新田裕紀/覚醒
「新田君っ!!」
アークエンジェル地下施設作戦司令室にて、隣に後藤飛鳥が立っているにも関わらず、萩原恵は立ち上がり大きな声で教え子の名前を叫んでいた。
現在、恵を含むアークエンジェルの待機メンバーは作戦司令室にて夢の丘公園に設立されている植物園で行われている戦闘を監視していた。
恵の固有魔法は、視界内に入っているありとあらゆる電子機器と自身の感覚を同調させることのできる魔法だ。
同調するものが電子機器ならばどこにあろうが関係ない。たとえ魔法の力で隔離された空間内に同調したい電子機器があっても、恵の視界内にあれば何処であろうと同調することができる。
敵が外部からの妨害と警報システムを警戒して空間を隔絶する魔法を発動させていることを知った恵は、固有魔法により隔絶されている空間内に設置されている監視カメラと自身の視覚を同調させた。
更には手元のノートパソコンとも同調し、同調した監視カメラの映像情報を手元のノートパソコンへ送り、大型モニターへ映し出していたのだ。
しかし、一度に何台もの電子機器と同調することのできる恵の固有魔法はかなりの集中力が伴う。
そのため、監視カメラの向こう側で起こってしまった惨劇にひどく動揺してしまった恵の意識が影響して、モニターに映し出されていた映像に酷いノイズが走った。
正直、恵の本心を言ってしまえば、電子機器との同調を切ってこれ以上のシーンを視たくはない。
だが、上官である後藤飛鳥は恵と同じ教え子の悲劇を視ても同調を切れとは一言も言わない。
ただただ、何かに耐えるように唇を噛みしめている。
司令室で待機する数名のメンバーも、どよめきはしたが惠ほど取り乱した者は一人もいない。
「……すみません、映像を復旧します」
そのことを意識した恵は、小さく隣に立つ上官に謝り椅子に座った。
精神を集中させて自分と監視カメラ、そしてノートパソコンを繋ぐ魔力のリンクを繋ぎ直す。
しかし、監視カメラと同調させた教え子の敗北という惨劇が脳裏から離れず、リンクの確立が上手くいかない。新田裕紀の死という受け入れようのない現実にキーボードを叩く指が震え、背中に冷や汗がじわじわと滲む。
まともに魔法を扱えるような精神状態ではなかった恵が、キーボードを叩く指を止めようとしたときだった。
恵の小さな肩に、隣に立っていた飛鳥の手がそっと置かれた。
優しく置かれた手に小さく肩を震わせた恵に、頭上からどうにかして落ち着かせた飛鳥の声が届いた。
「私も、落ち着く。だから、お前も自分の仕事を果たせ」
「は…、はい…」
こうしてコミュニティーの一員として戦っている以上、メンバーの脱落に落ち込んでいられる暇はない。こうしている間にも不安定ながらにも映っている映像の向こうでは加藤徹が災厄の準備を進め始めている。
全ての準備が終われば、加藤徹は人払いを解いて災厄を起こすだろう。
その前に取り押さえたいところだが、外で待機している三人は敵の魔法使いと混戦状態であり人払いが解かれた直後に植物園内に駆け付けることはほぼ不可能だ。
新田裕紀が敗北し、監視役の三人まで身動きが取れない以上、この作戦の主軸は司令室に待機しているメンバーに移っている。
そのことを、飛鳥は目の前で教え子が倒された瞬間から分かっていたのだ。
大切な教え子が心配なわけがない。ただ、命を懸けて戦ってくれた裕紀の想いを少しでも叶えられるように、このコミュニティ―を束ねる存在として優先して果たさなければならないことがあるのだ。
誰よりもコミュニティー全体のことを考えている飛鳥から放たれた言葉に、恵もいま自分にしかできないことを考え、それを実行した。
「映像、復旧完了。作戦を耐災厄作戦へ移行します」
いつも通り、とはいかないもののアークエンジェル専属オペレーター萩原恵の声音に変わった彼女に、飛鳥は右手を離すと言った。
「うむ。各部隊が街全体に仕掛けている人払いの準備はどの程度進んでいる?」
「七〇パーセントまで進行中。およそ一五分で完全に展開が可能です」
「よし、では私が現地へ急行し人払い発動までの時間を稼ぐ。萩原、私が合図をしたらそのポイントへ転送魔法を頼む」
後藤飛鳥は、完全な魔法使いではない。一般人と魔法使いの間に存在する、混在系という部類に別けられる。
一般人のように魔法が使えないわけではないが、純粋系と呼ばれる完全な魔法使いより魔法が使えない。要は普通の魔法使いよりも、魔法に必要な魔力を生命力から生成することができないのだ。
恐らく純粋系だろう加藤徹とどこまで渡り合えるかは不明だが、体術を修めている飛鳥の実力がそう簡単に破れるはずがない。
後藤さんならば大丈夫。そう心に言い聞かせながら恵は飛鳥を送り出そうとした。
「わかりました、ご武運を…ッ!?」
しかし、画面に向き直った恵の声は最後辺りがとても困惑したものとなってしまった。
そして、その原因を視た途端、恵はつい数秒自身が口に仕掛けた言葉を撤回する一言を言い放った。
「後藤さん、ストップ! 待って下さい!!」
「な、なんだ!? 何があった!?」
恵の切迫した制止に、司令室の出入り口付近まで歩いていた飛鳥が早歩きで戻って来る。
「映像をズームします」
そういい、手早くノートパソコンを操った恵により、モニターに映されていた映像がある一点をズームした。
災厄の準備をしているのだろう加藤徹ではない。カメラの焦点は、加藤徹が剣を突き立てた新田裕紀に向けられていた。
強烈な電撃を受けた彼は、とても無事とは言えないほど傷ついていた。加えて魔光剣による急所への刺突を受ければ生存の確率は限りなく低いだろう。
それでも、恵と飛鳥、そしてこの司令室に集うメンバー全員が彼の姿を注視していた。
「これは…?」
小さく、恵の口から不明瞭な言葉が零れる。
刺された傷口から大量の鮮血を流している新田裕紀の胸元から覗く、透明な鉱石のようなものを付けたアクセサリー。
アクセサリーの材料となったあの鉱石は、魔晶石だったはず。
だが、魔晶石の特性は主に持ち主の生命力を魔力へ変換するためのもので、死んだ者が持っても効力は発揮されない。
それなのに、魔晶石からは仄かだが光が溢れている。
恵は映像に映った裕紀のアークエンジェル戦闘服に搭載されている身体情報収集機にアクセスし、彼のバイタルデータを閲覧した。
アークエンジェルの戦闘服には、それを着ている魔法使いの身に異常が起きたとき、即座に対応できるよう常に着用者の身体情報を収集しているマイクロチップが取り付けられている。
とはいえ電撃によって故障しているなら閲覧することはできないが、そこは様々な耐性を備えている戦闘服の性能が功を期した。
ノートパソコンに恵の魔法を通して新田裕紀の身体情報が映される。
死んだ人間の心拍数はゼロのはず。心電モニターにも、何の波長も波打たないはずだが。
「うそ…、いき、て…」
心臓を貫かれて、心拍数もなにもないと思っていた恵は、信じられない光景に口元に手を当てていた。
モニターを見る飛鳥も信じられないというように目を見開いていたが、やがて何かに気が付いたように考え始めた。
同様の映像を見ていた他のメンバーからもざわめきが起こり始める。
その間にも、新田裕紀の胸元に括られた魔晶石は溢れさせる光を強くしている。
こんな現象は恵も初めてだった。なんせ、一度死んだはずの人間の鼓動が何の蘇生もされていないのに再び脈打っているのだから。
これが魔法なら、もうこの現象は違う言葉に書き換えた方が良いだろう。
死者を死から救い出す、一種の奇跡だ。
そう言いたい気持ちを抑えていた恵の傍らで、何かに納得したような声音で飛鳥が言った。
「そういうことか…。となると、まだこの二人の勝敗は決していないな」
「え…?」
そういえば、飛鳥は玲奈とともに裕紀の所有する聖具の詳細を聞いたらしい。
まだ彼がコミュニティーの正規メンバーではないということで、他のアークエンジェルメンバーには話されていない。
飛鳥のこの言葉は、他のメンバーには知らされていない彼の聖具に纏わるところが大きいのだろうか。
それでも一つ分かっていることは、飛鳥の言う通りこの戦いがまだ終わっていないということだ。
であれば、恵たちサポート組がやるべきことは決まっているのだ。
この場では上の立場に立っている飛鳥と恵の雰囲気が変わったことを、司令室に集うメンバーも背中で感じ取ったらしい。
新田裕紀の敗北による動揺と絶望の雰囲気が、一瞬にして気の引き締まった雰囲気へと変わった。
光が消えない限り、希望はまだある。
モニターの向こう側では、魔晶石から溢れ出ていた光が、新田裕紀を中心に植物園内へ広まっていくところだった。
加藤徹の魔光剣で心臓を貫かれた裕紀は、消えゆく意識のなかで今度こそ自分は死ぬのだと確信した。どんな人間も、心臓を串刺しにされれば確実に死ぬだろうと、裕紀はずっと思っていた。
しかし、魔法という存在はそんな裕紀の常識をあっさりひっくり返してしまうらしい。
正確に言うなれば、そんな常識から逸脱しているのは、裕紀がマーリンから授かった聖具エクスの性能なのだが。
暖かな温もりによって遠ざかる意識を引き戻された裕紀はゆっくりと瞼を開けた。
聖具エクスが力を発揮しているせいか、胸元に掛けたペンダントからは純白の光が溢れ出している。
そして、これもエクスの仕業なのか、仰向けに倒れていたはずの裕紀の身体はペンダントに吊られるように宙に浮遊している。
だが、不思議と引っ張られるような窮屈な感覚はなく、むしろ全身には柔らかな浮遊感と失われていた生命力が漲ってくるような力強さを感じていた。
光は裕紀のペンダントからこの植物園全体を包もうとしているのか、暖かな光を充満させているようだ。
しかし、こんなことが出来るほど裕紀の生命力は残っていない。なのに、生命力を失うのではなく回復させているというのはどういうことだろう。聖具を扱う、その行為そのものが生命力を消費する一番の原因なのに。
そんな疑問を抱いた裕紀の脳裏に緑豊かな大自然の情景がイメージとして過った。
優しい浮遊感に包まれながら、裕紀は辺りに植えられている植物たちに視線を向ける。
エクスから充満している光とは違う植物たちから流れる光が裕紀に向って収束している。
その現象を視た裕紀は全てを悟った。
止まっていたはずの鼓動を感じると胸が急に苦しくなり、両目がじんわりと熱くなる。
(力を、貸してくれるんだね)
裕紀の頬に一筋の涙が流れ落ちた。
もう少し、もう少しだけこの暖かな光に癒されたい。
そう思いながら、純白の光の向こうに広がる暗い夜空を眺めていた裕紀の耳に、聞き覚えのない女性の声が響いた。
『憎しみに囚われてしまったあの人を、どうか、助けてあげて』
聞き覚えはないはずなのに、加藤徹の記憶を垣間見た裕紀は、その声の主が誰なのかすぐに解った。
すぐに消えていってしまうその声に、裕紀は確かな気持ちを抱いて、目の前で光を放ち続ける聖具エクスの光を掴む。
(頼む、俺に力を。戦う力を、どうか…っ)
「……ひかりよッ!!」
最後まで残された命を全力で燃やし尽くしてでも、加藤徹を憎しみから救う。
そう覚悟を抱いた裕紀の心に応えるように、右手に握られたエクスはひときわ強い輝きを放った。
息絶えた新田裕紀に背を向け、災厄を起こすための魔法陣を展開させていた加藤徹は、視界に漂う光の粒子を鬱陶しそうに振り払った。
魔法陣は、一度展開を開始するとあとは最後まで構築するか途中で破棄するかの二択しかない。魔晶石に魔法陣を保存することは可能だが、発動途中の魔法陣を一時保存することは現実世界では不可能とされている。
そのため魔法陣を展開させながら粒子を払ったのだが、振り払われた粒子は再び徹の視界に漂い始めた。
再び振り払おうとした徹は、さっきよりも光の粒子が多くなっていることに気付く。明らかに自然の現象ではないと思った徹は、仕方なく一度展開していた魔法陣を破棄して辺りを見回した。
そして、背後を振り返った瞬間、徹は自身の目を疑った。
「……んでだ……」
思わず、そんな要領を得ない言葉を呟いてしまった徹は、視線の先に立つ魔法使いへ訴えるように言った。
「なんで、お前がそこに立っている!? お前は、俺がこの手で殺したはずだ!!」
徹の視線の先で純白の光を周囲に纏いながら立つ魔法使いは、徹が魔光剣で心臓を貫いた。
倒れた相手の急所を外したはずもなく、徹の手には心臓を貫く確かな手応えが今も残っている。
「答えろッ、新田裕紀!!」
叫ぶようにそう問うた徹に、新田裕紀は目の前に差し出した右手で黄金の輝きを掴む。
どんな闇をも払ってしまいそうな力強い輝きを放った光は、やがて主人の手の中で一振りの長剣を形作る。
(聖具かッ!?)
黄金と白銀の刀身が特徴的な、西洋風の剣を右手に携えた新田裕紀は、黒革に包まれた柄を両手で握る。
「なぜ、俺が生きているのか? そんなことは関係ない。俺は、今度こそアンタを止めるために、今ここに立っているんだ!」
そう言い放った裕紀が膝を曲げ腰を落とすと、徹も魔光剣を構え直して正面を睨み付けた。
(出力五十パーセント、行けるか!?)
剣を握り腰を落とした裕紀は、内心で自分自身にそう問い掛けた。
契約魔女マーリンと契約したことで、裕紀は自身の扱える生命力量をかなり大幅に引き上げさせてもらっている。
そのため、その気になれば裕紀は身体強化を誰よりも強力に発動させることができる。
しかしそれは、自身の生命力の大量消費に加え強制的に限界を突破させられた身体がダメージに耐えられるかどうか、というリスクを裕紀が達成しなければならない。
そんなわけで、裕紀はマーリンから授かったこの力をコントロールできるようにならなければならないのだが、現状ではまったくできていない。
だが、この状況ではそんなことを言い訳に自身の力を使わないわけにはいかない。
敵は裕紀より魔法戦闘の経験は豊富だ。相手にとって、魔法使いになって間もない裕紀は今まで戦ってきた相手より弱いだろう。
この戦いで勝つためには、裕紀が自身の弱点を少しでも克服しなければならない。
昨日の昼、玲奈と共にアークエンジェル地下施設のある廃屋から麓の八王子市街までの距離で行った生命力操作の感覚を思い出す。マーリンの恩恵を受けてから、あの瞬間が裕紀にとって一番うまく生命力を扱えていた。
膝を曲げ、大きく横に開いた両足に薄く黄金の生命力が宿る。
それはすぐにはっきりとした輪郭となって両足に纏う。筋肉が引き締まり、少しでも足を動かせば溜まった生命力が暴発してしまいそうだった。
恐らく、裕紀は生命力で強化したい身体の一部に意識を傾け過ぎている。少しでも意識しただけで膨大な生命力を消費してその部位を強化してしまうというのに、集中すればそれほど多くの生命力が必要となり無駄に身体を強化してしまう。
それが、裕紀が生命力を暴発させてしまう原因だ。
なら、少しでも両足に集中している生命力を全身に分散させる。
全神経を両足ではなく全身に集中させ、両足だけに集中してしまっている生命力を少しずつ全身に行き渡せる。意識を両足ではなく、全身に傾けることで暴発するリスクを軽減させるのだ。
そんな裕紀の考えはどうやら正解だったようで、両足に集中していた黄金の生命力が徐々にその光が全身を纏うようになる。
代りに両足に感じていた感覚が全身に生じ始めるが、それは予測通りの現象だ。
(いっけえええ!!)
全身に巡る生命力が徐々に力を増していくのを感じながら、内心でそう気合を放った裕紀は地面を蹴った。
ジェットエンジンの轟音のような振動と音を轟かせてダッシュした裕紀は、一息で十メートルもの距離を詰めた。突進と同時にエクス・カリバーへ魔力を注いだことで黄金の魔力を密に纏った刀身の光が、夜闇に染められた植物園に一本の軌跡を描く。
新田裕紀の姿を注視し、彼の一挙手一投足に全神経を傾けていた徹でさえ一瞬姿を見失った。裕紀が本来反応できる至近距離まで接近しても徹の対応が遅れた。
唖然と目を見開く徹の両目と、中腰で肉薄した裕紀の強い意志を灯した瞳がぶつかった。
その瞬間、徹の脳裏に自身の敗北の予感が過り、一瞬だけだが腰が引いた。
「くそ、がぁあああ!!」
再び立ち上がった新田裕紀をここでねじ伏せればこの戦いの勝敗は確実に決まり、最終段階まで進んでいた計画を発動することができる。
だが、何たることか。魔法戦闘の実力では徹より下に立つはずの目の前の魔法使いに、今の徹は僅かながらでも慄いている。
そうと自覚した徹は、ぎりっと奥歯を噛み締めると引き気味だった体勢を無理やり立て直して魔光剣を振り下ろした。
中段から放たれた黄金の刀身と、上段から振り下ろされた紫の刀身がスパークを散らして打ち合った。
裕紀はそこで剣戟を止めずに、一歩深く踏み込むと振り抜いた剣を折り返して左から水平斬りを繰り出す。
流れるように振られた裕紀の剣に、剣を振り抜いた徹は対処しきれない、ということはなかった。
裕紀の水平斬りに対して、徹は身体強化により素早く後ろへ後退すると魔光剣を真下からほぼ垂直に斬り上げて裕紀の剣を防ぐ。
お互いに距離が開いたことで剣戟は中断され、静まり返った空間に両者の荒い息遣いが響く。
二人の魔法使いは互いの出方を伺うためか、ゆっくりと間合いを取りながら移動する。
徹が紫の刀身の魔光剣を上段に構え、裕紀も顔の近くまで黄金の刀身を持ち上げ構えた。
五秒間、園内の時が止まったかのようにお互いの動きが静止した直後、二人同時に動き出した。
「うぉらああああッ!」
「せえあああああッ!」
気合を迸らせながら同じ距離を駆けた二人は、ほとんど同時にそれぞれの剣を振るった。
真正面から大上段に魔光剣を振り下ろす徹に対して、裕紀はやや身体を傾けると紫の刀身を躱しながら黄金の剣を弧を描くように振り下ろした。
裕紀が狙ったのは徹の身体でも、魔光剣を握る手首でもない。
魔光剣の刀身と柄の部分の、ちょうど中間地点に位置する、剣で言うと鍔にあたる部分を狙ったのだ。
相手を傷つけることなく確実に戦力を削ぐ方法は様々だが、武器を破壊することもその一つだろう。
初めての経験だったが生命力で動体視力を強化したおかげもあってか、黄金の刀身は裕紀の狙い通り徹の持つ魔光剣の鍔を捉えた。
魔力を出力するための機構を破損した魔光剣から刀身の光が四散する。
「まだだッ!!」
だが、魔光剣だけが魔法使いにとっての武器ではないことを裕紀も知っている。
激昂した徹は破損した魔光剣を投げ捨てて両手を持ち上げる。
胸元に吊るされたネックレスに括られた、アメジストのように美しい紫の魔晶石が仄かに輝きを放つ。
持ち上げた両手に薄く魔法陣が浮かび上がり、それらからは小さく紫電が迸る。
雷魔法を放とうとする徹に臆せず、裕紀は真下まで振るった剣を中段まで持ち上げ水平に構える。
魔法を発動させるためには、発動させたい魔法の詠唱を唱える必要がある。
「ライトニング……」
「はあぁあああ!!」
腹の底から気合を迸らせた裕紀は、瞳、両腕、そして右足により多くの生命力を集中させ、強く踏み込むと徹とすれ違いざまに徹の胸部へ水平斬りを放った。
敵を背後に剣を振り切った裕紀と、両手を掲げたまま制止する徹の聴覚に、鉱石の砕ける音が小さく響いた。
その音を聞いた裕紀は、ゆっくりと直立姿勢へ戻ると身体を背後の徹へ向けた。
魔晶石が破壊され今度こそ戦う手段をすべて失った徹は、膝から崩れ落ち力の抜けた声で言った。
「ふはっ…、まさか魔晶石を破壊されるとはな」
そんな徹の言葉に、裕紀は震える四肢に逆らいながら言った。
「俺もアンタも、この世界で魔法を使うためにはその石が必要不可欠だ。これでアンタは魔法を使えない。武器だった魔光剣も破壊された。もうこれ以上の戦闘はできないはずだ」
そう言った裕紀に、徹は諦めの混じったカラカラとした口調で言った。
「いいぜ、殺せよ。それとも、無抵抗の相手を斬るのは気に食わねえか?」
徹の自暴自棄な言葉に、裕紀は強く言い返そうとするが何とか堪える。
代りに、首を横に振ると静かに言った。
「俺はアンタを殺さない。然るべき場所で、正当な裁きを受けるんだ。殺された家族もきっとそれを望んでいるはずだ」
自分のしてきた罪を、正当な裁きなしに自身の死によって償わせる方法を裕紀は許さないし、それをする権利もない。
裕紀の言葉にしばし俯いて黙っていた徹は、やがて溜息とともにその場から立ち上がった。
「そこまで言われたら、認めるしかないな。お前の考えはあま過ぎるが、その信念は確かなもんだ」
ローブを脱ぎ地面に落としながらそう言う徹を、裕紀は黙って見ていた。
冬場では寒そうな薄着の長袖と、黒いズボンを露わにした徹の身体は細く痩せていた。
こんな体であれだけの戦いをしてきたと思うと驚愕する。
裕紀の視線を背中に受けながらも、徹は気にしたようすもなく言葉を続けた。
「だが、どれだけ信念が強くても、それを実現できる実力と知識を兼ね備えていなければ何の意味もない。そう思わないか?」
そう問い掛けながら、徹はどういうつもりか薄着の長袖を脱ぎ捨てた。服の下から露わになった光景に、裕紀は脳裏で何かが小さく弾けたような感覚を感じる。
「なにを言って…?」
顕現させたままのエクス・カリバーの柄を握り直した裕紀は、訳が分からず小さな呟きを漏らした。
隠すものを失くした徹の上半身には、解読が不可能なほどにびっしりとした文字が刻まれている。入れ墨…? かと思ったが何故だかそうは思わせない雰囲気を感じる。
右の腹部と右腕のどす黒い痣の雰囲気も合わさり、今の徹からは近寄りがたい雰囲気を感じた。
この男は、まだ何か隠している。
そもそも、裕紀は災厄の何を知っているのか?
災厄の全貌を未だに知らない裕紀には、加藤徹が起こそうとしてる災厄の正体が掴めていない。
災厄が魔法であれば加藤徹の魔晶石を破壊した時点で、徹の計画を防ぐことができると思っていた。
だが、徹の身体に刻まれた文字や図形がどうしても裕紀を嫌な方向へ思考を導く。
(俺は、あの身体に刻まれた図形と似たようなものを、つい最近どこかで目にしている?)
嫌な予感を振り払いながら思考を巡らせる裕紀に、徹は振り返りながら言葉を続けた。
「お前は実力はあるが魔法使いとしての知識がない。だから気づけなかった。お前があの時俺を殺さなかった判断ミスは、この街の崩壊へと繋がるぞ」
正面を向いた徹は両手を広げると深く息を吸った。
直後、彼の周囲に漂った濃密な闇の魔力を感じた裕紀は、反射的に身体を動かしていた。
加藤徹の身体に刻まれたあの紋様の正体は分からない。だがこれ以上、彼の行動を好きにさせることは絶対に防がねばならない。
(最悪、手足を斬ってでも止めないとっ)
幸い、裕紀と徹との間にはそう距離はない。身体強化で一瞬で迫れれば、彼の行動を抑えることはできる。
そう思った裕紀の死角から、突如、刃物が突き出された。
ブレーキをかけつつ瞬時に顔を引いた裕紀の目の前を、小さなサバイバルナイフが通過する。
「くっ!?」
バランスを崩し、やむなく後退を強いられた裕紀は、頬の切り傷に気付く暇もなく相手を視認した。
黒いローブを羽織った闇の魔力を纏った魔法使い。かつて加藤徹によって殺され、死んだ後もゾンビとして彼に魂を束縛され駒として利用され続けているのだ。
「邪魔をさせるな。死んでも奴を足止めさせろ」
「コロ、ス…、お、マエ…、たす、け…」
召喚されたゾンビの背後では、どんどん濃密になっていく闇の魔力を上半身に取り込む加藤徹が立っている。
徐々に彼の上半身に刻まれた紋様に黒い光が灯り始める。
「くそっ。そこを、どいてくれ!」
そう叫び地面を蹴った裕紀は、奇怪な動きで迫ったナイフ使いの攻撃を躱して腹部を蹴った。
身体強化で強化された蹴りで遠くまで飛ばされたナイフ使いから視線を外し、裕紀は再び徹へ剣先を向けた。
「やめろ! これ以上、憎しみを重ねるな!!」
黄金の刀身を持つ聖具エクス・カリバーを、弓の弦を引き絞るように右肩と水平に構えた裕紀は全力で地面を駆った。
風の壁を幾つも突き破り、幾重にも衝撃波を生み出した突進の威力をすべて剣尖に乗せて中段突きを放つ。
徹を取り巻く闇の魔力と、エクス・カリバーの剣尖が衝突する寸前。
「もう遅い」
殺気の滲んだ徹の笑みとともに、収束していた闇の魔力が暴風となって裕紀を襲った。
「く、ああああッ!?」
全身に暴風を受けた裕紀は、抗うことができずに数十メートルもの距離を吹き飛ばされた。
それでも、危うくバランスを立て直した裕紀は着地に成功すると徹へ視線を向ける。
彼を取り巻く闇の魔力はさっきの暴風となって四散したらしいが、代りに新たな現象を起こしていた。
なおも両腕を広げて立つ昴の頭上に、三重に展開された魔法陣が出現している。
(まさか、魔晶石がなくても魔法を発動できるのか!?)
驚愕に目を見開いていた裕紀は、加藤徹が言っていた言葉の真意をようやく悟った。
可能なのだ。魔晶石がなくとも、魔法陣をこの世界のものに描いておけば魔法を発動することができる。
それが所謂、裕紀の魔法使いとしての無知さ、ということだ。
それに、これと似たようなことを裕紀は半日前にもしている。
昼間に玲奈がメモに書いて渡してくれた念話の魔法陣。
確かに裕紀は、あの魔法陣が描かれたメモ用紙を所持しているだけで念話を使用することができたのだ。
(どうして早く気づけなかったんだ!!)
内心で僅かな絶望を感じながらそう悔やんでいた裕紀の耳に徹の声が響いた。
「暗黒の時は来た。常闇から生れし炎の巨人よ。その力を我が身に堕とし、汝に逆らう愚かな反逆者を粛清せよ!!」
その詠唱に応えるように、三重に展開された魔法陣は更なる輝きを放つ。
直後、魔法陣を通して吐き気がするほどに強大な闇の魔力が徹に降り注ぎ、周囲に存在するあらゆるモノを暗黒の濁流が呑んだ。
離れた場所でその光景を呆然と見ていた裕紀も、襲い掛かった暗黒の濁流に呑み込まれた。
八王子市南方に位置する、都会化の影響によって人気のなくなってしまった過疎地域にて、一件の廃棄ビルの屋上には一人の人影があった。
人影は、他の魔法使いとは実力も知識も一線を画す暗黒魔女だった。
夜闇に溶けそうな色合いのローブを羽織った魔女は、ただ一方向へ視線を向け続けている。
冬の冷たい夜風が晒された白い頬を撫でるが魔女は微動だにしない。フードから流れる絹のように滑らかな黒髪が夜風に揺れるだけだ。
今、この街の外れにある一つの施設が巨大な闇の魔力によって呑み込まれた。その内部には、微かだが小さな光の魔力も感じられる。
光の魔力の正体は新田裕紀だろう。異世界で聖具を手にし魔法使いとしてその力を覚醒させた。
暗黒魔女と呼ばれる存在ですら要注意人物として意識していた魔法使いだ。
本来ならば異世界に赴き例の聖具を手に入れる前に抹殺しておきたかったが、彼は力を手にしてこの世界に戻ってきてしまった。
施設が闇に呑まれる直前まで、魔女の感覚をずっと刺激し続けていた忌まわしい光の魔力。
それを感じただけでも、魔女はあの新田裕紀という魔法使いが他とは違うことを確信していた。
だが、こちらもただ力を手に入れることを待っていただけというわけではない。
いまこの瞬間、自身の使命を果たしてくれたらしいあの魔法使いが、この街を闇に包む最後の扉を開いた。
その扉から現れる魔獣がこの世界に召喚されれば、魔法とは無縁の現実世界の都市は一夜で壊滅することだろう。
「せいぜい足搔きなさい。弱く、愚かな人間たちよ」
この都市の行く末を予期した暗黒魔女は、口元に歪んだ笑みを滲ませた。
お待たせしました!
2017年も残すところあと三日ということで、家の大掃除と並行してどうにか小説投稿できました。
僕はこの一年、とある作品にハマってました。ガールズバンドを題材にしたものなんです。
バンドとかにはあまり興味はなかったんですけど、個性豊かなキャラクターやストーリーなどにとても惹かれました(もちろん楽曲も好きです)。
いつまで好きでいられるかは分からないですけど、できることならまだまだ楽しみたいです!
小説を読むことが好きで、自分の考えた物語も書いてみたいと思って始めた小説投稿なので、きっと文章の書き方とか間違いだらけ。誤字脱字もあり読みずらい所もかなりあると思いますが、来年からも僕の思い描いた世界とそこで生きるキャラクターたちを大勢の読者の方々に読んでもらえるよう頑張ります。
年内中にあとどれくらい投稿できるかは不明ですけど、来年も「聖剣使いと契約魔女」をよろしくお願いします。
以上、どうでもいい話と来年の抱負でした~




