフに「接点と共に現場に向かう。」と音声データを返信し、プライマリと手をつないで、動画が示す世界へとチャンネルを切り替えた。

ここで接点に顎にほくろがつくようになったいきさつを説明したい。

同期処理などと称してたまに俺とプライマリ、そしてセカンダリの3人が集まることがあったのだが、プライマリとセカンダリが姿も声も性格も全く同一なので、話をするときに俺はややこしくてたまらなかった。

そこで俺は二人に、見分けがつくようにして欲しい、接点以外の二人別々の名前を決めて欲しいとお願いをしたのだ。

「見分けか…いいだろう。どうすれば見分けやすい。」

「そうだな、話すときは顔を見るから顔の違いがいいな。例えば顎のほくろの位置が右か左か、とか、そういう簡単なのでいい。」

「了解した。では名前の方はどうする。」

「自分の名なのだから、自分で決めてくれよ。」

「ではほくろが向かって右の方がプライマリ、左がセカンダリにしよう。」

「そんな適当な名前でいいのか?もう一人は了承しているのか?」

「人類の”名前”という様式には何のこだわりもない。それに、その呼び方を知って居るのは2310人の中でお前ひとりだけだ。」

美少女に”お前だけは特別だ。”みたいな言われ方すると、かなり色っぽいと思った。俺のバカヤロウ。ちょろすぎる。

さて話を戻して、俺とプライマリがたどり着いたのはインバリンという男の有限幻界。

その世界は広大な陸上競技場で、外周は4.3kmのサイクリング/ジョギングコースになっている。

朝7:02。いつもなら仕事前にひと汗かこうという人でいっぱいの筈だ。

それがどうだ。化け物に怯えて逃げたのだろう、人っ子一人いない。

俺達はトレーニングジムの建物の方へと走る。

遠目におぞましい化け物の姿が見て取れた。

2体。

「増えてんじゃねーか。」

EUカムデータに映っていた化け物は確かに一体だけだった。

そして、

「なんだ!なんだぁ!!」

広大な陸上競技場が虚無の空間となり、その地平線は瞬く間にスイートピーの花で埋め尽くされていった。

インバリンの有限幻界は一面のお花畑になってしまった。

気がつけば化け物の数は一体に減っている。EUカムデータに映っていた、あの線虫の塊の方が居なくなっている。

「くっそ、逃がしたか。いや、いなくなってくれた方がいいのか?」

「問題は何処へ行ったかだ。」

「俺たち人類の様にチャンネルを切り替えて他の世界に移動したっていうのか?化け物がか?」

「分からないがあれだけ目立つ化け物だ。どこかの世界にまだ居るならすぐ見つかる。両派閥に協力要請を。」

プライマリは周囲に誰もいないので、ベールを脱いでいる。

「化け物は二体に増えた。そのうち一体を逃がした。あの線虫のやつだ。まだ、どこかの世界に居るかもしれない。見つけたらすぐに教えてくれ。」俺はマァクとトポルコフに音声データを送った。

さて、目の前には身長3mのゾンビがいる。

全身ヘドロでじっとりとしており、そこかしこに分厚いカビのコロニーができている。

「いくら化け物って言ってもさ。もうちょっとデザインどうにかならんかったのか?」

正直、気色悪くって触りたくない。

こんなものをどう扱っていいかわからないが、取り敢えず俺とプライマリで化け物を挟むように立った。

これだけ接近しておけば、もし化け物がチャンネルを切り替えようとしても、接触して阻止もしくは追跡できる。いや、触りたくないけどさ。万が一の時は何処を触ったらいいものか。

「で、どうするよ。コレ。」俺はプライマリに尋ねた。

「今、考えてる。」

不気味な巨体を前にして、俺達には余裕があった。

むしろ余裕がないのは化け物の方。

化け物は俺達におびえているように見えた。

「あ。」

不意に、化け物が俺を突き飛ばした。

それほど強い力ではなく俺は2~3歩退いた程度なのだが、俺の胸周りの肉は化け物の手の形にすっかり失われ、肋骨もグズグズと崩れていった。

「くっ!」

俺は次の瞬間、苦痛に片膝をついていた。

「どうした。」

プライマリは俺を気遣うというよりは状況を把握するために、そう質問をした。そういう冷たい声だった。

「分からないが、何らかの精神的な攻撃だ。ちょいきついな。俺、もう寝ていてもいいか?」

「馬鹿が。早く治して私のフォローをしろ。」

「本当にお前は可愛くない。」

俺は持ち前の強靭な精神力で失われた胸部を修復した。この頃はまだ3倍速ではない。

化け物はそんな俺を見て、明らかに動揺をしていた。

俺は化け物が人間が変化した姿だとは知らなかったので、化け物は自分の攻撃が俺に通用しなかったことに動揺しているのだと思った。


「化け物は実は、お前がお花畑化しなかったことに、驚いていたんだな。」

「ああ、俺も後になって、そう考えた。」

「やはりお花畑の化け物は元来好戦的ではない。しかし、チャケンダは人を襲い、ニカイーを目の敵にする。なぁ、ニカイー…」

「なんだ。」

「君はいったい何者なんだ?」

「何者もクソもただの出不精のパン屋だ。話を続けるぞ。」


化け物が逃亡をするためチャンネルを切り替え始めた。

「やはりチャンネルを切り替えることができるのか。」

プライマリが飛び蹴りを食らわせ、これを阻止する。

カビが舞い散り、俺がせき込む。

「くっそ!勘弁してくれよ!」

「全く、お前は役に立たないな。」

いつの間にかセカンダリが俺の隣に立っていた。

接点共はだいたい神出鬼没だ。忍者の子孫ではあるまいな?

「カビだらけで逃げ腰のゾンビだぞ!こんなかっこ悪い化け物は見たことが無い。この世界にはもっと気の利いた敵キャラはいないの…うぇっ!ゲホッ!ゲホッ!」

またカビが飛んできた。

「お前こそかっこ悪い愚痴ではなく、気の利いたアイディアは言えないのか?」

「こんな時になんだが、同期処理以外で俺達3人がそろうのって初めてだな。」

「我々接点は通常、二人同時に運用はしない。今回は例外だ。」

「何か策はあるのか?」

セカンダリは首を横に振る。

「ないのか!?何も!!」

「ああ。だから策を練る時間を作る。」

「どうするんだ?」

「この世界のために払い出されている仮想マシンの倫理スペックを…」

「人類の言葉で言ってくれ。」

「この世界の時間をほぼ止める。」

「つまり、俺たちの世界はスロー再生みたいになって、その間に保全機能が対策を考えるんだな?」

「本当は完全に停止できればいいのだが、君たち人類への措置に…」

「説明はいい。どうせ分からない。やるなら早くやってくれ。」

「実はもうやっている。そして対策は今提示された。」

「!?」

「プロセスが瞬断する。一瞬、視界がちらつくぞ。」

そんな軽くはなかったぞ。視界は真っ暗になり、音も聞こえない。上下の感覚がなくなりひどい耳鳴りがする。

しかし、瞬断と言うだけあってすぐに視界も音も回復した。

「ニカイー、仕事だ。」

どこから出したのか。セカンダリは先端に鈎爪がついた棒を3本、腕に抱えている。

そのうちの一本を俺に渡した。

そして、俺はその棒の名前も使い方も知っている。

俺はセカンダリをにらみつける。

「俺の頭をいじりやがったな?」

「安心しろ。人類に対する最小限の干渉だ。」

「俺に対しては多大なる干渉だ。」

「もじり術は自分で身につけろ。訓練された技は肉体が記憶する。今回は我々が二人でサポートをする。行け。」

化け物はプライマリに幾度となく蹴り飛ばされ、右往左往して困り果てている。

全く化け物の風上にも置けないだらしなさだ。

こんなものは手早く片付けてしまおう。

俺は化け物に向かって突進し、先端に鈎爪がついた棒、つまり袖搦そでがらみを振りかぶった。

「因みに、その化け物の正体は人類。残された2310名の一人だ。」

衝撃の事実を小学生が教科書を読むみたいに無責任にさらっと言うなぁーっ!

正体が人間だと思うと、化け物に袖搦を突き刺すことができない。

「早くしろ。」

「相手は人間なんだろ?」

「安心しろ。それを踏まえた対処を、これから行う。」

俺は恐る恐る腰が引けた状態で、袖搦の先っちょだけを化け物に突き刺した。

耳をつんざく化け物の悲鳴。

「おい!大丈夫なのか!?尋常ではない痛がりようだぞ!!」

「無論だ続けろ。」

カビだらけのゾンビが暴れるので、大量のカビが舞い散る。

俺は目を瞑り、鼻をつまんでふさぎ、息を止めた。

「はやぐしでぐで。」

袖搦の先端を一辺2mの星形にして化け物の体を貫き、その動きを完全に止めた。

俺は目を瞑っているので何にも見えない。

10秒くらいして「もういいぞ」と接点の声が聞こえた。

ゾンビの化け物は凍り付いたように動かない。

袖搦の先端を元の形に戻して引き抜いた。

「よくやった、パン屋。」

「この化け物に何をしたんだ?──あーっと、人類の言葉で言ってくれよ。」

「人類が化け物にどう対応するのか考える時間を作った。」

「なんだって?」

「我々は人類をその状態を少しも変えずに保全し、新しい惑星に送り届けたい。しかし、この化け物も人類の選択肢の一つかもしれないのだ。」

「分からん。どういうことだ?」

「その答えは人類が自力で見つけるのだ。我々から与えられたものでは意味がないのだ。」

全く理解できない。この手の仕事はマァクやトポルコフに任せよう。

「お前の仕事はまだ終わっていないぞ。」

「もう一体の化け物か?言っておくが俺はヒーローには向いていないぞ。」

マァクから線虫の化け物を発見したというデータが送られてきた。

よほど急いで送ったのだろう。

EUカムデータ、物理アドレス、音声データを型の無いオブジェクトでラップして、俺に投げて来た。

まぁいいさ。あんな気合の入らないなんちゃって化け物ならヒーローでなくてもどうにでもできる。

今度は取り逃がしてなるものか。

俺は袖搦を握りしめた。

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