聖夜の日(5)
部屋の使用者である後藤飛鳥は教室にいるので、裕紀はスライド式のドアに手を掛けた。
「失礼します。一年の新田です」
言いながら教室に入ると、左手の棚の方向から声がした。
「お、来たか。すまないが、少しそこで待っていてくれ」
綺麗なテノール調の声でそう指示を受けた裕紀は、小さく頷きながら静かにドアを閉めた。
裕紀に待機を指示した黒いスーツを見事に着こなした女性教員は、ただいま絶賛資料の整理中だったらしい。
各資料のファイルがずらりと並べられた棚を、左手にファイルを抱えながら真剣な顔で眺めている。
裕紀はこの女性教員、後藤飛鳥とは学校の教師以外にも個人的な関りを持っているのだが、普段は飄々としていているためとても生徒指導という立場の人間とは思えなかった。
しかし、やるからには真剣に取り組むタイプの女性でもあるので、今回はなかなかレアな光景を視させてもらっている。
「……そんなに私を見つめてどうかしたのか? もしや、この私のスタイルに魅了されていたりしたのかな?」
首筋が隠れる程度に切られた黒髪を揺らして、女性にしては鋭い瞳を細めながらこちらを向いた飛鳥に、裕紀は動じずに答えた。
「いえ。こうして真剣に仕事をする先生は珍しいなと思って、つい」
「……失敬な。私はいつだって真剣に仕事をしている。生徒に見本を見せる教員が、校内でふざけるわけないだろう」
さも当然のことのようにそう言う飛鳥に、裕紀は随分前のように思いながら、数週間前の生徒指導室での飛鳥の服装を思い浮かべていた。
改めて見てみると、やはり今回も胸元が少し緩んでいる。
まあ、先生だって一日中仕事で神経を使っているのだから、教室で一人になったときくらい少しはリラックスしたいのだろうけど。
(さすがに生徒の前でその服装はオープン過ぎる気がするなぁ。仮にも生徒指導の教員なんだし)
何度か裕紀も彼女の服装について指摘したことがあるのだが、飛鳥曰く、この格好は弟子の裕紀の前でしかしないとか。
(でも、俺も一応高校生なわけだし、できれば普通の生徒と同じようにして欲しいんだけど)
「まあ、もし仮に君が私に対して不埒な感情を抱いたところで、まだまだ私は君に押し倒されるつもりはないから覚悟しておくことだな」
「え? あ、はい。てか、先生を押し倒すとか、恐れ多くてできませんし……」
もしそんなことを実行したときには、今回の入院では済まない事態に陥ってしまうだろう。
そんなことをひやひやと考えていた裕紀は、しかしこの会話の不自然さにようやく気が付く。
「……って、え!? 後藤先生、いま俺の思考読んで!?」
後藤先生って超能力者?! などと割と真面目に驚きあたふたしている裕紀に、棚の整頓を終えた飛鳥は資料を抱えながら呆れた視線を向けてくる。
「君は私がまがりなりにも魔法使いであることを忘れたのかい?」
長机に資料ファイルを置き、そのまま机に体重をかけた飛鳥の指摘で、ようやく裕紀は自分の間違いを悟った。
「そ、そうか。今のは魔法、だったのか」
うんうん、と頷く飛鳥に裕紀は続けて問い掛けた。
「で、でも、魔法を発動したなら魔力の輝きがないとおかしいですよね? もしかして、メモか何かに魔法陣を描いて隠し持っていたんですか?」
この現実世界で魔法を発動させるには、基本的に二つのものが必要となる。
それは魔力と、魔晶石だ。
現実世界でも異世界でも、魔法の行使には魔力というエネルギーが必要となる。
しかし、この現実世界では魔法の発動に必要な魔力が存在しないため、発動者の生命力を魔晶石で魔力に変換しているのだ。
魔晶石には生命力を魔力に変換する性質があり、その性質は魔法以外にも魔法武器や魔法道具にも利用されている。
他にも様々な性質が備わっているらしいが、まだ魔法使いの初心者である裕紀は勉強中だ。
そして魔法には、魔晶石を用いた発動方法以外にも物体に魔法陣を描くことで魔法を発動させる方法もある。
今の飛鳥の思考を読む魔法は、魔晶石ではなく彼女が隠し持っているだろうメモ用紙か何かに描かれた魔法陣によるものだ。
そんな裕紀の推理を、頷いていた飛鳥は残念そうに首を横に振った。
「技術的なことは出来ても、まだまだ勉強不足だな」
「え? 魔法陣による発動、ではないのですか?」
目を丸くして自身の推理ミスを知った裕紀に飛鳥は大きく頷き言った。
「いま私が君の思考を読めたのは、これは生命力操作によるものだよ」
「生命力操作……。そうか、思考の読み取りですね?」
「心理読解。生命力操作で相手の精神に干渉し思考を読み取る技術さ」
自身の求めていた回答を得られた教師のような(教師なのだが)笑みを浮かべた飛鳥は腕組みをしながら続けて言った。
「熟練の魔法使い相手に思考の読み取りは難しいが、新田のようなまだ魔法使いに馴染んでいない相手や、魔法に対して耐性のない人間には有効な技術だよ」
「なるほど。先生、生命力操作の耐性を身に着けるにはどうしたらいいんです?」
裕紀は生命力を用いたその技術のことを知っていたが、こうもあっさりと自身の思考を読まれてしまった。
熟練の魔法使いと自分に足りない何かを尋ねた裕紀に、飛鳥はしばらく考えると右手の親指を自身の左胸に向けた。
「他者の精神を受け付けない、強い心を持つこと」
「こころ……?」
「思考と心はあまり関係がないようだが、生命力操作の影響を受けやすい魔法使いは心の鍛錬を怠っている傾向が強い。精神の鍛練を常に行い、自分の心に他者を容易く受け入れさせないことが重要なんだ。そして、精神の鍛練は耐性だけでなく自分自身の生命力操作の強度も増幅させる」
「なるほど。つまり自分を支える心の芯が強ければ強いほど、生命力操作の強度は上がり、耐性も上がるわけですね?」
精神鍛錬。瞑想などは月夜家で行ったことのある裕紀だが、いま思えばそれは生命力操作の強化と耐性を付けるための、一石二鳥な訓練だったのだ。
そうと判れば鍛錬あるのみ。
さっそく今日の放課後から試してみようと、放課後補習のことなどすっかり忘れた様子の裕紀に、飛鳥は肩を竦めて言った。
「まあ、どの鍛錬も一朝一夕で成果が出るようなものではないけどな。私もこの技術を完全に習得するのに二年半はかかった」
「に、二年半!?」
相当長い道のりに思わず大声を上げた裕紀に、飛鳥は不敵な笑みを浮かべて言った。
「ま、何も知らずに物体干渉を習得した君なら、その気になればかなり短い期間で習得できるんじゃないか?」
あははは、と笑う飛鳥の冗談めいた言葉に裕紀は苦笑を浮かべるしかなかった。
今週もよろしくお願いします!
ゴールデンウィークも最終日ですね。仕事、仕事……。




