★ 俺
1
「主任」
がやがやと五月蠅い安いチェーン店の居酒屋のすだれで仕切られた席は俺の部下で埋め尽くされている。
その中の一人、俺より五個下の神無月茜に呼ばれふかしていたいた煙草を指に挟んでから振り返れば彼女は縦にデカいメニューから半分顔を出していた。
「ん?」
顔を向けると同時に返事をすればだいぶ呑んでいるのか赤くした顔をへらっと歪めながらぽってりとした
唇を開ける。
普段より気合いを入れたらしい口紅はてらてらと揚げ物の油で光っている。
「ししゃも、食べません? ほっけの方がいいかな?」
知らず知らずため口になっている事にも気づかない彼女はそう俺に告げ、それに、あー、と小さく呟いてからやんわりと笑みを浮かべてやる。
「ほっけの方がいいんじゃないか? みんなで食べれるしな」
そう言ってやれば、はーい、と元気な返事をし店員を呼ぶボタンを長い爪がついた指で押している。
そのまましな垂れかかって来る彼女をかわすように体を少しずらせば、そのまま倒れる寸前で長い爪がついた掌を板間の床に押し付けた。
掘り炬燵になっている席でそれを避ければ隣の若手の男性社員に体が当たり、こちらも酔っぱらっているらしく俺を見てへらへらと笑う。
ああ、面倒だ。
悪いな、と呟きながら思うのはその一言に尽き、指に挟んだ煙草を口元へと運んだ。
飲み会というそれ自体は嫌いではない。
新年会や忘年会、夏になればビアガーデンだって構わない。
ただ、こう、突発的なそれは好かないのだ。
主任という肩書になった今そういう場が必要なのは分かっている。
俺が若い頃、散々そうやって上役に世話になったことを忘れたわけじゃない。
今日だって飲みに行こうと誘われ、断る理由はなかったんだ、表面上は。
無駄に元気な店員がホッケを運んでくる中、煙草の煙と一緒にため息を吐きスーツの上着のポケットに入れた電源が切れた携帯電話をそっと触る。
それが反応するはずがないのはよく分かっている。
店に入る直前にそっと電源を切ったのは俺だ。
そうする理由が俺にはあって、そうしないといけない理由があって、それはもし万が一この場に居る誰かに見られでもしたら都合が悪いから、だった。
「主任は結婚しないんですか」
ため息と一緒に吐いた煙の先に待っていたのは突然向かいに座る井上という俺より二個下の社員からで、彼の左手には真新しい銀色の指輪が光っている。
井上の言葉に各々好き勝手に話していた口を止め、俺を場の全員が見る。
その一瞬で張りつめた空気にずれていた眼鏡を左手の人差指でそっと上げてから、またやんわりと笑みを浮かべた。
「独身の方が、良いんだよ、俺は」
俺の言葉は場をドッと盛り上げ、野次が飛ぶ。
またまた、とか、嘘だ、とか。
「株式会社和田テクニカルの開発部主任が独身って、何、言ってんすか!」
井上がそう絶叫するように言い、周囲は笑いに包まれた。
それに苦笑いしながら、そりゃそうだと思う。
株式会社和田テクニカルとは俺の勤める会社の名前で、一部上場企業の中でもトップクラスに株価が高い。
そして、花形部門の主任を務めているのが、俺、和田誠で、和田テクニカルは親父の会社なんだ。