聖夜の日(3)
玄関の照明をリモコンで点灯させた裕紀は、内側からドアを施錠すると靴を脱いで、ふらふらと力なく自室へ向かった。
灯りは点けずに自室へ入ると、肩に掛けていたボストンバックと手に持っていた学生鞄を無造作に床に落とし、裕紀は力尽きるようにベットへ倒れ込んだ。
顔を布団に潜らせた裕紀は、俯せながら大きく息を吸い、長々と息を吐く。
肺の空気を一気に外へ押し出した裕紀は、再び空気を吸いながら、ごろんとベットの上で仰向けに転がった。
三週間という短くはない期間、ベットの上で安静にしていた影響は思いのほか大きかった。
歩いたのはたったの三十分だけのはずなのに、裕紀の両足は重りを付けたかのように重たい。
体力的には本来の体力に戻っているはずだが、長らく身体を動かさなかったせいか戦闘の技術などはかなり低下していることだろう。
(こんなときに襲われなくてよかった)
ほっと胸を撫で下ろしそんなことを思っている自分を、約一か月前の自分が視たらどう思うだろうか。
きっと呆れた様子で肩を竦めているに違いない、と内心で考え微笑ましくなるが、現実を直視するとそう笑ってもいられなくなる。
裕紀はおよそ一か月前に魔法使いとなり、異世界という空想の産物でしかないと思っていた世界へ二度も赴いた。現地の村人と協力して現実世界ではまず存在しないだろう巨大な蜘蛛と戦った。
そして三週間前の夜。八王子市を破壊しようとする灼熱の炎を纏った巨人を、裕紀は魔法という力を行使して倒した。
八王子市防衛戦などと呼ばれている事件の実行犯である加藤徹は死に、彼の心をそそのかしていたネメシスの暗黒魔女はエレインと裕紀の共闘によってこの世界から消え去った。
入院中に何度か訪れてくれたアークエンジェルのメンバーから色々と情報を聞いてはいるが、あれからネメシスの表立った動向はなくなっている。
だが、凶悪な闇の組織が大人しくなっているというだけで、他の組織が動いていないというわけではないのだ。
飛鳥曰く、裕紀の魔法使いとしての素質はかなり強大なものらしく、様々な組織に狙いを付けられている。
その組織の区別に光も闇も関係はないそうだ。
なぜなら、より強い力を持つ魔法使いを確保している組織の存在感は、この世界において強大なものとなるからだ。
正義に属する組織も、犯罪に手を染める魔法使いも、強いメンバーは欲しいのだろう。
ただ、ネメシスのような殺人組織は異例らしく、その者が自分たちにとって都合の悪い存在ならば取り込むよりも排除する傾向があるらしい。
なので強大な力を持った魔法使いがこの世界で生き抜くためには、数多くの犯罪者から身を守れる強さを獲得するか、彼らから身を守るための居場所に所属することが必要不可欠なのだ。
その点、裕紀は魔法使いとしてはまだまだ素人だ。素質は開花していても、経験豊富な魔法使いと戦えばあっさりとあしらわれてしまうだろう。
それに、アークエンジェルとはあの一連の事件では一時的な協力関係というだけで正式に加入したわけではない。身を守るための居場所もないのだ。
ネメシスが大人しくなったとはいえ、あの雨の日のような出来事が二度と起こらないという保証はどこにもない。
魔法使いとしての基礎知識を備えている今の裕紀なら、あの日のように襲われても対処は可能だ。
だが、相手が手練れであればあるほど一人である裕紀の勝率は下がるし、ターゲットとして狙われている以上は何かしらの対策が立てられているはずで、その点も含めて考えると勝機はかなり薄くなる。
つまり何が言いたいかというと、魔法使いとして単独で行動している今の裕紀には、咄嗟の襲撃に対応できる強さも、駆け付けてくれる仲間もいないということだ。
お見舞いに来てくれた飛鳥に何度か推奨されたように、魔法使いになった裕紀は自身を護り鍛える場所を早急に見つけるべきなのだろう。
「アークエンジェル、か。コミュニティに正式加入すれば、俺はもう魔法使いとして戦いから逃げることはできないんだよな」
別に魔法使いになったから戦わなければならないという決まりはない。非戦闘の魔法使いもたくさんいる。
好きで戦っているわけではない裕紀の、そんな心の迷いから突いて出た弱音を、裕紀は頭を掻いて振り払った。
裕紀は好きで戦っているわけではない。
正義のために人を殺すなどということはしたくないし、次にいつ訪れるかも知れない命のやり取りを果たして生き残れるのか不安でしかない。
だが、異世界にて、あの空に浮いた島で一人の契約魔女と約束したのだ。
必ず、異世界を覆う闇を払うと。異世界と同じように、現実世界をも蝕む闇を払うと。
そして、自分自身にも誓ったはずだ。
もう二度と、自身の慢心で大切な存在を傷つけるようなことがないように。
もう二度と、大切な存在の前で無力に膝を着くような愚かな姿を見せないように。
「俺は、もっともっと強くならないといけないんだ」
胸元に吊る下がる魔晶石のペンダントをそっと握ると、覚悟を決めた裕紀は薄暗い天井に向けてひとりそう呟いた。
そんな裕紀の背中を押すように、握った右手の内側から暖かな温もりを感じた裕紀は、薄く微笑むと一息にベットから身体を起こした。
お待たせしました。
自分の決めたことを最後まで貫き通すことって、難しいことだけどそれ以上に誇らしいことなのかもしれませんね。思うこと、口にすることは簡単ですけど、それを実行できる人って尊敬します。
僕もそんな人になりたいな、と思ったりします。
(唐突に失礼しました。今回もよろしくお願いします)




